「早春 芥川龍之介」読書の記憶(六十五冊)



僕は、待ち合わせをする時は大体15分前には、目的地周辺に到着するようにしている。周辺をぶらぶらと散歩しつつ、時間になったら待ち合わせの場所に向かうことが多い。几帳面と言うよりは、時間ギリギリに出発して渋滞などに巻き込まれたりして「間に合うか? 大丈夫か?」などと気にして焦るのが嫌なので、それなら少し早めに行ってゆっくり行動した方がいい、と思っているからだ。

しかし、一度だけ相手を1時間ほど待たせたことがある。あれは僕がまだ学生で、携帯電話もメールも存在していなかった時代のことである。

その時も僕は、時間通りに向かったつもりだった。ところが相手は僕が到着する1時間前にそこに到着していて待っていたのだと言う。話を聞いてみると事前の電話で僕が、「3時の待ち合わせにしよう。あ、でも2時でも大丈夫かな。いややっぱり3時かな」と言ったのだそうだ。

相手はメモを残していなかったので、2時か3時か記憶が曖昧になってしまい、待ち合わせ当日、僕の家に電話をかけて確認しようとしたらしい。ところがすでに僕は外出していて連絡が取れなかったので、2時に来たのだと言う。今ならば、メールや携帯電話ですぐに確認できる。しかし当時はメールはもちろん、携帯電話どころか電話も家に一台しかなかったので、タイミングを外すとこんなことになってしまうのだった。物心がついた頃から、既に携帯電話を知っている世代の人達には、考えられないエピソードだと思う。

早春 芥川龍之介


二時四十分。 
二時四十五分。
三時。 
三時五分。
三時十分になった時である。中村は春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、人気のない爬虫類の標本室を後ろに石の階段を下りて行った。いつもちょうど日の暮のように仄暗い石の階段を。 「芥川龍之介 早春より 一部抜粋」



芥川龍之介の「早春」を読んだとき、この時のことを思い出した。あれからもう20年以上の時間が過ぎた。あの時から今まで、相手を1時間以上も待たせた事は今のところ1度もない。多分ない。いや忘れていなければきっとない。


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