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6月, 2018の投稿を表示しています

「Little Red Riding Hood」読書の記憶(七十八冊目)

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「この本には、もっと価値があるはずだ」
 予備校生だったころの話。友人が「古本屋に本を売りに行く」と言い出したので、一緒に行くことにした。目当ての古本屋は雑居ビルの地下一階にあった。私達は一列になって薄暗く狭い階段を降りて、本の壁に囲まれている店内の奥の方へと進んでいく。レジの横に憂鬱そうな表情を浮かべた店長らしき人が椅子に座って本を読んでいた。友人は持ってきた本を差し出す。即座に提示された金額は(正確には忘れてしまったが)百円とか、そのくらいだったと思う。

 「この本には、もっと価値があるはずだ」と憤慨した友人はそこで売るのを止めて「他の店へ行く」と言った。結局、他の店でも提示された金額は同じくらいだった。友人はその本を売るのを止めた。一緒にいた別の友人が「その方がいいかもね」と呟いた。

 その日をきっかけに「古本屋」の場所を知った僕は、一人で古本屋めぐりをするようになる。お世辞にも綺麗といえない店内に、紙と埃が混ざった独特の匂いが漂う狭い店内は決して快適ではなかった。三十分もいると鼻の奥のあたりがムズムズしてきて、外の空気が恋しくなってくる。
 それでも、窮屈な空間に身を縮めるようにしながら、隠された宝物を探すみたいに本を漁っているのは楽しかった。当時の僕にとって、至福の時間のひとつだったように思う。


仙台の古本屋が閉店
 昨年(2017年)に、仙台のSという古本屋が閉店した。閉店セールをやっているというので出かけることにした。気になった本を数冊選びレジに向かう途中、通路に置かれたカゴの中に「Little Red Riding Hood」の復刻版が入っているのが目にとまった。装丁が気になったので、一緒に買って帰ることにした。
 家に帰って読んだ。「このような話だったかな?」と思った。自分が覚えていたストーリーと少し異なっているように感じたからだ。もちろん、本が間違っているのではない。自分の記憶が間違っているのである。
 記憶は曖昧だ。時間と共に誤解や勘違いなどが混ざり合い、さらに個人的なバイアスのかかった「それ」へと変容していく。変容を繰り返す過程で、多くの部分が消え去っていく。消え去った記憶が、戻ってくることは稀有である。最初から存在しなかったかのように、新しい記憶に押し出され過ぎ去っていく。
 予備校時代に通っていた古本屋の多くは閉店してしまった。友人達と行った店もすでに存…

「兄たち 太宰治」読書の記憶(七十七冊目)

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「森羅万象」の読み方は?
高校生の時の話。私は数人の同級生と街中を歩いて移動していた。店頭に貼られているポスターが目にとまった。何かのイベント告知をするポスターだったと思う。私はそこに大きく印刷されていた「森羅万象」という文字を「もりらまんぞう」と声に出して読んだ。もちろん「しんらばんしょう」と読む事は分かっていた。ただ何となく、ふざけてそう読んだのだった。
すかさず、その時一緒に歩いていた女子の一人が「シンラバンショウ、でしょう!」と、私の言葉を修正した。私は「あ、そう読むんだ」と彼女に言った。正しい読み方を知らなかった、という素振りをしたのだった。彼女は何も言わなかった。私たちは目的地に向かって移動を再開し、誰かが別の話題を口にして、その話はそこで終わりになった。
なぜ、あの時私は「知ってるよ!」と反論できなかったのだろう?
彼女が、少し大きめの声で早口に指摘してきたからだろうか。その時一緒に歩いていたグループの中では、彼女がダントツで成績が良かったから「どうせ、オレは頭が悪いですよ」と、自虐的な感情が湧き上がってきたからなのか。高校生の頃の、なんとなく女子に尻込みしてしまうというか、照れてしまうというか、そんな感情のせいなのか。


「兄たち 太宰治」

私は、未だ中学生であったけれども、長兄のそんな述懐を、せっせと筆記しながら、兄を、たまらなく可哀想に思いました。A県の近衛公だなぞと無智なおだてかたはしても、兄のほんとうの淋しさは、誰も知らないのだと思いました。(兄たち 太宰治

あの時自分は「正しい答えを知っていること」を伝えたほうがよかったのだろうか。「参りました!」などと、大袈裟におどけてみせればよかったのか? そう、もしかすると彼女は「それ」を期待していたのかもしれない。
……いや、違う。それはない、と思う。何かのテストに出題された時、私が「モリラマンゾウ」と解答したら可哀想だから、と間違いを指摘してくれたのだろう。たぶん、それだけのことなのだと思う。


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「太宰治との一日 豊島与志雄」読書の記憶(七十六冊目)

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深夜(22時)の電話
少し前の話。その時私は自宅で一人作業をしていた。知り合いのSさんから「今大丈夫ですか?」とメールが届いた。まもなく22時になるところだった。Sさんからその時間帯に相談を受ける事は滅多にないので、何かあったのだろうか?と、こちらから電話をかけてみることにした。
「仕事で色々あって。なんだかほんとにごちゃごちゃして」Sさんは、ここ数日の間のできごとを話し始めた。しかし数分もすると、話題は別のものに変わっていた。結局30分ほど話をしたと思う。Sさんは、なんとなく軽やかな声になって電話を切ったのだった。


「今日は愚痴をこぼしに来ました。愚痴を聞いて下さい。」と太宰は言う。 (中略) 然し、愚痴をこぼしに来たと言いながら、それだけでもう充分で、愚痴らしいものを太宰は何も言わなかった。──その上、すぐ酒となった。(太宰治との一日 豊島与志雄より一部抜粋)

おそらくSさんは、誰かと話をしたかったのだと思う。夜遅い時間になっていたけれども、私ならば、この時間でも何かしていることが多いので大丈夫だろう、と思って連絡を寄越したのだと思う。
明確なアドバイスが必要な時もある。厳しく批評されることで考えがまとまることもある。それでも「ただ自分の話を聞いてくれる相手がいる」ことを確かめるだけで、大抵の出来事は乗り切れるのではないか。話を聞いたり、聞いてもらったり、そんな相手がいてくれるのなら百人力なのだと思う。「太宰治との一日 豊島与志雄」を読んでそんなことを考えました。


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「一問一答 太宰治」読書の記憶(七十五冊目)

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「佐藤さんのように、成功した人の場合は・・・」
セミナーの依頼を受けた時の話。事前に内容について打ち合わせがしたいとの事で、指定された場所へ出かけていった。先方は二名で、こちらは私一人。合計三人で打ち合わせが進んでいった。
担当の方がしっかりと準備をしてくださっていたので、私たちは滞りなく内容を詰めていくことができた。一通り打ち合わせが進み、最後にセミナーの告知に使用する文章を考えて欲しいということになった。担当の方は、資料を広げながら、
「佐藤さんのように成功した人の場合は…」と話を始めた。 「成功した人?」
私は「成功した人」という言葉に反応した。自分が成功しているとは微塵も考えていなかった。成功という定義にも色々なものがあるけれども、お世辞にも自分がどこかの分野で成功しているとは思えなかった。もしかすると、私の話し方に「成功している人」を装うような鼻についた態度があったのではないか? そもそも自分のような「成功していない人間」が講師として依頼を受けるということが間違っていたのではないか、と恐縮してしまったのだった。


「太宰治 一問一答」
ばかに、威張ったような事ばかり言って、すみませんでした。(太宰治 一問一答より)

太宰治の「一問一答」を読んだ時に、ここに書いたことを思い出した。なるべく自分のことを話す時には「威張ったことを言わないように・・・」と心がけているけれど、それでもついつい調子に乗ってしまい、最後には「すみませんでした」という気分になることも少なくない。と、いうかほぼ毎回そういう気分になるのだった。


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