「Little Red Riding Hood」読書の記憶(七十八冊目)
「この本には、もっと価値があるはずだ」
「この本には、もっと価値があるはずだ」と憤慨した友人はそこで売るのを止めて「他の店へ行く」と言った。結局、他の店でも提示された金額は同じくらいだった。友人はその本を売るのを止めた。一緒にいた別の友人が「その方がいいかもね」と呟いた。
その日をきっかけに「古本屋」の場所を知った僕は、一人で古本屋めぐりをするようになる。お世辞にも綺麗といえない店内に、紙と埃が混ざった独特の匂いが漂う狭い店内は決して快適ではなかった。三十分もいると鼻の奥のあたりがムズムズしてきて、外の空気が恋しくなってくる。
それでも、窮屈な空間に身を縮めるようにしながら、隠された宝物を探すみたいに本を漁っているのは楽しかった。当時の僕にとって、至福の時間のひとつだったように思う。
仙台の古本屋が閉店
昨年(2017年)に、仙台のSという古本屋が閉店した。閉店セールをやっているというので出かけることにした。気になった本を数冊選びレジに向かう途中、通路に置かれたカゴの中に「Little Red Riding Hood」の復刻版が入っているのが目にとまった。装丁が気になったので、一緒に買って帰ることにした。
家に帰って読んだ。「このような話だったかな?」と思った。自分が覚えていたストーリーと少し異なっているように感じたからだ。もちろん、本が間違っているのではない。自分の記憶が間違っているのである。
記憶は曖昧だ。時間と共に誤解や勘違いなどが混ざり合い、さらに個人的なバイアスのかかった「それ」へと変容していく。変容を繰り返す過程で、多くの部分が消え去っていく。消え去った記憶が、戻ってくることは稀有である。最初から存在しなかったかのように、新しい記憶に押し出され過ぎ去っていく。
予備校時代に通っていた古本屋の多くは閉店してしまった。友人達と行った店もすでに存在していない。やがて、この本を買った古本屋の記憶も、それにまつわる思い出も少しずつ消失していくのだろう。本のページから漂ってくる微かな紙の香りを感じながら、そんなことを考えました。