投稿

8月, 2018の投稿を表示しています

「時間 横光利一」読書の記憶(八十一冊目)

イメージ
バケツリレー vs  個人
小学生の頃の話。子供会の行事の準備で、バケツリレーをすることになった。子供たちが一列に並び、小さなプールにバケツで水を満たしていくことになったのだった。
並んで待っていると、水の入ったバケツが運ばれてきた。子供たちは、次々に運ばれてくるそれを受け取ると隣の子供に手渡していった。大きなバケツもあれば、砂場で遊ぶ時のような小さなバケツもあった。そんな風にしてバケツが人の手を移動していく様子を見るのは楽しかった。自分がその中の一人になっていることも、照れ臭いような嬉しいような気分になった。


しばらく作業を続けていると、一人の男子が「みんなで手渡しするよりも、一人で運んだほうが早いんじゃないか」と言い出した。そして実際に、大きなバケツを持って水道とプールの間を行ったり来たりの奮闘を始めた。
その男子は、何度か往復した後「やっぱり疲れた」などと言うと、運ぶのやめて地面に座り込んでしまった。それを見ていた世話役の大人が「おお、がんばったなぁ」と声をかけた。私はその様子を見て、自分も一人で往復してみたかった、と思った。その頃の私は、おとなしくしているグループだったし、まだひとりでバケツを運べるくらいの体力に自信がなかったから、そうやって自分の考えを実行に移せる姿が、どこかかっこよく見えたのかもしれない。

「時間 横光利一」
そんなら小屋まで一番早く帽子を運ぶには十一人でリレーのように継ぎながら運ぼうではないかと佐佐がいい出すと、それは一番名案だということになっていよいよ十一人が三間ほどの間隔に分れて月の中に立ち停ると、私は最後に病人の所へ水を運ぶ番となって帽子の廻って来るのを待っていた。(時間 横光利一より)

横光利一「時間」の中で、帽子を手渡しで運んでいる場面を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。あの時、一人で奮闘していた男子は、今どこで何をしているのだろう。なんとなく、子煩悩な父親になっていそうな気がする。いや逆に、子供には厳しい頑固オヤジになっているのかな。


横光利一時間頭ならびに腹犯罪

「奥の細道 松尾芭蕉」読書の記憶(八十冊目)

イメージ
「や」で区切ると、俳句っぽい雰囲気になる。
中学校の野外活動に参加した時の話。スケジュールの中に「オリエンテーリング」があった。森の中をチームで歩き回り、指定のポイントを通過しながらゴールを目指していくアレだ。
その時設置されていたポイントのひとつに「今の状況を俳句にしなさい」と、いう課題があった。「俳句」と聞いて頭に浮かんだのが、国語の時間に目にした松尾芭蕉の

閑さや岩にしみ入る蝉の声 夏草や兵どもが夢の跡

だった。そこで私は「~や」で一度切って、あとにリズムの良い言葉を並べれば「それっぽい」ものになるのではないか、と考えた。実際にやってみた。内容はともかくとして、なんとなく形になったような気がした。私が作った俳句を見た友人が「いいね。オレのも作ってよ!」と言ってきた。私は、ああいいよ、と同じような出まかせの俳句を作った。友人は「いいね!」と特に内容も吟味せず、そのまま紙に書き込んで提出していた。
オリエンテーリングが終わり、宿舎前の広場で全体集会があった。先生が前に立ち講評を話している中で「俳句を作る課題があっただろう。あとで国語の○○先生に選んでもらって、優秀なものを発表するから」と言った。
「オレが書いてあげた俳句が選ばれたら、あいつはどうするのかな?」と思った。もしそうなった場合、彼は「実はこれ、サトー君に考えてもらって…」と正直に言いそうな気がした。あの当時は「先生が教室に入ってくる前に席に着いていなかった」程度のことで、頭に拳骨をもらうような時代だったから「代筆がバレたら、ひどく殴られるのではないか」と考えると、背中のあたりがムズムズした。
野外活動が終わり、学校に戻った。何かの配布資料の中で「優秀な俳句」が発表になった。当然、私の考えたものは選外だった。怒られる以前に、選ばれるレベルではなかったのだ。すべては杞憂。まあ、そんなものである。

山寺の石段を上がりながら。 今年の春に山寺へ行った。階段を上がっている時に「閑さや〜」の句が頭に浮かんだ。そしてここに書いた事を思い出した。同級生達は、今どこで何をしているのだろう。とりあえず、元気に過ごしていてほしいと思う。

関連:湯殿山へ行く(旅日記)