「時間 横光利一」読書の記憶(八十一冊目)
並んで待っていると、水の入ったバケツが運ばれてきた。子供たちは、次々に運ばれてくるそれを受け取ると隣の子供に手渡していった。大きなバケツもあれば、砂場で遊ぶ時のような小さなバケツもあった。そんな風にしてバケツが人の手を移動していく様子を見るのは楽しかった。自分がその中の一人になっていることも、照れ臭いような嬉しいような気分になった。
しばらく作業を続けていると、一人の男子が「みんなで手渡しするよりも、一人で運んだほうが早いんじゃないか」と言い出した。そして実際に、大きなバケツを持って水道とプールの間を行ったり来たりの奮闘を始めた。
しばらく作業を続けていると、一人の男子が「みんなで手渡しするよりも、一人で運んだほうが早いんじゃないか」と言い出した。そして実際に、大きなバケツを持って水道とプールの間を行ったり来たりの奮闘を始めた。
その男子は、何度か往復した後「やっぱり疲れた」などと言うと、運ぶのやめて地面に座り込んでしまった。それを見ていた世話役の大人が「おお、がんばったなぁ」と声をかけた。私はその様子を見て、自分も一人で往復してみたかった、と思った。その頃の私は、おとなしくしているグループだったし、まだひとりでバケツを運べるくらいの体力に自信がなかったから、そうやって自分の考えを実行に移せる姿が、どこかかっこよく見えたのかもしれない。
「時間 横光利一」
そんなら小屋まで一番早く帽子を運ぶには十一人でリレーのように継ぎながら運ぼうではないかと佐佐がいい出すと、それは一番名案だということになっていよいよ十一人が三間ほどの間隔に分れて月の中に立ち停ると、私は最後に病人の所へ水を運ぶ番となって帽子の廻って来るのを待っていた。(時間 横光利一より)