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最終回「明暗 夏目漱石」読書の記憶(百冊目)

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受験生だった時の話。受験勉強は好きではなかったけれど「文学史」は面白かった。「受験が終わったなら、ここに紹介されている作品を片っ端から読んでやろう」そう考えていると、わくわくした。未踏の地に挑戦する冒険家のように、その先に早く足を踏み入れたくて仕方がなかった。

大学生になった僕は、最初に夏目漱石から読み始めることにした。新潮文庫を一冊ずつ購入して、次から次へと読んでいった。まだ理解できない部分や、読み取れない部分も多かったけれど、その世界の中に浸っていられることが嬉しかった。

読書は順調に進み、あとは「明暗」を残すだけとなった。僕は書店で明暗を購入し家路についた。部屋のテーブルの上に置いた。いつものように読み始めようとした時、僕の頭の中に「これが漱石が書いた、最後の小説なのだ。これを読んでしまえば、もう未読の作品はなくなるのだ」という考えが浮かんだ。

漱石は「明暗」を執筆中に亡くなった。つまり明暗は未完の絶筆である。最後まで読み終えたとしても、それは「最後」ではない。その先を読めることは永遠にない。うまく表現することはできないのだが、今は読まない方がいいような気がする。読む事によって何かが失われるような気配がある。僕は明暗を開かずに、本棚に並べた。


始まりがあれば、終わりがある。始まりがあれば、終わりがある。もしもこの世界に変わらない真実があるとするならば「永遠なるものは存在しない。変わり続けることだけが真実だ」と書いてみたい。そして、これさえも変わり続けていくことは疑いようのない事実なのだ。

100冊を目指して書き始めた「佐藤の本棚」は、今回で100冊となった。100冊に到達した時、自分がどのような感覚を得られるのが楽しみだった。少なくとも達成感や充実感(のようなもの)は、ささやかながらも感じることができるだろうと期待していた。

しかし実際に到達してみると、意外なほどに「何もない」ことに気がつく。比喩でも誇張でも斜に構えているわけでもなく、本当に何もない。何もないのに無理やり何かを書く必要もないと思うので、これで終わりにしたいと思う。(佐藤の本棚 完)



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夏目漱石 掲載作品
三四郎こゝろ夢十夜坊っちゃん虞美人草私の個人主義明暗

「鼻 芥川龍之介」読書の記憶(九十九冊目)

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中学1年生の時の話。まもなく夏休みが終わろうとしている、八月も末のころだった。クラスメイトのSから「明日、委員長の家に遊びに行ってもいいか」と連絡があった。(その時僕は学級委員をしていたので、みんなから委員長と呼ばれていた) 特に用事もなかった僕は、いいよと答えた。

翌日の午後、SはクラスメイトのOと一緒にやってきた。Sは僕の部屋にくるとすぐに「読書感想文の小説を貸してくれ」と言った。どんなのがいい? と聞くと「有名なやつで、短くて、面白いやつ」という。僕は、そんな都合の良いものはないよ、と言いながら、夏目漱石の「坊っちゃん」を本棚から取り出してSに手渡した。

Sは「夏目漱石? うん、これは聞いたことがある」といいながらパラパラとめくると「長すぎる! こんなの読み終わるまでに夏休みが終わってしまう」と突き返してきた。このくらい頑張って読めよ、と言っても全く興味を示さなかったので、次に僕は芥川龍之介の「鼻」を見せた。

「鼻」のページ数を確認したSは「うーん、このくらいなら読めそうだ」と言った。そして「これ、委員長は読んだんだよね?」と確認してきた。  読んだよ、と僕は答えた。「どんな話か教えてくれよ」とSが言った。すると横にいたOが「内容を教えてもらったら、読書感想文にならないだろう」と言った。Sは「ちゃんと読むけどさ、すこし教えてもらった方が書きやすいと思ってさ」などと、よくわからない理由をごにょごにょと繰り返した。

Sは「じゃあ、これ借りるよ」と鞄の中に本を入れると、Oに「お前は借りなくていいのか?」と言った。Oは、僕は書き終わったからいいんだ、と言った。何を読んだんだよ、とSが聞いても、Oはニコニコと笑いながらはぐらかすようにして、読んだ本の題名を教えてくれることはなかった。


人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。(芥川龍之介 鼻より)


夏が終わりに近づく、ちょうど今くらいの時期になると、時々ここに書いたことを思い出す。中一の冬に転校してしまった僕は、あれから二人には会っていない。たぶん再会したとしても、お互いを認識できないと思う。それでもどこかで会う機会があるとするならば、Sには「鼻」の感想をOには何の本を読んだ…

「夏と悲運 中原中也」読書の記憶(九十八冊目)

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中学一年生の時の話。音楽の時間だった。授業が始まり、先生が教壇に立ち説明を始めた。ふいに先生と目があった。僕は、なんとなく苦笑いをした。特に何かがおかしかったわけでも、反抗的な態度を示したかったわけでもない。ただ先生と目があったのがなんとなく気まずかったので、反射的に口元緩めてしまったのだった。よくある話だと思う。

しかし音楽の先生は「それ」を見逃さなかった。あからさまに顔色を変え、僕に教室の前に出てきなさいと言った。そして教壇の前に立たせると「何がそんなにおかしいんだ」と言った。僕は「おかしかったわけではなくて、なんとなく笑ってしまいました」と答えた。正真正銘、これが素直な気持ちだった。 

先生は「何も面白くなくて、笑うわけがない」「何が面白かったのか説明しなさい」と追求してきた。どんなに追求されても、本当に意味がなかったのだから説明のしようがない。僕は、意味はありません、を繰り返した。

しかし先生は一向に納得しない。「理由もなく笑う人はいない」「先生はその理由が知りたい」「説明するまで授業はしません」と追求を続け、僕は「特に理由はありません」を繰り返すことになった。

何度かこの問答を繰り返した後、先生は「今日はもう授業する気分ではない。ここで終りにする」と授業の終了を宣言し、教科書を抱えて教室から出て行ってしまった。わずか10分くらいで授業が終わってしまった。教室には、奇妙な静けさだけが残った。

僕は、教室を出て職員室へ向かった。椅子に座っている先生のところに行き、「すみませんでした。授業をして下さい」と謝罪をした。 先生は「今日はもう授業をする雰囲気じゃないから終わり」と、全く相手にしてくれなかった。仕方なく僕は教室に戻った。みんなの前で、今日の授業はこれで終わりだと告げた。誰も何も言わなかった。そのまま時間が過ぎ、授業を終えるチャイムが鳴った。


夏と悲運 中原中也
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイーすると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。 
(中略)
すると先生は、俺を廊下に立たせるのだつた。俺は風のよく通る廊下で、随分淋しい思ひをしたもんだ。俺としてからが、どう反省のしやうもなかつたんだ。(夏と悲運 中原中也より)


中原中也「夏と悲運」 を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。今ならば、先生がなぜ授業を中断したのか、わかるような気がする。…

「同じ星 太宰治」読書の記憶(九十七冊目)

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小学生の時の話。同じクラスに「誕生日が同じ」男子が2人いた。彼らは双子でも親戚でもないのだが、偶然誕生日が同じなのだった。2人は、そんなに仲が良いわけではなく、見た目に共通点もなく(当然である)1人はおとなしく内向的で、もう1人は運動が好きな活発な男子だったと記憶している。

誕生日が同じという事は、いわゆる星座とか、そのような占いも同じなわけで「今日は、しし座のあなたはラッキー」とあれば2人とも喜ぶし「今日は、しし座のあなたは注意が必要な1日」とあれば、2人ともなんとなく落ち込むのである。誕生日は一生変更できないから、二人は一生同じ占いの結果を目にし続ける。冷静に考えてみると、なかなかシュールな風景ではないか。
同じ星 太宰治文藝年鑑に依つて、君が明治四十二年の六月十九日に誕生した事を知つた。實に奇怪な感じを受けた。實は僕も明治四十二年の六月十九日に誕生したのである。この不思議な合致をいままで知らずにゐたのは殘念である。飮まう。君の都合のよい日時を知らせてくれ。僕は詩人である。(同じ星 太宰治より)

太宰治「同じ星」を読んだ時、ここに書いたこと思い出した。現在私は、どちらとも交流がない。彼らがどのような環境で過ごし、どのような考えを形成し、どのような人生を送ってきたかを確認することはできない。ただ、彼らも私もみんな、それぞれ元気で、いつの日かどこかで、偶然に出会えたらおもしろい。その席で、それぞれの人生を照らし合わせながら、あれやこれを話してみたい。そんな日がくることを、楽しみにしたいと思う。


太宰治人間失格思ひ出富嶽百景トカトントン皮膚と心I can speak一問一答兄たち同じ星

「漱石と倫敦ミイラ殺人事件 島田荘司」読書の記憶(九十六冊目)

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大学生だった頃の話。漱石の「永日小品」を読んでいた時、僕の目はある一文に釘付けになった。


「いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭を忘れた御者かと思った」 (永日小品 夏目漱石より)

「ベーカーストリート!? シャーロックホームズじゃないか!」資料を調べてみると、漱石が個人授業を依頼して通っていたクレイグ先生の家は、ベイカー街の一本隣の道にあった。漱石はクレイグ先生の家に向かう際に、ベイカー街を歩いていたのだった。

さらに面白いことに、漱石が英国留学に出発したのは1900年の9月。シャーロックホームズが活躍していた時期とも一致する。もしかして、漱石はベイカー街でホームズとすれ違っていたのかもしれない……。もちろん実在の人物(漱石)と架空の人物(ホームズ)が出会うなんて、ありえない。そのくらいのことは、いくらなんでも自覚している。

それでも、場所と時代がここまで一致してしまうと想像が広がってしまうのは致し方ない。いつの日か、ロンドンを訪問する機会があれば、漱石とホームズの事を思い浮かべながらベイカー街を歩いてみたい。そんなことを考えているうちに、予想以上に時間が過ぎてしまっていた。今のところ、イギリスへ行く予定はない。それでも旅に出かける時は、いつだって急に決まることが多いので、旅立ちの心構えだけはしておこうと考えている。




島田荘司「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」
島田荘司氏の「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」は、ロンドン留学中の漱石とホームズ、そしてワトソンが出会い、事件を解決するという設定の作品である。


 「失礼しましたナツミさん、何かお困りのことでもありましたか? ずいぶん遅くまで読書や書き物をなさるようですが、そのこと関連のあることですかしら」 
ホームズがいきなりそう言ったので、日本人はひどく驚いた様子である。 
「どこかで私のことをお聞き及びですか」 (漱石と倫敦ミイラ殺人事件 島田荘司より)


先日、ひさしぶりに「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」を読み返してみた。漱石とホームズ、そしてワトソンが会話をしている情景が、最初に読んだ時よりもリアルに頭の中に浮かんできた。漱石は戸惑い、ワトソンは親身でやさしく、ホームズは猛然と馬車を走らせる。たぶん、三人はあの時のあの場所で出会っていたに違いない。いやきっと、そうなのだと思う。




夏目漱石 掲載作品
三四郎こゝろ夢十夜坊っちゃん虞美人草私の個…

「性に眼覚める頃 室生犀星」読書の記憶(九十五冊目)

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高校生のころの話。僕は「文学史」のテスト対策として、作品と作者名を暗記していた。「蟹工船 小林多喜二」「田園の憂鬱 佐藤春夫」「太陽のない街 徳永直」「山椒魚 井伏鱒二」・・・。そこには、まだ読んだことのない作品がずらりと並んでいた。僕は作品名から内容を想像したり、語呂合わせをしたりしながら、苦手な暗記を繰り返していた。

その中でも、圧倒的に覚えやすかったのが、室生犀星の「性に目覚める頃」だった。「抒情小曲集」は覚えるのに苦労したが「性に目覚める頃」は、ストレートに頭の中に入ってきた。題名から想像するに官能的な内容なのだろうか? いや「目覚める頃」だから少年期から青年期にかけての時期の作品だろう。そうすると、少年の妄想を中心とした作品で・・・いや、室生犀星は詩人だから、悲しみを含んだ「性」なのかもしれない。

そんなことを考えながら「室生犀星 = 性に目覚める頃」は、わずか数秒で頭の中に叩き込まれたのだった。ちなみに、実際にテストに出題されたかどうかは忘れてしまった。「抒情小曲集」は、模試か何かで出題されたような気もするが、はっきりとは覚えていない。


この犀川の上流は、大日山という白山の峯つづきで、水は四季ともに澄み透って、瀬にはことに美しい音があるといわれていた。私は手桶を澄んだ瀬につき込んで、いつも、朝の一番水を汲むのであった。上流の山山の峯うしろに、どっしりと聳えている飛騨の連峯を靄の中に眺めながら、新しい手桶の水を幾度となく汲み換えたりした。(性に目覚める頃 室生犀星より)


今年の五月の連休を利用して、金沢へ旅をした。旅先では、室生犀星が生活をしていた雨宝院を訪問した。住職から犀星についての説明を伺いながら、旅から帰ったら作品を読み返してみようと考えていた。

先日、時間ができたので「性に目覚める頃」を手に取った。住職に「ここが、当時の気配を色濃く残している場所です」と案内していただいた堂内の風景が頭に浮かんだ。塗香をして御本尊に手を合わせた時の香りの記憶も、ほのかに蘇ってきた。それは、やさしくも内に強い熱量を持った、あの青年期の気配に、どこか似ているような気がした。

「厠のいろいろ 谷崎潤一郎」読書の記憶(九十四冊目)

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今回は「厠 =トイレ」についての話である。清涼(?)な話ではないので、気になるような状況の人は、ここから先をお読みになる事はお勧めしない。

……読み進めているという事は、あなたは今「トイレ」の話をされても大丈夫と言うことですね? では続けていきたいと思う。
ボットン便所と、バキュームカー小学生の頃の話。その当時、私の家族が住んでいた借家は、水洗ではなく汲み取り方式のトイレだった。いわゆる「ボットン便所」というやつである。汲み取り式の便所は、アレが一定量貯まるとバキュームカーに来てもらって、汲み取ってもらうことになる。作業を始めたバキュームカーからは、独特の匂いが周囲に漂ってきて、下校途中にバキュームカー見つけたりすると「逃げろ!」と、息を止めて走り去ったものだった。
ある日のことだった。自宅のトイレの汲み取り口に、見たことがない厚手のゴム手袋が置いてあった。バキュームカーの人が、作業後に忘れていったのだった。私は「この手袋がなければ、作業ができないのではないか」と子供ながらに心配した。予備の手袋はあるのだろうか? それとも軍手などで代用するのだろうか? 
私は母親に「バキュームカーの人が手袋を忘れていった!」と報告した。母親は「ああ、忘れたのね」と言うと、地面に落ちていた手袋を拾って、臭気を抜く煙突(臭突というらしい)にぶら下げた。そして、その状態のまま数日が過ぎ、いつのまにか手袋は、そこからなくなってしまっていた。

便所の匂いには一種なつかしい甘い思い出が伴うものである。 (厠のいろいろ 谷崎潤一郎より)

谷崎潤一郎「厠のいろいろ」を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。そして思い出した瞬間、鼻の中にあの独特の匂いが戻ってきたような気がした。

「春の夜 芥川龍之介」読書の記憶(九十三冊目)

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「さっき、あなたに、そっくりの人を見ました」
会社勤めをしていた時の話。私はいつものように駐車場に車を停めて会社へ向かっていた。エレベーターの前で扉が開くのを待っていると、あとからやってきた同僚が、私の顔を見て驚いたような表情をした。
「佐藤さん、さっきあそこのコンビニのところにいましたよね」とその人は言う。 「駐車場からきたので、そっちには行ってませんよ」と私は答える。 「さっき、佐藤さんとそっくりの人をコンビニで見たんですよ。あれは、佐藤さんのドッペルゲンガーかもしれない」
私はその同僚から、ドッペルゲンガーの説明と「自分のドッペルゲンガーに会うと、死んでしまうらしい」などという物騒な話を聞かされることになった。私は「死ぬのは嫌だが、そんなに似ている人がいるなら見て見たい」と恐怖よりも好奇心の方が勝り、時折そのコンビニを覗いてみたりしたのだが、結局その会社に勤めている間に、ドッペルゲンガーらしき人物を見かける事はなかった。

春の夜 芥川龍之介 誰か一人ぶらさがるように後ろからNさんに抱きついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかりではない。五分刈りに刈った頭でも、紺飛白らしい着物でも、ほとんど清太郎とそっくりである。(春の夜 芥川龍之介より)


「清太郎?――ですね。あなたはその人が好きだったんでしょう?」(春の夜 芥川龍之介より)

芥川龍之介の「春の夜」を読んだ時、ここに書いた事を思い出した。あれから今まで、私は自分のドッペルゲンガーに会ったことはない。おそらくこれからもないだろう。でも自分の「それ」ではなく、むかし気になっていた女性の「それ」には、会ってみたいような気がする。
芥川龍之介 春の夜

芥川龍之介トロッコ芋粥大川の水蜜柑微笑槍ヶ岳紀行魔術漱石山房の秋鑑定早春愛読書の印象杜子春春の夜

「井伏鱒二は悪人なるの説 佐藤春夫」読書の記憶(九十二冊目)

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「井伏さんは、悪い人」高校生の頃「太宰治は遺書に『井伏さんは悪い人です』と書いた」という資料を目にした。その時私は「井伏鱒二 =山椒魚の作者」程度の知識しかなかったので「遺書に書かれるくらいなのだから、井伏はよほど悪い人なのだろう」と思っていた。


「井伏さんは、いい人」
数年後、太宰と井伏との関係について書かれた資料を読む機会があった。それによると井伏と太宰は師弟関係にあり(井伏が師匠格)太宰の妻である美知子夫人との仲人をするくらい面倒見の良い人だということがわかった。悪い人どころか、太宰にとっては恩人だったのだ。この資料を読んだ時から私の中での井伏鱒二への評価は、瞬時に「とてもいい人」に変更された。


「井伏鱒二は悪人なるの説 佐藤春夫」 
そこからさらに数年後、佐藤春夫の「井伏鱒二は悪人なるの説」を読んだ。

太宰の奴はその死を決するに当つて、人間並にも女房や子供がかはいさうだなといふ人情が湧いたのである。(中略) 所詮人並の一生を送れる筈もないわが身に人並に女房を見つけて結婚させるやうな重荷を負はせた井伏鱒二は余計なおせつかいをしてくれたものだな。あんな悪人さへゐなければ自分も今にしてこんな歎きをする必要もなくあつさりと死ねるのだがなあ。 (佐藤春夫「井伏鱒二は悪人なるの説」より)

「自分が死ぬことで、残された家族には可哀想な思いをさせる。これはつまり、井伏鱒二が妻を紹介してくれたことが原因である。井伏が紹介しなければ、自分は結婚しなかったし、家族もできなかった。一人ならばあっさりと死ぬ事ができる。井伏はなんて罪深いことをしてくれたのだ、と太宰は考えたに違いない。だから、太宰にとって井伏は悪人なのだ」と、佐藤春夫は推測している。

いやはや、とんでもない責任転換だ。身勝手な理屈だ。そんなことで「悪人よばわり」された日には、いったいどのような人間が「いい人」と呼べるのだろう。これが本当ならば、かなり困った人である。  

実際のところは「好漢井伏鱒二を知る程の人間で太宰の宣言を真に受ける愚人も居ない(井伏鱒二は悪人なるの説)」という状況だったので、太宰の主張を真に受ける人はいなかったようだし、むしろ「このようなことを書いてしまう太宰のことさえも、親身に面倒を見た」ということで、井伏の株はあがったのかもしれない。

どちらにしても、ひとつの視点で判断することなく、複数の視点から真偽を確認…

「犯罪 横光利一」読書の記憶(八十九冊目)

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逃げたセキセイインコと、留まったセキセイインコ
中学生の頃、自宅で二羽のセキセイインコ飼っていた。オスとメスのつがいで、いつも仲良く止まり木に並び、話をするように鳴いていた。

飼い始めてから数ヶ月が過ぎた頃、メスのインコが、くちばしで鳥籠の入り口の格子戸を器用に開け閉めするようになった。 カシャン、カシャン、と格子戸を上下させる音を耳にする度に、ああ、またやってる。そのうち鳥籠から出て行ってしまうんじゃないか、と考えた。しかし開けることはできても、外に出ようとした瞬間に閉じてしまうから実際に出て行くことはないだろう、とも考えていた。

それから数週間後、籠の中には雄のインコが一羽だけになっていた。雌のインコは自分で格子戸を開けて逃げてしまったのだった。一羽になったインコは、どこか寂しそうに見えた。かわいそうだから新しいインコを探してこようか、と家族で話しつつも結局そのまま時間が過ぎていった。

そして数年後、インコは一羽で静かに息をひきとった。何の予兆も前触れもなく、ある日突然、籠の中に小さくなって倒れていた。それを最初に見つけたのは誰だったろう。あの小さい体をどこに埋めてやっただろう。今ではもう、なにもかもすっかり忘れてしまった。


「逃がしてやらう」私は籠の格子戸を開けた。然れ共彼女は容易に出なかつた。で、反対の方を叩くと漸つと出て、庭の上をピヨンピヨン飛んで、植木鉢の楓の下を出たり入つたりしてゐた。(犯罪 横光利一より)


横光利一の「犯罪」を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。逃げていった彼女と、ここにとどまった彼。そのどちらが幸せな一生だったのだろう。彼は、外へ出たいと思っていただろうか。彼女は、彼に会いたいと思うことはあっただろうか。二人はまた、再会することができただろうか。


横光利一時間頭ならびに腹犯罪

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹」読書の記憶(八十七冊目)

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今から数年前の話。友人の看護師さんから「村上春樹を読んでみたいと思うのだけど、何かオススメはありますか?」と質問されたことがあった。その時僕は、ちょうど読み返していた「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を薦めることにした。彼女が普段選んでいるような本や話題に上る内容から考えて、この本がちょうどいいのではないか、と思ったからだ。

彼女は「わかりました」と答えた。僕は「よかったら、貸しましょうか?」と言いかけて止めた。他人から本を借りてしまうと「読まなければいけない」という義務感が生じてしまう。貸した方も「あの本はどうだったかな」と感想を聞きたくなる。でも、彼女は本当に読みたいと思って質問したわけではなく、話の流れでなんとなく口にしただけかもしれない。

いや本当に読みたいと思っていたとしても、彼女は普段、仕事でとても忙しくしているということを聞いていたから、そもそも長編を勧めたのは間違いだったかもしれない。まずは読みやすい短編にするべきだったのかもしれない。一応短編も勧めておこうか。そんなことを考えているうちに時間になり、その日はそこで話が終わりになった。


2週間が過ぎた。彼女からメールが届いた。そこには「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを読みました。とても面白かったので〇〇を買っちゃいました」と書かれてあった。そう、彼女は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を購入して読み終え、さらに新しい作品を購入していたのだった。

本を読むのは楽しい。そして、それを誰かに勧めた時に「おもしろかった」と言ってもらえたら、さらに楽しくうれしい。僕はパソコンのディスプレイの前で、ひとりニヤニヤしながら、今度会う時に感想を聞かせて下さい、と返信した。



彼女の首筋にははじめて会ったときと同じメロンの匂いがした。私は苦労して体の向きを変え、彼女の方を向いた。それで我々はベッドの上で向きあうような格好になった。 (世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドより)


先日、本棚を整理してる時に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が目に止まった。日に焼けて擦れて、背表紙の作者名が半分消えかけてしまったピンク色の装丁は、初めてこの本を手に取った時からだいぶ時間が過ぎてしまったことを実感させてくれた。

彼女は今、何の本を読んでいるのだろう。あれからどんな作品に出会い、どのようなこ…

「名人伝 中島敦」読書の記憶(八十六冊目)

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バットに当てるだけなら、どんなに速い球でも当てられる。

大学生だった時の話。友人達とバッティングセンターへ行くことになった。それぞれが適当に楽しんでいると、元野球部のK君が「一番速い球を打ちたい」と言い出した。僕たちはK君に付いていき、そこのバッティングセンターで、一番早いマシンの所へ行った。詳しい球速は忘れてしまったが素人の僕たちから見ると、シュンという音は聞こえるものの、ほとんど球が見えないような速さに感じられた。

K君は素振りをすると、おもむろに硬貨を投入した。マシンから放られた球に向かって何度かバットを振った。すべて空振りだった。「やっぱり現役の時とは違うなぁ」とK君はぼやいた。

友人の一人が「こんなの本当に打てるの? バットに当たる感じすらしないんだけど」と、少し挑発気味に言った。K君は「当てるだけなら、いくらでも当てられるよ」とバントの構えをすると、飛んできた打球をバットに当てた。金属バットのコーンという音がした。

「おお、本当に見えているんだ!」 

僕たちは歓声を上げた。K君は、だから当てるだけなら当てられるんだって、と繰り返すとバットを持ち直した。初回の球数が終わった。K君は躊躇せずに硬貨を追加した。その回も終わりに近づき始めたころ、何球かバットに当たるようにはなってきたものの、そこから快音が聞こえることはなかった。

K君が外に出てくると、入れ替わりで別の人がボックスに立った。僕たちよりもやや歳上に見える、がっしりとした体格の人だった。その人は、数回ゆったりとしたフォームで素振りをした。硬貨を投入した。カキーン、カキーンと、いいペースで球を打ち始めた。打てる人には打てるんだなあ、と誰かが言った

「名人伝 中島敦」

視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。(名人伝 中島敦より)

名人伝の紀昌は、弓矢の師匠から「小さなものが、大きく見えるようになるまで修行をするように」と告げられる。紀昌は三年の修行の結果、 ある日ふと気が付くと、



窓の虱が馬のような大きさに見えていた。 (名人伝 中島敦より) 

ことに気がつく。厳しい修行の成果で、微かなものが大きなものに見える「目」を習得することができたのだった。


この部分を読んだ時、バッティングセンターの出来事を思い出した。素人には線にしか見えない球速でも、経験…

「葉 太宰治」読書の記憶(八十五冊目)

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背が高い人は、他の人よりも頭を下げなければいけない

小学六年生の時の話。僕たちは、体育館で卒業式の予行練習をしていた。全員で椅子から立ち上がり、正面に向かって一礼した時だった。ある先生が、僕のところにやってきて背中をトントンと叩いて言った。


 「あんた、背が大きいのだから、他の人よりも深く頭を下げないとダメなんだよ」 

その当時の僕は、わりと身長が高い方だった。たしか、学年で三番目くらいの身長だったと思う。いや五番目だったかもしれない。とにかくその先生は、僕の頭を下げる角度が浅いので「遠くから見ると、あんたの頭だけが上に飛び出ているように見えた」と注意にやってきたのだった。


僕は、その先生の前で立ったまま一礼を繰り返した。地面に向かって90度というよりは、135度よりも深く。先生から「良し」をもらうには、自分が想像していたよりも、ずっとずっと深く頭を下げなければいけなかった。  


「背が高いと偉そうに見えるから、他の人よりも頭を下げないといけないんだよ」

それ以来僕は、自分の身長を気にするようになった。背が高いと偉そうに見える。先生に注意される原因にもなる。できるだけ頭を下げて、目立たないようにしなければならない。自分が思っているよりも、深く深く頭を下げなければいけない。背が高いということは、色々と周囲に気を配らなければいけない。小学校の時の僕は、そう体験から学んだのだった。



お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい 。 太宰治「葉」より

太宰治の「葉」を読んだ時にこの時のことを思い出した。僕が少し猫背気味なのは、あの時先生に注意されたことが原因なのかも、しれなく、もない。


太宰治人間失格思ひ出富嶽百景トカトントン皮膚と心I can speak一問一答兄たち同じ星

「真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen) 宮澤賢治」読書の記憶(八十四冊目)

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私が、会社を辞めた時の話
会社を辞めた時の話。退社願いを提出した時には、確固たる思いがあった。主観的にも客観的にも「自分はこの会社を辞めるべきである」という理由が揃っていると考えていたから、全く迷いがなかった
ところが予定の退社日が近づき、二週間を切ったあたりから、少しずつ心の奥のほうにざわざわとする感覚が芽生えてきた。作業の手を止めて見慣れた社内を見渡すと、そこには一緒に仕事をしてきた仲間達がいる。自分がこの会社を辞めてこの場所からいなくなったとしても、彼らはこうやって仕事を続けていくのだ、と考えると不可思議な感じがした。いや、不可思議というよりは「自分は、この場所を離れることを寂しいと思っている」という気持ちがあることに気がついたのだった。
よくよく考えてみれば、それなりの手間をかけてこの会社の入社試験を受け、それなりに仕事をこなして、それなりに評価を得ることができた。退社するという事は、そのような積み重ねてきた時間を全てリセットすることになる。築き上げてきた仲間たちとの関係も切り捨ててしまうことになる。そんな気持ちが混ざり合って「寂しい」という気持ちになっていたのだった。

しかし、今までの人生を思い返してみても「寂しい」というような感覚になった事は、ほとんどなかったように思えた。忘れてしまっているだけなのかもしれないが、子供の頃から過ぎ去っていくこと、失ったものに対して気持ちを向ける事は、さほど多くなかったと思う。親の仕事の都合で引越しをしたり、転校を繰り返した経験があったことも影響しているのかもしれない。
それでも今、自分は「寂しい」という気分を感じている。どうしてなのだろう? これが年齢を重ねると言うことなのか? いやまさか、どうなのだろう?

仕事終えた私は、車に乗って帰宅の道についた。駐車場を出て、この道を通るのもあと数回だな、などと考えた。カーステレオの再生ボタンを押して、ボリュームを少しあげた。何十回と繰り返し聞いたアルバムの一曲が、頭の中に飛び込んできた。文字通り、飛び込んできた。私は、車のハンドルを指で叩きながら、曲に合わせて歌詞を口ずさんだ。まあ、なんとかなる、と思った。なんとかなる。いや、なんとかしていくのだ。


おれはやつぱり口笛をふいて 大またにあるいてゆくだけだ
真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen)宮澤賢治 より

宮沢賢治の「真空…

「頭ならびに腹 横光利一」読書の記憶(八十二冊目)

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待つのが吉か、移動するのが幸せか?
レジの列に並ぶ時、自分が並んでいる列よりも隣の列の方が先に進みそうに感じることがある。車を運転していて渋滞にぶつかった時、迂回できそうなルートに移動しようか、このまま待つか迷うことがある。若い頃には「少しでも早い方が勝ち!」と、小まめに移動する方を選択することが多かった。ほんのわずかな差でも「こちらを選んで正解!」と感じる方へ即座に動いていた。

しかし、年齢を重ねて40代に突入したあたりから「多少の誤差ならば、待つのが吉」と(絶対的な確信がある場合を除いて)そのままの状態を維持することが多くなってきた。これが「丸くなる」と、いうやつなのだろうか? 忍耐力が身についてきたのだろうか? 経験を積むことで洞察力が増し、効率重視の行動を慎むようになってきたのだろうか? ……いやたぶん、体力が衰えて移動が「めんどう」になったからかもしれない。


「皆さん。お急ぎの方はここへ切符をお出し下さい。S駅まで引き返す列車が参ります。お急ぎのお方はその列車でS駅からT線を迂廻して下さい。」(頭ならびに腹 横光利一より)


しかし実際のところ「留まる」のと「移動する」のでは、どちらが心地よい人生になるのだろう?「移動」は成功する場合もあるけれど、失敗することも少なくない。変化の刺激は気分転換になるけれど、その刺激は継続しにくい。
すると、多少の忍耐は必要になるけれど、総合的には「留まる」方が、やや優勢なのではないか。 大抵はどっしりと構え、タイミングを見て蓄積した力で大きく動く。鮮烈さは与えにくいが、深く刻みこむならばこちらだろう。



さて?
さて?
さて? (頭ならびに腹 横光利一より)


年齢を重ねることで失うものが目につきやすいけれど、得られるものもきっとある。それまでとは手触りが異なった「何か」を、見つけられるようになる。横光利一の「頭ならびに腹」を読みながら、そんなことを考えました。


横光利一時間頭ならびに腹犯罪

年齢について、考えてみる。(番外編)

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芥川龍之介(35歳)

宮沢賢治 (37歳)

太宰治(38歳)

三島由紀夫(45歳)
夏目漱石(49歳)

さて、ここに並べた文豪の年齢が何を表しているか、お分かりでしょうか? (30代が3名に、40代が2人。何か法則のようなものでもあるのだろうか? いや、それとも・・・) 


はい。では、考えてみてください。制限時間は「3秒」
↓↓↓ 3
   ↓↓2  
      ↓1
        ↓0!


時間切れです・・・さあ、答えは?
(答)亡くなった年齢

学生のころ教科書で見た芥川の写真は知的で思慮深くて、だいぶ年齢が上に見えました。バーの椅子に腰掛けている太宰は大人びていて「作家先生」という趣が感じられました。このように年齢を重ねていきたいものだ。 そう思わせる雰囲気がありました。

そして気がつくと私は、彼らが亡くなった年齢をとうに追い越していました。しかし残念ながら、外見も内面も彼らとは雲泥の差です。渋みも深みもありません。そして40代に入ると、時間の速さは加速度を上げていきます。個人的体感でいうと、30代の1.35倍ほどの速さで過ぎるように感じられます。この調子でいくと漱石が亡くなった年齢まで、あっという間なのではないか?

自分と文豪を比較するのはおこがましいですけれども「これはもう、うかうかしていられない」と、しみじみ思ったのでした。


芥川龍之介と宮澤賢治 20代の時の文体 <