「井伏鱒二は悪人なるの説 佐藤春夫」読書の記憶(九十二冊目)
「井伏さんは、悪い人」
高校生の頃「太宰治は遺書に『井伏さんは悪い人です』と書いた」という資料を目にした。その時私は「井伏鱒二 =山椒魚の作者」程度の知識しかなかったので「遺書に書かれるくらいなのだから、井伏はよほど悪い人なのだろう」と思っていた。
「井伏さんは、いい人」
数年後、太宰と井伏との関係について書かれた資料を読む機会があった。それによると井伏と太宰は師弟関係にあり(井伏が師匠格)太宰の妻である美知子夫人との仲人をするくらい面倒見の良い人だということがわかった。悪い人どころか、太宰にとっては恩人だったのだ。この資料を読んだ時から私の中での井伏鱒二への評価は、瞬時に「とてもいい人」に変更された。
「井伏鱒二は悪人なるの説 佐藤春夫」
そこからさらに数年後、佐藤春夫の「井伏鱒二は悪人なるの説」を読んだ。
太宰の奴はその死を決するに当つて、人間並にも女房や子供がかはいさうだなといふ人情が湧いたのである。(中略) 所詮人並の一生を送れる筈もないわが身に人並に女房を見つけて結婚させるやうな重荷を負はせた井伏鱒二は余計なおせつかいをしてくれたものだな。あんな悪人さへゐなければ自分も今にしてこんな歎きをする必要もなくあつさりと死ねるのだがなあ。 (佐藤春夫「井伏鱒二は悪人なるの説」より)
「自分が死ぬことで、残された家族には可哀想な思いをさせる。これはつまり、井伏鱒二が妻を紹介してくれたことが原因である。井伏が紹介しなければ、自分は結婚しなかったし、家族もできなかった。一人ならばあっさりと死ぬ事ができる。井伏はなんて罪深いことをしてくれたのだ、と太宰は考えたに違いない。だから、太宰にとって井伏は悪人なのだ」と、佐藤春夫は推測している。
いやはや、とんでもない責任転換だ。身勝手な理屈だ。そんなことで「悪人よばわり」された日には、いったいどのような人間が「いい人」と呼べるのだろう。これが本当ならば、かなり困った人である。
実際のところは「好漢井伏鱒二を知る程の人間で太宰の宣言を真に受ける愚人も居ない(井伏鱒二は悪人なるの説)」という状況だったので、太宰の主張を真に受ける人はいなかったようだし、むしろ「このようなことを書いてしまう太宰のことさえも、親身に面倒を見た」ということで、井伏の株はあがったのかもしれない。
どちらにしても、ひとつの視点で判断することなく、複数の視点から真偽を確認していくことが重要なのは、今も昔も間違いなく真実のようである。