「真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen) 宮澤賢治」読書の記憶(八十四冊目)


会社を辞めた時の話。退社願いを提出した時には、確固たる思いがあった。主観的にも客観的にも「自分はこの会社を辞めるべきである」という理由が揃っていると考えていたから、全く迷いがなかった。

ところが予定の退社日が近づき、二週間を切ったあたりから、少しずつ心の奥のほうにざわざわとする感覚が芽生えてきた。作業の手を止めて見慣れた社内を見渡すと、そこには一緒に仕事をしてきた仲間達がいる。自分がこの会社を辞めてこの場所からいなくなったとしても、彼らはこうやって仕事を続けていくのだ、と考えると不可思議な感じがした。いや、不可思議というよりは「自分は、この場所を離れることを寂しいと思っている」という気持ちがあることに気がついたのだった。

よくよく考えてみれば、それなりの手間をかけてこの会社の入社試験を受け、それなりに仕事をこなして、それなりに評価を得ることができた。退社するという事は、そのような積み重ねてきた時間を全てリセットすることになる。築き上げてきた仲間たちとの関係も切り捨ててしまうことになる。そんな気持ちが混ざり合って「寂しい」という気持ちになっていたのだった。


しかし、今までの人生を思い返してみても「寂しい」というような感覚になった事は、ほとんどなかった。忘れてしまっているだけなのかもしれないが、子供の頃から過ぎ去っていくこと、失ったものに対して気持ちを向ける事は、さほど多くなかったと思う。親の仕事の都合で引越しをしたり、転校を繰り返した経験があったことも影響しているのかもしれない。

それでも今、自分は「寂しい」という気分を感じている。どうしてなのだろう? これが年齢を重ねると言うことなのか? いやまさか、どうなのだろう?


仕事終えた私は、車に乗って帰宅の道についた。駐車場を出て、この道を通るのもあと数回だな、などと考えた。カーステレオの再生ボタンを押して、ボリュームを少しあげた。何十回と繰り返し聞いたアルバムの一曲が、頭の中に飛び込んできた。文字通り、飛び込んできた。私は、車のハンドルを指で叩きながら、曲に合わせて歌詞を口ずさんだ。まあ、なんとかなる、と思った。なんとかなる。いや、なんとかしていくのだ。



おれはやつぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ

真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen)宮澤賢治 より


宮沢賢治の「真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen)を読んでいた時に、ここに書いたことを思い出した。周囲からの強制ではなく、自分の意思で選んだ道なのだから、堂々と歩いて行った方がいい。口笛を吹きながら、大股で歩いていくだけのことなのだ。

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