ポラーノの広場 (宮澤賢治) 読書の記憶 二十三冊目
ボクのボストンバック
小学二年生の時の話。
その頃ぼくは、緑色の小さなボストンバッグを愛用していた。大きさも重さも小学生の頃の僕にはちょうど良いサイズで、どこかにでかける時には、いつもそれを持ち歩いていたものだった。
学校の課外授業として、どこかの施設を見学に行くことになった時にも、僕はいつものようにそのバックを持ってでかけることにした。中にはノートと筆記用具。それから、プリント類を入れていたような気がする。他にもハンカチなどを親に持たされたような気もするけど、詳しくは忘れてしまった。
施設の見学は順調に進み、帰りの電車に乗って学校へ帰る時のことだった。僕達を乗せた電車は、何事もなく予定の駅に到着した。生徒は我先にとホームへ降りて行った。僕もその流れに続いて先を急いだ。賑やかな集団が駅舎からゾロゾロと外に出てきて、駅前の広場に整列した時のことだった。
僕は、右手に持っていたはずのボストンバッグがないことに気がついた。でも、なぜそれがないのかを理解することができなかった。空っぽの右手を覗きこみながら「あれ? あれ?」と繰り返しているだけだった。
少ししてから、僕は自分がボストンバッグを電車の中に置き忘れてしまったらしい、という結論に辿りついた。その段階になり、ようやく事の重大さに気がついた僕は、あわてて担任の先生に相談することにした。先生は駅に問い合わせて、カバンが車両に残っていないかを調べて欲しいと、頼んでくれた。そして「駅員さんが調べて後で連絡してくれるそうだから、一度学校に帰ろう」と言ってくれた。
そこから先の記憶は、ほとんど残っていない。「バックの中には何が入っているの?」「手帳と筆記用具です」と、そんな会話をしたような気がする。友達から、大丈夫? と声をかけてもらった記憶もある。「そういえば降りる時に、椅子の上にバックが置いてあったのを見た」と言い出す子もいた。僕は、そんな言葉に耳を傾けてはいたけれど、少しも頭の中にははいってこないことを感じていた。
結局、緑色のボストンバッグは見つからなかった。僕は、電車の椅子の上にぽっんと置き去りにされたバックが、電車に乗って遠くまで行ってしまう様子を想像した。今すぐにでも、あの電車を追いかけて、バックを探しに行きたいと思った。そしてそれは、小学生の僕には到底無理なことで、自分の不注意を受け止めて諦めるしかなかった。