読書の記憶 七十二冊目 「注文の多い料理店 新刊案内 宮沢賢治」

「犬が走って、こちらへやってきた」

今あなたの頭の中には「犬」の姿が思い浮かんだことだろう。それは自分の家で飼っている犬であったり、友人や知人の犬、もしくは歩いてる途中に見かけた散歩中の犬、今までに様々なところで出会ってきた犬が、思い浮かんだと思う。


さらに、犬が好きな人ならば「かわいい」「楽しそう」「きっと耳を寝かせながら、跳ねるようにして、一生懸命にこっちに向かっているんだろうな」などと、楽しい感情がわき起こっているだろう。

犬が苦手な人ならば、過去に犬が苦手になった体験を思い出して、「走ってきたから逃げなくちゃ」「怖いなぁ」というような感覚を思い起こしているだろう。「やっぱり私は猫がいいな」と考える人もいるだろう。


「犬が走って、こちらへやってきた」



全く同じ一文であったとしても、頭の中に浮かぶイメージは、十人いれば十人が異なる。
言葉は過去の記憶とつながってできているから、同じ過去の記憶を持った人は存在しない。それらのフィルターを通して広がっていくイメージと感情が「まったく同じ」になることはありえないからだ。


イーハトヴは一つの地名である。(中略)じつにこれは著者の心象中に、このような状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である(注文の多い料理店 新刊案内 より一部抜粋) 
この童話集の一列は実に作者の心象スケッチ一部である。(同)

宮沢賢治の「注文の多い料理店 新刊案内」の中に、このような部分がある。学生の頃にこの文章を読んだ時は、あまり意味がわからなかった。つまりこれは賢治の空想の世界ということなのか。

それとも賢治だけに見える特殊な世界なのか、いや答えなんて何もなくて「作品」としてこの言葉自体を楽しみ、思考を試みるところに意味があるのか、そんなことを考えていた。


これらはけっしてでも空でも窃盗でもない。多少再度内省分析とはあっても、たしかにこのとおりその時心象の中にわれたものである。(同)
そして、今、私はこんな風に考えている。
賢治が現実の世界に目を向け、それに対して考察を行った時、賢治のフィルターを通して取り込んだ彼の頭の中には「ドリームランド」が映っていたのだと思う。作者はそこに感じる風と光と感情を「スケッチ」し、書き留めたのではないかと思う。


※参考:言葉は「過去の記憶」で、できている。

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