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「愛読書の印象 芥川龍之介」読書の記憶(六十六冊)

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「人の名前や地名」を覚えることが苦手だった。映画や小説を読んでいる時に「〇〇はどうした?」などのセリフが出ると「〇〇って誰だった?」と前に戻って調べる事も少なくない。というより、かなりある。暗記法のようなことを試してみたこともあったのだけど、やはりうまくいかない。 思い出せないもどかしさ。これはわりと深刻な ストレスである。 以前、勤めていた進学塾の塾長先生は生徒の名前を覚えることがとても早く、入会したばかりの生徒でも「〇〇さん、英語の授業はどうでしたか?」と、名前を呼んで話しかけているのをよく目にした。一度「どうやれば、そんなに早く生徒の名前を覚えられるのですか?」と聞いてみた。すると「私がこの仕事を始めた時に、先輩から『まずは生徒の名前を覚えること』と言われたので、それをずっと実行している。特にコツのようなものはない」という言葉が返ってきた。やはり努力の賜物なのだな、と感心した。それから心を入れ替えて覚えようと試みたものの、なかなかうまくいかないので、結局常に名簿を持ち歩いて、名前を呼ぶ時には確認するようにしていた。つまりそう、挫折したのだった。 最近ではスマートフォンを持ち歩いているので、わからないことがあればすぐに検索して調べてしまう。細かな事を覚える必要がなくなってきたので、この調子で行くと、ますます記憶力が衰えていくのではないか? といささか不安にもなったりしている。 しかしそのかわり、と言ったら変かもしれないが、映画の場面や小説の一文などは割と細かいところを覚えていることも多いので記憶力全体をプラスマイナスで考えたら、なんとか「ややマイナス」まで戻せるのかな、と自分自身を庇ってみた。 愛読書の印象 芥川龍之介 芥川龍之介 「愛読書の印象」の中に 「一時は「水滸伝」の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。(愛読書の印象 芥川龍之介より)」 と言う一文がある。芥川は「よし、一百八人を全員覚えよう」と気合を入れて覚えたのだろうか。それとも繰り返し読むうちに、なんとなく覚えたのか?  そこまでは書かれていないのでわからないけれど、想像してみるに「ちょっと本気を出してみようかな」と、三日くらい集中して覚えてしまったのではないか? いや、芥川はかなりの速読&多読だったらしいので、あの天才的な頭脳と組み合わ

「早春 芥川龍之介」読書の記憶(六十五冊)

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僕は、待ち合わせをする時は大体15分前には、目的地周辺に到着するようにしている。周辺をぶらぶらと散歩しつつ、時間になったら待ち合わせの場所に向かうことが多い。几帳面と言うよりは、時間ギリギリに出発して渋滞などに巻き込まれたりして「間に合うか? 大丈夫か?」などと気にして焦るのが嫌なので、それなら少し早めに行ってゆっくり行動した方がいい、と思っているからだ。 しかし、一度だけ相手を1時間ほど待たせたことがある。あれは僕がまだ学生で、携帯電話もメールも存在していなかった時代のことである。 その時も僕は、時間通りに向かったつもりだった。ところが相手は僕が到着する 1 時間前にそこに到着していて待っていたのだと言う。話を聞いてみると事前の電話で僕が、「 3 時の待ち合わせにしよう。あ、でも 2 時でも大丈夫かな。いややっぱり 3 時かな」と言ったのだそうだ。 相手はメモを残していなかったので、2時か3時か記憶が曖昧になってしまい、待ち合わせ当日、僕の家に電話をかけて確認しようとしたらしい。ところがすでに僕は外出していて連絡が取れなかったので、2時に来たのだと言う。今ならば、メールや携帯電話ですぐに確認できる。しかし当時はメールはもちろん、携帯電話どころか電話も家に一台しかなかったので、タイミングを外すとこんなことになってしまうのだった。物心がついた頃から、既に携帯電話を知っている世代の人達には、考えられないエピソードだと思う。 早春 芥川龍之介 二時四十分。  二時四十五分。 三時。  三時五分。 三時十分になった時である。中村は春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、人気のない爬虫類の標本室を後ろに石の階段を下りて行った。いつもちょうど日の暮のように仄暗い石の階段を。 「芥川龍之介 早春より 一部抜粋」 芥川龍之介 の「早春」を読んだとき、この時のことを思い出した。あれからもう 20 年以上の時間が過ぎた。あの時から今まで、相手を 1 時間以上も待たせた事は今のところ 1 度もない。多分ない。いや忘れていなければきっとない。 芥川龍之介   トロッコ   芋粥   大川の水   蜜柑   微笑   槍ヶ岳紀行   魔術   漱石山房の秋   鑑定   早春   愛読書