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小僧の神様 (志賀直哉)読書の記憶 十二冊目

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大学に進学して上京した時の話。
受験勉強から解放された爽快感。一人暮らしで自由な時間を存分に楽しめるという充実感。自分が好きなことを好きなだけやることができるのだ。何がなんだかわからないけれど、とにかく自由だという喜び。それらの気持ちが混ざり合って高揚した気分の中、一人暮らしがスタートしたばかり時の話。

それまでの僕は、一人で食事をするという習慣がなかった。いや、もちろん普段の食事は一人で済ませることもあったけれど、一人で外食して店に入って食事をするということが数えるほどしかなかったのだ。これから一人暮らしを始めるにあたって、一人で外食する機会も増えるだろう。まずは近場の定食屋などを巡ってみたりしながら、少しずつ活動範囲を広げていこう。

そんなことを考えながら、僕はまず最寄りの駅近くの蕎麦屋に入ってみることにした。小さなテーブルが3つとL字のカウンター席があるだけの店。午後の2時を少し過ぎたあたりだったせいか、僕以外に客はスーツを着た会社員が一人しかいない。店主と思われる、50代くらいの男性が厨房の奥の方で何か作業をしている。僕は、志賀直哉の「小僧の神様」の主人公が「こんな事は初めてじゃない」と、慣れたふりをして寿司屋に入っていく場面を思い出しながら、いかにも常連客のような平静さを装いつつカウンターに座りテーブルの上にあった数週間前の週刊誌をめくるような素振りをしてみせた。


僕の予想では「いらっしゃい」と、店員が水のはいったコップを僕の前に置いて注文を聞いてくれるはずだった。ところが待てど暮らせど、店員はこちらへはやってこない。
斜め向かいの会社員は、蕎麦らしきものを食べ終えて新聞をめくっている。間違いない。ここは蕎麦屋で、蕎麦を提供してくれる場所である。僕が間違えているわけではない。もしかして店員が、僕に気がついていないのではないか? のんきに数週間前の雑誌を読んでいる場合ではないのではないか? それとも、この店独自のルールでもあるのか? 

僕は椅子から少し腰を上げて、あの、というように奥の方にいる店員に呼びかけてみた。その店員は、食券買って、と入口の横の方を見た。僕は彼の視線の先を見た。食券販売機があった。僕はあわてて販売機の方に行って食券を買いカウンターに置いた。会社員は新聞を読んでいた。僕の頭の中にはまた「こんな事は初めてじゃない」の一文が思い浮かんでいた。

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こゝろ (夏目漱石)読書の記憶 十一冊目

子供のころ「一生のうちに、何冊本を読めるだろう」と考えたことがあった。「1日1冊ペースだと一年で365冊。10年だと3650冊。すると、10000冊読むには、だいたい30年くらいかかるのか。30年なんて永遠に未来のような気がするな」

そしてあの日から、おおむね30年が経過したわけだけど、実際のところ僕は何冊の本を読んだのだろう。精読した本だけではなく、資料として部分読みをした本や雑誌なども含めれば8000冊は読んだ・・・いや、少なくとも5000冊は読んだだろうか。いや7000冊くらいは。


時間には限りがあるし、なるべく多くの本を読みたいから、同じ本は繰り返し読まないようにしている。それでも、定期的に読み返してしまう本がある。その一冊が夏目漱石の「こころ」である。

高校生のころ、音楽とバイクに夢中になっていた僕は、小説の類いを読まなくなっていた時期があった。特に「文学なんてカビ臭いもの誰が読むっていうんだよ」というようなロックっぽい反骨精神があったわけでもなく、ただなんとなく手が伸びなかったのだ。
そんなある日。教科書に収録されていた漱石の「こころ」を読んだ。純粋に「もっと読みたい」と思った。続きが読みたい。自分が読みたいと思っていたのはこれだ。と、いうようなことを少し興奮気味の頭で思った。学校帰りに書店に寄って、新潮文庫の「こころ」を手にとった。えんじ色の背表紙が、なんとなく漱石っぽいと思ったからだ。

本の値段は、わずか数百円だったのだけど、懐の寂しい高校生にとっては少々勇気が必要な金額だった。いやいや、大袈裟ではなく、お金があれば一枚でも多くCDを手に入れたいと思っている高校生にとっては、数百円でさえも大きな決断が必要だったのだ。たぶんみなさんにも、そんな時期があったのではないかと思う。

結局、その日は断念したものの、数日後無事に「こころ」を購入することができた。一気に読んだ。読み終わってから、あとでまたゆっくりと読み返そう、と思った。それから長い時間が過ぎたけれど、今でも時々読み返すことがある。先日も前半部分を読み返した。「すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。(上 先生と私 30より)」の部分が目にとまった。こんな場面があったんだな、と思った。


夏目漱石 掲載作品

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