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シャーロック ホームズ (アーサー・コナン・ドイル)読書の記憶 二冊目

たぶんあなたも、子供のころに「ヒーロー」のマネをして遊んだことがあると思う。自分の中にある特殊な力が、ある日突然発動して世界を救う、とか。使命を与えられて最初は尻込みしていたのだけれど、大切なものを守るために一大奮起して悪と戦うとか、そんなストーリーの中に浸っていた時期があったのではないかと思う。
もちろん僕もそうだった。僕の場合は、リーダーとして仲間を率いて世界を救うのではなく「ナンバー2」くらいのスタンスで、普段は平静さを保っているのだけど有事の際には誰よりも熱い気持ちで仲間をサポートする。表舞台には立たないけれど、一歩下がった位置で自分の仕事をきっちりとこなす、というようなヒーロー像が好きで、そのようなキャラに感情移入したものだった。
そんな風にして、庭に落ちている棒切れを拾って見えない敵と格闘していた幼少期は季節の変わり目にさえ気がつかないほど足早に過ぎ去って、気がつくと黄色の通園バックを床に置き、かわりに黒のランドセルを背負い小学校へと通学している自分がいた。そのころの記憶は極めて曖昧で、入学式の日に母親に連れられてクラスに一番乗りして「ずいぶん早いね」と先生に言われたこととか。通学路の側溝に少し大きく空いた隙間が続くところがあって、そこを覗き込むと排水が流れている様子が見えて「ここに(紙で作った)船を流せば海まで到着するのだろうか」と毎日のように考えていたこととか。その程度の記憶しかない。授業の内容は覚えていない。下駄箱付近の薄暗い様子はなんとなく覚えているような気がする。

そんな朧げな記憶の中で、強く記憶に残っているのは学校の図書館での風景だ。積極的に図書館を活用するようになったのは、小学校2年生か3年生か、そのあたりの時期だったと思う。週に一冊借りて、休みの日に読んで、また一冊借りて。自分よりも背が高い本棚を見上げるようにして、時間という影が染み込み少しくすんだ背表紙を眺めながら、帰宅の時間を気にしながら過ごした風景は、今でもまだ思い出すことができる。そしてそこで僕は、新しいヒーロー「シャーロック・ホームズ」と出会うことになる。

「さっぱり、わからない・・・」とワトスン先生がつぶやくと、
「あまりにも明白だよ、ワトスン君!」とホームズがたたみかける。

わずかな手がかりから鮮やかに解決までの糸口を紡ぎその推理を滑らかに披露していく。その思考の流れのリズムと美しさ…

宝島(ロバート・ルイス・スティーヴンソン)読書の記憶 一冊目

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小学生のころ、自分の「読書ルール」の中に「本を読み始めたら、最後まで一気に読む」というものがあった。なぜそのようなことを思ったのか、今となっては謎なのだけど、とにかくその当時の自分の中には「本というものは、ひと息に読むものだ。途中で止めたらダメだ」という意識があって、途中で読むのを止めるというのは言語道断、敗北を意味するくらいの気持ちでいたような気がする。

実際のところ、その当時の自分は今では考えられないくらいの集中力があったようで、午後に本を読み始めて、最後まで読み終わって顔を上げると部屋の中が薄暗くなっていたようなことは日常茶飯事だった。母親に「こんな暗いところで本を読んでいたら、目が悪くなるでしょう」と何度か怒られたような記憶が何度もある。本を読み終えた、という充実感と共に、もう一日が終わってしまったという寂しさのようなものも感じていた気がする。それと同時に「次は何を読もうか」と考えていたような記憶もあるから、よほど本を読むのが好き・・・と、いうよりは本を読むくらいしか楽しみがない地味な性格だったのだろう。

まあそれはともかく、そんなルールを頑に守りながら、読書にいそしんでいた小学校一年生のころ、自宅の本棚に「世界の名作文学」の本が二冊あった。その一冊に収録されていた、スティーヴンソン「宝島」が当時の自分にとって最後まで止めずに読み切れるかどうか、のギリギリの厚さだった。なので「宝島」を読む前には「今日は(も)絶対に最後まで一気に読むぞ」と心に決めてモチベーションをあげてから、数ヶ月に一度くらいのペースで挑戦していたものだった。
そもそも読書は勝ち負けではないのだけど、毎回読み終わったあとの勝利感はなかなかのものだったように覚えている。地味すぎる勝利である。が、勝ちは勝ちである。そもそも負けたところで何も失うものがない勝負を勝負と呼べるかどうかは疑問だが、とにかく地味ながらに勝率は9割を越えていたような記憶がある。


数年前、大学生の依頼でちょっとしたセミナーを行った時に「子供の頃に読んでいた本は何でしたか? やはり日本文学ですか?」というような質問を受けたことがあった。その時に「いや、外国文学で、宝島という本でしたよ」と答えてから妙に懐かしくなり「そういえば、確か表紙に外国人の女の子の絵が使われていたよなあ」と朧げな記憶が蘇り、もう一度装丁が見たくてたまらなくなって…