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「同じ星 太宰治」読書の記憶(九十七冊目)

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小学生の時の話。同じクラスに「誕生日が同じ」男子が2人いた。彼らは双子でも親戚でもないのだが、偶然誕生日が同じなのだった。2人は、そんなに仲が良いわけではなく、見た目に共通点もなく(当然である)1人はおとなしく内向的で、もう1人は運動が好きな活発な男子だったと記憶している。

誕生日が同じという事は、いわゆる星座とか、そのような占いも同じなわけで「今日は、しし座のあなたはラッキー」とあれば2人とも喜ぶし「今日は、しし座のあなたは注意が必要な1日」とあれば、2人ともなんとなく落ち込むのである。誕生日は一生変更できないから、二人は一生同じ占いの結果を目にし続ける。冷静に考えてみると、なかなかシュールな風景ではないか。
同じ星 太宰治文藝年鑑に依つて、君が明治四十二年の六月十九日に誕生した事を知つた。實に奇怪な感じを受けた。實は僕も明治四十二年の六月十九日に誕生したのである。この不思議な合致をいままで知らずにゐたのは殘念である。飮まう。君の都合のよい日時を知らせてくれ。僕は詩人である。(同じ星 太宰治より)

太宰治「同じ星」を読んだ時、ここに書いたこと思い出した。現在私は、どちらとも交流がない。彼らがどのような環境で過ごし、どのような考えを形成し、どのような人生を送ってきたかを確認することはできない。ただ、彼らも私もみんな、それぞれ元気で、いつの日かどこかで、偶然に出会えたらおもしろい。その席で、それぞれの人生を照らし合わせながら、あれやこれを話してみたい。そんな日がくることを、楽しみにしたいと思う。


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「葉 太宰治」読書の記憶(八十五冊目)

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背が高い人は、他の人よりも頭を下げなければいけない

小学六年生の時の話。僕たちは、体育館で卒業式の予行練習をしていた。全員で椅子から立ち上がり、正面に向かって一礼した時だった。ある先生が、僕のところにやってきて背中をトントンと叩いて言った。


 「あんた、背が大きいのだから、他の人よりも深く頭を下げないとダメなんだよ」 

その当時の僕は、わりと身長が高い方だった。たしか、学年で三番目くらいの身長だったと思う。いや五番目だったかもしれない。とにかくその先生は、僕の頭を下げる角度が浅いので「遠くから見ると、あんたの頭だけが上に飛び出ているように見えた」と注意にやってきたのだった。


僕は、その先生の前で立ったまま一礼を繰り返した。地面に向かって90度というよりは、135度よりも深く。先生から「良し」をもらうには、自分が想像していたよりも、ずっとずっと深く頭を下げなければいけなかった。  


「背が高いと偉そうに見えるから、他の人よりも頭を下げないといけないんだよ」

それ以来僕は、自分の身長を気にするようになった。背が高いと偉そうに見える。先生に注意される原因にもなる。できるだけ頭を下げて、目立たないようにしなければならない。自分が思っているよりも、深く深く頭を下げなければいけない。背が高いということは、色々と周囲に気を配らなければいけない。小学校の時の僕は、そう体験から学んだのだった。



お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい 。 太宰治「葉」より

太宰治の「葉」を読んだ時にこの時のことを思い出した。僕が少し猫背気味なのは、あの時先生に注意されたことが原因なのかも、しれなく、もない。


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「兄たち 太宰治」読書の記憶(七十七冊目)

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「森羅万象」の読み方は?
高校生の時の話。私は数人の同級生と街中を歩いて移動していた。店頭に貼られているポスターが目にとまった。何かのイベント告知をするポスターだったと思う。私はそこに大きく印刷されていた「森羅万象」という文字を「もりらまんぞう」と声に出して読んだ。もちろん「しんらばんしょう」と読む事は分かっていた。ただ何となく、ふざけてそう読んだのだった。
すかさず、その時一緒に歩いていた女子の一人が「シンラバンショウ、でしょう!」と、私の言葉を修正した。私は「あ、そう読むんだ」と彼女に言った。正しい読み方を知らなかった、という素振りをしたのだった。彼女は何も言わなかった。私たちは目的地に向かって移動を再開し、誰かが別の話題を口にして、その話はそこで終わりになった。
なぜ、あの時私は「知ってるよ!」と反論できなかったのだろう?
彼女が、少し大きめの声で早口に指摘してきたからだろうか。その時一緒に歩いていたグループの中では、彼女がダントツで成績が良かったから「どうせ、オレは頭が悪いですよ」と、自虐的な感情が湧き上がってきたからなのか。高校生の頃の、なんとなく女子に尻込みしてしまうというか、照れてしまうというか、そんな感情のせいなのか。


「兄たち 太宰治」

私は、未だ中学生であったけれども、長兄のそんな述懐を、せっせと筆記しながら、兄を、たまらなく可哀想に思いました。A県の近衛公だなぞと無智なおだてかたはしても、兄のほんとうの淋しさは、誰も知らないのだと思いました。(兄たち 太宰治

あの時自分は「正しい答えを知っていること」を伝えたほうがよかったのだろうか。「参りました!」などと、大袈裟におどけてみせればよかったのか? そう、もしかすると彼女は「それ」を期待していたのかもしれない。
……いや、違う。それはない、と思う。何かのテストに出題された時、私が「モリラマンゾウ」と解答したら可哀想だから、と間違いを指摘してくれたのだろう。たぶん、それだけのことなのだと思う。


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「太宰治との一日 豊島与志雄」読書の記憶(七十六冊目)

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深夜(22時)の電話
少し前の話。その時私は自宅で一人作業をしていた。知り合いのSさんから「今大丈夫ですか?」とメールが届いた。まもなく22時になるところだった。Sさんからその時間帯に相談を受ける事は滅多にないので、何かあったのだろうか?と、こちらから電話をかけてみることにした。
「仕事で色々あって。なんだかほんとにごちゃごちゃして」Sさんは、ここ数日の間のできごとを話し始めた。しかし数分もすると、話題は別のものに変わっていた。結局30分ほど話をしたと思う。Sさんは、なんとなく軽やかな声になって電話を切ったのだった。


「今日は愚痴をこぼしに来ました。愚痴を聞いて下さい。」と太宰は言う。 (中略) 然し、愚痴をこぼしに来たと言いながら、それだけでもう充分で、愚痴らしいものを太宰は何も言わなかった。──その上、すぐ酒となった。(太宰治との一日 豊島与志雄より一部抜粋)

おそらくSさんは、誰かと話をしたかったのだと思う。夜遅い時間になっていたけれども、私ならば、この時間でも何かしていることが多いので大丈夫だろう、と思って連絡を寄越したのだと思う。
明確なアドバイスが必要な時もある。厳しく批評されることで考えがまとまることもある。それでも「ただ自分の話を聞いてくれる相手がいる」ことを確かめるだけで、大抵の出来事は乗り切れるのではないか。話を聞いたり、聞いてもらったり、そんな相手がいてくれるのなら百人力なのだと思う。「太宰治との一日 豊島与志雄」を読んでそんなことを考えました。


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「一問一答 太宰治」読書の記憶(七十五冊目)

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「佐藤さんのように、成功した人の場合は・・・」
セミナーの依頼を受けた時の話。事前に内容について打ち合わせがしたいとの事で、指定された場所へ出かけていった。先方は二名で、こちらは私一人。合計三人で打ち合わせが進んでいった。
担当の方がしっかりと準備をしてくださっていたので、私たちは滞りなく内容を詰めていくことができた。一通り打ち合わせが進み、最後にセミナーの告知に使用する文章を考えて欲しいということになった。担当の方は、資料を広げながら、
「佐藤さんのように成功した人の場合は…」と話を始めた。 「成功した人?」
私は「成功した人」という言葉に反応した。自分が成功しているとは微塵も考えていなかった。成功という定義にも色々なものがあるけれども、お世辞にも自分がどこかの分野で成功しているとは思えなかった。もしかすると、私の話し方に「成功している人」を装うような鼻についた態度があったのではないか? そもそも自分のような「成功していない人間」が講師として依頼を受けるということが間違っていたのではないか、と恐縮してしまったのだった。


「太宰治 一問一答」
ばかに、威張ったような事ばかり言って、すみませんでした。(太宰治 一問一答より)

太宰治の「一問一答」を読んだ時に、ここに書いたことを思い出した。なるべく自分のことを話す時には「威張ったことを言わないように・・・」と心がけているけれど、それでもついつい調子に乗ってしまい、最後には「すみませんでした」という気分になることも少なくない。と、いうかほぼ毎回そういう気分になるのだった。


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「I can speak 太宰治」読書の記憶(六十三冊)

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小学生の頃の話。Hと言う友人がいた。彼は英会話の教室に通っていた。今でこそ小学生が英会話の教室に通うのはさほど特別なことでは無いかもしれないが、あの当時はわりと珍しい部類に入っていたと記憶している。
僕はHに「何か英語の単語教えてくれ」と頼んだ。彼はおもむろに少し得意げな表情を浮かべながら「自転車はbicycle。三輪車はtricycle」と言う単語を教えてくれた。僕は、Hに続いてこの二つの単語を発音してみた。どこか、新しい世界に脚を踏み入れたような、わくわくとした気分になったことを覚えている。

だけども、さ、I can speak English. Can you speak English? Yes, I can. いいなあ、英語って奴は。(太宰治 I can speakより)

太宰治I can speakを読んだときHのことを思い出した。Hとはもう30年以上も会っていない。その間、連絡もとっていない。道ですれ違うことがあったとしてもお互い気がつく事はないだろう。彼は今どんなどんな仕事をしているのだろうか?少なくとも、英語関係の仕事ではなく理数系の仕事をしているような気がする。なんとなくだけどそんな気がする。


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「皮膚と心 太宰治」読書の記憶(六十冊目)

ジョギングをした後に、シャワーを浴びて服を着替えていたところ、首のあたりが赤くなっていることに気がついた。なんとなく痒みもある。走って赤くなっただけなのか? 首に巻いたタオルに何かついていたのか?じんましんなのか?
よくわからなかったが、さほど気にすることもないだろう、と思いその日は寝てしまった。翌日目が覚めてみると、やはり赤い。痒みもある。しかしそこまで酷くもないようなので、放置したまま仕事へ出かけることにした。
帰宅してみると、やはり赤い。痒みも治る気配がない。この時になってようやく「これは何か対応が必要ではないか」と考えるようになった。しかし明日も予定はあるし、明後日は土曜日だから病院は休みだろう。もしもこのまま悪化したとしても、病院に行くのは月曜日になる。そう考えると、にわかに焦りが芽生えてきた。何か自分で対処しておかなければ、と考えた。が、しかし、もともとが乱暴な性格なので「今日はこのまま寝て、明日も回復していなかったら考えよう」と、その日は寝てしまった。
翌日の朝、やはり回復している気配はなかった。赤みも痒みもある。二日過ぎても回復しないということは、このまましばらくはこの状態が続くのではないか?と、さすがに不安がよぎる。まずはできることをやろう、と移動の途中に薬局に立ち寄り、白衣を着た店員さんに相談して塗り薬を買った。さっそく塗ってみた。一時間もすると、だいぶ痒みが治まってきた。薬というのはすごいものだ、と思った。

ふと太宰治の「皮膚と心」を思い出した。読み返してみると、湿疹に悩まされる主人公の夫の職業は「デザイナー」であることに気がついた。
「図案工なんて、ほんとうに縁の下の力持ちみたいなものですのね。(皮膚と心)」
そう、商品が売れたとしても、ほとんどの人達は「このパッケージをデザインした人は誰だろう?」と思いを巡らせることはないだろう。しかし実際には、世の中に出ている商品のパッケージには「縁の下の力持ち」であるデザイナー達の仕事が隠れている。様々な人たちが、それぞれの仕事をこなし商品を作り上げている。スポットライトが当たるのは一部だけれど、その背後にはたくさんの支える人達が存在するのだ。
「ふざけちゃいけねえ。職人仕事じゃねえか、よ。」と、しんから恥ずかしそうに、眼をパチパチさせて、それから、フンと力なく笑って、悲しそうな顔をなさいました。(皮膚と心)
薬のお…

【番外編】「6月19日は、何の日ですか?」

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大学生だったころの話。授業の最初に先生が「今日は何の日か知っていますか?」と問いかけてきた。僕は頭の中にある記憶を探ってみた。そういえば、以前予備校で聞いた話の中に……。いや、違ったかな。そんなことをぼんやりと考えていると、先生は机の上の名簿を手に取り「では、○○さん。今日は何の日か知っていますか?」と指名をした。
「○○さん」は、そう、僕の名前だった。僕は頭の中にある曖昧な答えを口にしてみようか、いやいや間違ったことを発言するくらいなら黙っていた方が良いのではないか、などと一瞬のうちに考えを巡らせた。そして「確実ではない答えを提示するくらいなら、沈黙していた方がよい」という結論に達した。正しいかどうかだけではなく、何かを考えているのなら発言を試みるのが学びの場だというのに、中途半端な恥かしさを恐れた僕は沈黙することを選んだのだった。

僕は「わかりません」と答えた。先生は、別の生徒の名前を口にした。その人も、わからない、と答えた。先生は特に失望した様子も見せずに「今日は桜桃忌です」と言った。ああ、そうだ。たしかに、いまごろの時期だった。何度か目にしていた情報だというのに、すっかりと忘れていた。日本文学の授業なのだから文学に関する話題に決まっているじゃないか……。と、思ったのだった。


あの日から「6月19日は桜桃忌」という情報が、僕の頭の中には情けない体験と共に刻まれることになった。そして、いつかどこかで誰かに「太宰治って、女性と心中したんだよね?」などと聞かれた時に「そうだよ。そして桜桃忌は6月19日ね」と聞かれてもいないことを間髪入れずに答えられるようにしようと決めたのだった。
あれから20年近い年月が過ぎた。今までに「太宰の死因」が話題に上がることはなかった。当然のことながら「6月19日」について説明を求められる機会もなかった。それでも、いつかまた聞かれる時のために、即座に答えられる準備だけはしておこうと毎年この時期になる度に思うのだった。

「トカトントン 太宰治 」読書の記憶 三十七冊目

幼稚園の年長組のころだったと思う。もしくは小学一年生。おおむねそのくらいのころの話。寝る直前に耳を澄ませると、きーん、という金属音が聞こえることに気がついた。その音に集中すればするほど、はっきりとそして大きくなっていくように感じられた。
いつしかこの音はどんどんと大きくなって、やがて耳が聞こえなくなるのではないだろうか? と、幼稚園児の僕は考えた。それは、子供ながらに恐ろしい空想だったので、しばらく耳に音を澄ませたあと「気にしないようにしよう」と決めることにした。気にしなければ、やがて消えるだろう。寝て起きれば消えるだろう。そう思ったのだった。
しかしその音は、静かな夜になると聞こえてきた。微かだけれども、集中すると必ずそれは聞こえてきた。横を向いてみたり、うつぶせになってみたりしても聞こえてくる。近くで寝ている弟は聞こえないのだろうか。聞こえてくるのは自分だけなのだろうか。
思い切って両親に「夜、寝る前に、キーンと、いう音がする」と打ち明けた。すると母親が「ああ、それは耳鳴りね」いうようなことを言った。そして「おばあさんも、耳鳴りが聞こえるって言ってたね。ポー、ポー、ポーと、汽車が走る時のような音が聞こえるんだって」。その話を聞いた僕は、そのうちこの音がポーポーポーに変化するのだろうか、と思った。そして、音の種類は異なるが、同じように何かしらの音が聞こえる人がいるのだとわかった僕は、すこしだけ安心したのだった。

太宰治の「トカトントン」を読んだ時に思い出したのが、この音だった。そして、祖母が亡くなった時にも、ここに書いたことを思い出した。祖母に「音」のことを聞いたかどうかは忘れてしまった。ただ、もし聞いていたとしたら、否定も肯定もせず静かに僕の話を聞いてくれていただろうと思う。


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「富嶽百景 太宰治」読書の記憶 二十六冊目

小学四年の夏だった。いやもしかすると三年だったかもしれないが、たぶん四年の方が確率が高い気がするので四年にしておく。

小学四年の夏だった。
父親が突然岩手山に登る、と言い出した。夜中に登り始め、頂上で朝日を見るのだという。それまで山に登ったことがなかった僕は、登山というものがどのようなものかもわからなかったけれど、大変そうだけど頑張れば大丈夫かな、という程度の認識で挑戦してみることにした。

おそらく父も、よく調べもせずに「知り合いが登ったらしいから自分達も登れるだろう」程度の感覚だったと思う。その時は弟と三人で登ったのだが、一リットル程度しか入らない水筒を一本しか用意していなかったあたりに詳細を調べていなかった感が表れていると思う。たとえば今の僕ならば、ひとり一リットルは用意するだろう。ルートマップも持たせて「今はここだぞ」と位置を確認させながら登るだろう。なにせ相手は小学四年生なのだ。生まれて初めて二千メートルクラスの山に登るのだ。そのくらいのサポートと準備は必要だろう。

とにもかくにも、そんな風にして、突然挑戦することが決まった岩手山登山。真っ暗な深夜に出発して、とにかく苦しくて何がなんだかわからないほどに疲労して、それでもなんとか数時間もひたすら登り続け、ついに頂上で日の出を・・・見ることはできなかった。登っている途中で時間切れ。太陽が上がってしまったのである。なんとも中途半端な御来光となってしまった。しかしまあ、人生初の御来光を頂上ではなく途中で拝んだというのも自分らしいといえば自分らしい展開なのかもしれない。

しかし頂上までは辿り着けなかったとはいえ、足元に広がる雲海を突き抜けて登ってくる太陽の姿には、子供ながら何か違う迫力を感じたものだった。これはなかなか見られるものではない。家で留守番をしている母にも見せたい、とも思った。そしてこれが、僕の登山の原風景となった。登山と聞けば、この時の登山の様子が微かに漂ってくるし、御来光のイメージといえばこの時の鮮やかさと力強さが基準になっている。あれからいくつかの山を登ったのだけれど、この時のように晴れ渡った風景を眺められたのは、どんなに天気予報を見て確認したとしても半分以下だった。そのような意味では、とても恵まれた登山だったと思う。

太宰治の富嶽百景には、十国峠から見えた富士山を見て「げらげら笑う」主人公が登場する。うん、笑…

思ひ出 (太宰治) 読書の記憶 二十五冊目

小学校3年生の時だったと思う。その時僕は、仲の良かったS君とH君と3人で一緒に下校していた。雨が降っていたけれど僕は傘を持っていなかったので、H君が持っていたひとつの傘にいれてもらって三人でぎゅうぎゅう詰めになって歩いていた。いやS君の傘だったかもしれない。S君が持っていた折りたたみの傘だったような気もするけれど、H君の方が几帳面な性格だったから天気予報を見て傘をもってきていたような気がする。いや、まてよ。S君は折りたたみの傘を持っていたけれど「出すのが面倒だ」とかなんとか言って、わざと3人でH君のひとつの傘に入っていたような記憶もある。記憶というものは曖昧なので、もしかすると全然別の状態だったかもしれないけれど、とりあえず3人でひとつの傘に入って下校していたということは確かだったと思う。 

昨日見たテレビの話題とか、車の緑色のナンバーを5回連続で見るとラッキーだとか、小学生の僕たちにとっては重要な話をしながら、人口密度の高い傘はよたよたと道を歩いていった。別れ道に来た。S君とH君は向こう側。僕ひとりだけ、こちら側へ曲がらなければいけない。「じゃあな」「今度あそぼうぜ」「またな! またな!」と、明日もまた同じ学校で同じ教室で同じ授業を受ける仲間だというのに、やたらと大袈裟に挨拶を交わした後、僕たちは別々の方向へ家路を急いだ。 

ここから自宅までは、まだ10分以上歩かなければいけない。雨はさほど強くはないけれど、家に着くころにはかなり濡れてしまっているだろう。僕は、うつむいて自分の足元の辺りを見ながらひとりで歩いた。横断歩道の前で立ち止まり、青になったのを確かめてから渡った。踏切が近づいてきた。なぜだか良くはわからないけれど、踏切のすぐ手前だったことははっきりと覚えている。その時だった。僕の頭の上に、傘がさしかけられた。僕は驚いて上を見上げた。見知らぬ女性が自分の傘の中に僕を入れてくれたのだった。 

「ふふっ」と、その女性は僕を見て笑った。その時の僕からすると、母親くらいの年齢に見えたけれど、もしかするとずっとずっと若かったかもしれない。僕はおどろいてしまって、何も言う事ができずにそのまま自分の足元を見たまま歩き続けた。その女性も僕のペースに合わせるようにして、傘をさして歩いてくれていた。距離にしたら、ほんの200mくらいだったと思う。

線路の先のT字路にさしかかった…

人間失格 (太宰治)読書の記憶 四冊目

予備校生だったころの話。そのころ一緒につるんでいた仲間の中にA君という友人がいた。彼は「ボクは、ペシミストなんだよ!」と口にするようなタイプの人間だった。そして太宰の「人間失格」を指差しながら「これはボクだよ!」と言い切るような男だったのだけど、自分で言うくらいだから実際にはペシミストでもナルシストでもなく「自分も他人も傷つけたり傷つけられたりすることが嫌い」な、人付き合いのいい真面目でやさしい男だった。むしろ明るく冗談が好きな男だった。と思う。

そんなA君が恋をした。同じ予備校の子で、小柄で黒目がちの可愛いらしい子だった。中学校の頃には運動部に所属していて(何部に所属していたのかは、聞いたけれど忘れてしまった)身体を動かすのが好きな感じの子。大人しいように見えるけれど、必要な時には自分の意見をちゃんと言える子だった。と思う。

ペシミストなA君は、ペシミストなくせに大胆にも彼女に告白した。そして2人は付き合うことになった。その報告を聞いた時僕は、え? そうなの?  好きな子ってあの子だったのか。別の子だと思っていたよ、と口にしたような気がする。なんだかすごいなあ、と何が凄いのかはわからないけれど、すごい、と何度か口にしたような気がする。

模試が終わった日の夕方だった。A君はこれから彼女とデートするので待ち合わせの場所へ行く、と言った。僕たちは用もないのに、ぞろぞろと待ち合わせの場所に付いていった。しばらく雑談をしながら待っていると、彼女はいつも一緒にいる女の子と待ち合わせの場所にやってきた。そして、A君と彼女は僕たちに向かって「それじゃあ」というような表情をすると、二人で並んで向こう側へ歩いて行ってしまった。残された僕達と彼女の友達は「何か」をもてあましながら、そのままそこに立っていた。

しばしの沈黙のあと、彼女の友達は「えーと・・・」というような感じで僕たちに向かって笑いながら頭を下げると、その場から立ち去っていった。僕たちも、えーと、というような感じで彼女の友達を見送った。


先日久しぶりに太宰治の人間失格を手にした時、この「A君の彼女の友達が、僕たちのところから立ち去っていく」場面を思い出した。記憶というものは、実に唐突なものである。


太宰治人間失格思ひ出富嶽百景トカトントン皮膚と心I can speak一問一答兄たち同じ星