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「読書感想文」を書いた日。読書の記憶 十冊目

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小学校の頃の話。確か4年生だったと思う。 夏休みの宿題に、読書感想文の課題が出された。「課題図書は自由。400字の原稿用紙2枚以上」というような内容だったと思う。僕は夏休みになる前に、学校の図書館から読書感想文用の本を借りておいた。そして夏休みが始まるとすぐに読み終わってしまった。読み終わったならば、すぐに感想文を書けば良いのだが、ものごとはそう簡単には進まない。時は淡々と過ぎ去り、いつの間にか夏休みは終盤を迎えてしまっていた。  そう、お気づきの方も多いと思うけれど、この段階ですでに作品の内容は、ほとんど忘れてしまっていた。僕は読むのは早いのだが忘れるのも早いのだ。そうかといって、もう一度読み返すのもなんだが癪だったし、かといって新しい本を読書感想文用に読むというのも面倒な気がした。そこで内容に細かく触れずに、ざっくりとしたことを書いてしまおうと決め「主人公は〇〇をしたけれど、僕なら△△を選ぶと思う。なぜならその方が××になると思う」と、いうような主人公の選択を批判するようなことを書いて提出することにした。もちろん、批判といっても深い思索の中から生まれたものではなくて、特に書く事がなかったから書けることを書いて原稿用紙を埋めた、ということに過ぎなかった。なにせ、内容はほとんど忘れてしまっていたのだ。 新学期が始まって数週間が過ぎた国語の時間。先生が「この前、みんなから提出してもらった読書感想文の中から、2人の感想文を紹介するぞ」と、ある生徒の感想文を読んだ。ひどい文章だった。「てにをは」はめちゃくちゃだし、主語がブレているから意味が受け取りにくいところがある。しかし・・・うん、どこかで聞いたことがあるような内容だった。先生は言う。 「これは、佐藤の読書感想文だ。文章としてはおかしいところがあるけれど、主人公の行動について自分の感想を書いている。みんなは『あらすじ』を書いているけれど、このようなのが読書感想文なんだ」 どうやら褒められたらしいが、誇らしい気分にはなれなかった。狙ってそのような感想文を書いたわけではないし、なによりも間違いが多いことの方が恥ずかしかったからだ。先生が「Aさん、佐藤の読書感想文を読んでどう思った?」と、クラスで人気の女子に感想を求めているのも「いやいや、もうそのあたりで!」と言いたくなるような気分だった。でも、その

ぼくがとぶ(佐々木マキ)読書の記憶 九冊目

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子供のころの夢は……。 と、あらためて思い出してみると「とくに何もなかった」ような気がする。幼稚園の時に「将来の夢」というような絵を描かされた時があったのだけど、その時も「会社員になりたい」とスーツを着てビルの前に立っている絵を描いて、両親に「他にやってみたいことはないの?」と軽く諭された記憶さえある。そのくらい「地味な夢」しかもっていない幼稚園児だった。 そんな僕でも、ある一冊の絵本との出会いがきっかけで、いつか挑戦してみたいことが見つかることになる。それは「飛行機をつくること」だった。え? 飛行機? そう、飛行機。あの空を飛ぶ飛行機を作ってみたいと思うようになったのだった。 その絵本の名前は「ぼくがとぶ(佐々木マキ)」。主人公のクリクリとした大きな目の少年が、自宅で飛行機を手作りして、空を飛び回る話だ。 絵本の中に少年が家の中で飛行機の部品を作って組み立てている場面があるのだけど、道具や作りかけの部品やゴミでごちゃごちゃした部屋の中の様子がかっこよくて、何度繰り返し繰り返し眺めても飽きなくて「いつか、こんな部屋で自分も飛行機を作ってみたい」と思ったのだった。 木を削って、色を塗って、ゴーグルをかけて、自分一人で作った飛行機で外国まで飛んでみたい。どのくらい頑張れば飛行機を作れるのかはわからないけれど、この少年くらいの年齢になれば作れるようになるのかもしれない。こどもなりに、漠然とではあるけれどそこそこ真面目に、飛行機をつくる少年の姿に憧れていたというわけである。 残念ながら僕は、飛行機を作る技術者になることはできなかった。むしろ技術者とは正反対の方向へ進んでしまった。もしかすると僕は、飛行機が作りたかったのではなくて、資料やらなにやらで盛大に散らかった部屋の中で、黙々とひとりで何かを作る仕事がしたかっただけなのかもしれない。 ああでもない、こうでもない、うまくいかない、でも絶対にあきらめないぞ。と盛んに静かに黙々と作業を続ける仕事。それならば今の仕事も、ほんの少しだけ共通点があるような気がしないでもなくもなくもない。 佐々木マキ   ぼくがとぶ   ふしぎな図書館