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銀河鉄道の夜(宮澤賢治)読書の記憶 八冊目

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一人で、買い物へ行った時のこと 小学2年生の時の話。 僕は休みの日にひとりで留守番をすることになった。生まれて初めての留守番だった。母親に「(留守番の日に)これで何か好きなものを買ってきなさい」と、300円を渡された。400円だったかもしれない。くわしくは忘れてしまったけれど、こづかいをもらった僕は留守番の不安や煩わしさよりも「一人でお菓子を買いに行く」というイベントの方に興味が向いてしまっていた。  留守番の当日、僕は一人で近所の店へ出かけていった。地元の商店街にある家族で経営しているような小さな店で、食料品から生活雑貨まで色々と並べてあるようなところだった。僕はそこでお菓子を物色したあと、チューインガムを2個選んでレジに向かった。その時の僕は「ガムを大きく膨らませる」ことに夢中になっていたので、2個買えばたっぷりと練習ができると思ったのだ。 レジの店員は、僕に向かって「ボク一人? おかあさんは?」と聞いてきた。僕は「いない」とか「ひとりで留守番してる」というようなことを答えた。すると店員は「2個もガムを買って大丈夫? おかあさんは知っているの?」というようなことを聞いてきた。僕は「大丈夫」と答えた。店員は「ほんとうに?」というようなことを何度か僕に聞いてから、後ろにいた別の店員と何かを話したあと、ようやく僕にガムを渡してよこした。 僕はなんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、ひとりで家に帰って、ガムを噛んでふくらませる練習を始めた。1粒よりも2粒食べると大きく膨らませることができるということと、さらに1粒加えて3粒にしてもさほど大きくならないということを知った。なかなかの収穫だと思った。やはり2個買って正解だったと思った。 数日後、僕は母親と一緒にその店に買い物へ行った。店員は母親を見つけると「この前、ボクがガムを2個買いにきたのですが・・・」というようなことを話しかけてきた。母親は「ああ、大丈夫です。ありがとうございます」というようなことを言っていた。 その時の僕は、店員と母親が何を話しているのかはよくわからなかったけれど「この店員さんに、何か疑われているようだ」ということは、うすうすと感じとっていた。店員にしてみれば親切な気持ちだった のかもしれないが、子供の僕にとっては「自分が疑われている」という居心地の悪さのようなものを

伊豆の踊子(川端康成)読書の記憶 七冊目

「16歳の誕生日」というと、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 僕にとっての16歳の誕生日は「原付免許が取れる日」だった。とにかく早く原付に乗りたい。バイクに乗りたい。1日でも早く。早く。そんな風に指折り数えて待ちわびた誕生日がやってきて、僕は一目散に試験場へ向かい免許を収得したのだった。その後、バイクの魅力にとりつかれて、レストランの皿洗いで貯めた資金でヘルメットを買い教習所の代金を支払い、念願のバイクへ乗ることになるのだけど、その話はまた別の機会に書くことにしよう。 さて、そんな風にして16歳早々に原付の免許を手にした僕の最初の相棒は、自宅にあったHONDAのロードパルだった。名車である。ほんとうにオンボロだったけれど、トロトロしかスピードが出なくて後ろから車にクラクションを鳴らされたりもしたけれど、すばらしく楽しかった。今まではバスや電車でしか行けなかった場所へ、行きたい時に行きたい道を通って自分の意志で、目的地まで走っていくことができる。もちろん、移動範囲はたかがしれているけれど、それでも当時の僕にとっては「とんでもなく世界が広がった」瞬間だった。誇張でも詩的な表現でもなく文字通り「自由を手にした」と思っていた。そう、16歳の僕は心からほんとうにそう感じていたと思う。 休みの前日に地図を眺めながら、目的地を決める。あまり車が多くなくて、原付でも走りやすいところ。インターネットなんてなかったから、紙の地図に定規をあてておおまかな距離を計算していく。その頃の僕の興味は「一日で可能な限り長い距離を走る」というところにあったので、観光スポットを巡るというよりは、知らない道をできるだけ遠くまで走るというルートが多くなった。食費を削ってガソリン代にして、目的地周辺のコンビニに立ち寄ってスクーターの椅子に座って、ふう、と缶コーヒーを飲む。缶コーヒーなんて、どこで飲んでも味は同じだけれど、そんなことが自分にとっては「さいこうにうれしくて、おいしいこと」だったわけである。 そして、今でも僕が旅をする時は(移動手段はバイクから車へとかわったけれど)基本的に同じような考えのままでいる気がする。「一度も走ったことがない道を、できるだけ遠くまで」そう、たぶん僕は自分で運転した乗り物で「ずっと走っている」という時間が好きなのだと思う。 川端康成「伊豆の踊子