投稿

12月, 2016の投稿を表示しています

「グスコーブドリの伝記 宮沢賢治」読書の記憶 四十五冊目

イメージ
修学旅行の夜 小学六年生。修学旅行へ行った時の話。初日の夜、夕食のあとにミーティングがあった時のこと。その時ぼくは、学級委員をしていたので「今日のまとめ」のようなことを、クラスのみんなの前で話すことになった。話の内容は、もう覚えていない。せいぜい、今日はとてもよかったです、程度のことを適当に話したように思う。 僕が話し終わると、担任の先生が「今、佐藤が話したことで気がついたことはあるか?」というようなことを口にした。僕は、何か良くないことを話してしまったのだろうかと思った。たぶん、みんなもそう思ったのだと思う。その場は、しーんと静まりかえってしまった。 先生は「佐藤の声が枯れていることに気がついたか?」とみんなに問いかけた。「なんで、声が枯れたのだと思う? お前たちが、ちゃんとしないから、佐藤が大きな声を出さなくていけなかったんだ。だから、枯れてしまったんだ」「今日、クラスでいちばん頑張ったのは佐藤ではないか? みんなの前に立って、責任感を持って頑張っていたと思わないか?」と言った。 それから先生は、数人を指名して感想を述べさせた。みんな「明日からは、委員長が声を出さなくていいように、ちゃんとしたいです」「すごく偉いと思います」などと、いうようなことを言った。僕はそれを、みんなの前で立って聞いた。頭の中では、もういいから早く終わらないか、と考えていた。みんなが言うことを聞かないから声が枯れたのではなく、自分が必要以上に大きな声を出したから枯れただけだと、思っていたからだ。そしてなによりも声が枯れるということは(小六生の僕にとって)格好わるい事のように感じていたからだ。 ひと通り意見を聞いてから先生は、僕の横に立っていた副委員長に意見を求めた。副委員長の彼は(その時は、委員長も副委員長も男子だった)、えーと、と言いながら、声が枯れているような雰囲気で話し始めた。誰かが「オマエも声が枯れているようなマネをしても、ダメだ」と、からかった。みんなが笑った。 「グスコーブドリの伝記 宮沢賢治」 宮沢賢治 の「グスコーブドリの伝記」を読んだ時、ふいにこの出来事を思い出した。主人公ブドリは、みんなを助けるために一人で危険な現場へ行くと主張する。 「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとな