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「日記帳 江戸川乱歩」読書の記憶(六十一冊目)

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いくら頭の中で、これ以上ないほど、 つきつめて考えたとしても。 もしも、それが世界に存在しないくらいに、 ありえない程の、完璧な文章でも。 りかいしてもらえなければ、 がんばりは、すべて無に帰するわけで。 ときには単純でもいいから、 うつくしくなくとも、シンプルに伝えたい。 江戸川乱歩 の「 日記帳 」には、暗号を使って気になる女性にメッセージを送り続けた人物(主人公の弟)が登場する。しかしながら、暗号は相手に「それを解く素養」があってこそ成立するわけで、凝った暗号になればなるほど届かなくなる危険性も起こり得る。時間をかけて、念入りに考えて送り続けたメッセージも、それを読み解いてもらえなければ「伝えていない」ことになってしまうのだ。そして「わかってほしい人」に読み解いてもらえず「わかってほしくない人」に読み取られてしまうこともまた、悲劇だろう。 「生れつき非常なはにかみ屋で、臆病者で、それでいてかなり自尊心の強かった彼は、恋する場合にも、先ず拒絶された時の恥かしさを想像したに相違ありません。(日記帳より)」 まっすぐに気持ちを伝えるには「勇気」の方が大切なのかもしれない 。 江戸川乱歩 の「 日記帳 」を読んで、そんなことを考えました。 追伸:先日、連れに「バースディメッセージ」を送る時に、ちょっとした暗号を忍ばせてみた。しかし本人が気がついていなかったようなので、我慢できずに自分で暗号を解読してしまった。マジックを演じてから、自分でトリックを教えるようなものである。本末転倒である。自分のような「せっかち」な人間には、どうやら暗号を用いてメッセージを伝えることは不向きのようである。 江戸川乱歩   少年探偵団   心理試験   日記帳

「心理試験 江戸川乱歩」読書の記憶 五十二冊目

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子供のころになりたかった職業のひとつが「スパイ」だった。なぜ、この職業に魅力を感じのかというと簡単で、家にあった「スパイのすべて」のような、子供向けの本を読んだからである。 その当時の僕がスパイに抱いていたイメージといえば「暗闇の中で、裏から世の中を動かす」とか「誰にも読めない暗号などを解読し分析する」というものだったと思う。とりあえず当時から、表舞台ではなく裏で静かに活動することに関心があったことがわかる。そして今でもわりと、そのような方向を好んでしまうのは、子供のころの読書体験の影響が大きいと思われる。もしも読んだ本が「スパイのすべて」ではなく「宇宙飛行士のすべて」だったのなら、そちらの方面を目指していたかも…しれなくもない。 江戸川乱歩 の 「 心理試験 」 には、警察の心理試験を用いた尋問に対し、緻密な準備を行い罪から逃れようとする犯罪者( 蕗屋清一郎) が登場する。それを華麗に見破るのが明智小五郎であり、彼が犯罪者を追いつめていく様子を楽しむのが推理小説の醍醐味である。 ところがこの作品を読んだ時の自分は、明智ではなく 蕗屋 に魅力を感じていたように思う。目的のために、先の先を読み緻密な計画を立て確実に実行する 蕗屋 。彼は目的を完遂するために、ありとあらゆることを調べ練習を重ねていく。 「 彼は「 辞林 」の中の何万という単語を一つも残らず調べて見て、少しでも訊問され相な言葉をすっかり書き抜いた。そして、一週間もかかって、それに対する神経の「練習」をやった。 (心理試験より) 」 当時の僕は、そのような 蕗屋の 姿に「自分の中にあるスパイ像」をかさねていたのだと思う。見えないところで、徹底的に努力をする。必要ならば、辞書の中にある何万という単語をすべて調べることも厭わない。どこか、その姿勢に魅力を感じていたように思う。最終的には「裏の裏を行くやり方」で、明智の知性が 蕗屋の計画を 上回っていくわけだけれども、この作品に関しては 蕗屋側に共感してしまったのだった 。 結局のところ、僕は「スパイ」にも「探偵」にもなれなかったけれど「表に出ないところで地道に準備をし、集めた情報で推測を重ね検証し形にしていく」という部分で、今の仕事にどこかつながっていくような気がする。そう、やはり、子どものころの読書体験は

少年探偵団 (江戸川乱歩)読書の記憶 十四冊目

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小学生の時の話。 通学路の途中、住宅街から少し離れた場所に空き地があった。雑草が生えているだけの、何の特色もない空き地。野球やサッカーをするには狭いし、集まって話をするには退屈な眺めの場所。「この道を真っ直ぐに進んだところにある、空き地の先を・・・」と話した時に「空き地なんてあったかな?」となるような場所。確かに存在はしているけれど、記憶には残らないような場所。 ある日のことだった。その空き地に突然「家」が建った。家といっても、本格的な家ではない。ちいさなプレハブの「移動可能な家」だったのだけれども「昨日まで存在しなかったものが、今日突然出現した」というシチュエーションが、小学生の僕たちには何か特別な意味のある存在のように思えたのだった。 「どうやって建てたのだろう?」「昨日まではなかったよな?」「ヘリコプターで運んできたのでは?」「そういえば、2組の木村が夜に変な音を聞いたと言っていた」「秘密結社の基地かもしれない」「今は中に人がいないけれど、夜になったら集まってきて会議が開かれるのかもしれない」「ちょっと近くに行ってみよう」「いや見つかると危険だ」 そもそも、誰の目にも見えるところに現れた建築物が「秘密結社」のそれであるわけはないし、それ以前に秘密結社というものが何をする団体なのかもわからなかったけれど、 江戸川乱歩 の 少年探偵団 になったような気分であれこれと空想を広げたものだった。あの家に関する謎を最初に解き明かすのは誰だ? 小学生の僕たちは、そんな気分に浸っていたのだと思う。 数日後、その「家」は跡形もなく空き地から消え去ってしまっていた。何の気配も痕跡も残さずに、どこか遠くへと消え去ってしまっていた。まるで家自身が意識を持っていて、僕たちがそれ以上近づく事を拒むためにどこかへ飛んで行ってしまったかのように。やはりあの家は、特別な何かだったのだ。もう少し時間があれば、正体を突き詰めることができたのに。また、あの家が戻ってきたのならば、今度は勇気を出して中を覗き込んでみよう。 友人の一人が「ここから少し離れた空き地に、あの家がまた現れた」という情報を持ってきた。僕たちは遠回りをして、家が現れたという空き地へとやってきた。勇気を出して近くで見た「それ」は、確かに良く似てはいたけれど僕たちが知っている「あれ」とは、少し