「心理試験 江戸川乱歩」読書の記憶 五十二冊目
その当時の僕がスパイに抱いていたイメージといえば「暗闇の中で、裏から世の中を動かす」とか「誰にも読めない暗号などを解読し分析する」というものだったと思う。とりあえず当時から、表舞台ではなく裏で静かに活動することに関心があったことがわかる。そして今でもわりと、そのような方向を好んでしまうのは、子供のころの読書体験の影響が大きいと思われる。もしも読んだ本が「スパイのすべて」ではなく「宇宙飛行士のすべて」だったのなら、そちらの方面を目指していたかも…しれなくもない。
江戸川乱歩の「心理試験」には、警察の心理試験を用いた尋問に対し、緻密な準備を行い罪から逃れようとする犯罪者(蕗屋清一郎) が登場する。それを華麗に見破るのが明智小五郎であり、彼が犯罪者を追いつめていく様子を楽しむのが推理小説の醍醐味である。
ところがこの作品を読んだ時の自分は、明智ではなく蕗屋に魅力を感じていたように思う。目的のために、先の先を読み緻密な計画を立て確実に実行する蕗屋。彼は目的を完遂するために、ありとあらゆることを調べ練習を重ねていく。
「彼は「辞林 」の中の何万という単語を一つも残らず調べて見て、少しでも訊問され相な言葉をすっかり書き抜いた。そして、一週間もかかって、それに対する神経の「練習」をやった。(心理試験より)」
当時の僕は、そのような蕗屋の姿に「自分の中にあるスパイ像」をかさねていたのだと思う。見えないところで、徹底的に努力をする。必要ならば、辞書の中にある何万という単語をすべて調べることも厭わない。どこか、その姿勢に魅力を感じていたように思う。最終的には「裏の裏を行くやり方」で、明智の知性が蕗屋の計画を上回っていくわけだけれども、この作品に関しては蕗屋側に共感してしまったのだった。