「杜子春 芥川龍之介」読書の記憶(七十九冊目)



コーヒーを断って、願掛けをした話。


20代後半だったと思う。その頃「達成したい目標」があった私は「願掛け」をしようと考えた。やることはやっていたつもりだったが、そこにプラスアルファが欲しいと感じたのだった。そこで思い浮かんだのが「昔の人は願掛けとして、塩断ち、お茶断ちをした」という、何かの本で読んだ一文だった。

「塩断ち」は、現実的に実行するのが難しいと思った。しかし「お茶断ち」ならできそうだ。自分の場合は、お茶よりコーヒーを飲む方が多いので「コーヒー断ち」にしよう。目標を達成した時に飲むコーヒーは、きっと今までで最高の一杯になるに違いない。そう考えて挑戦することにしたのだった。

コーヒー断ちを始めて、二ヶ月くらいが過ぎた時だった。夏の陽射しが燦々と降り注ぐ、暑い一日だったことを覚えている。その日、車のディーラーに用事があった私は、しばらく営業の方と話をしてから外に出た。駐車場に止めておいた自分の車に乗り込んで出発した時、ふと気がついた。


「今オレ、出されたアイスコーヒーを飲んでしまった!」

話に夢中になって、無意識のうちに出されたコーヒーを飲んでしまっていた。二ヶ月ぶりの一杯は、まったく「記憶も感動も残らない一杯」で終了してしまったのだった。



杜子春 芥川龍之介


「たといどんなことが起ろうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙っているのだぞ(杜子春 芥川龍之介)」


芥川龍之介の「杜子春」には、仙人になるために「何があってもひとことも話さない」試練に立ち向かう若者(杜子春)が登場する。どんなに酷い目にあっても口を開かないその様子からは「絶対に仙人になる」という強烈な意志が感じられる。ここまで耐えるのならば仙人になれるかもしれない、と思えてくる。

ところであの時私は「何を実現したくて、コーヒー断ちをした」のだろう? そこそこ真剣だったはずなのだが、今ではすっかり忘れてしまった。そもそもその程度の目標だから、あっさりと飲んでしまったのだろうと思う。


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