「槍ヶ岳紀行 芥川龍之介」読書の記憶 四十二冊目
教科書に掲載されている「歴史上の人物」には、リアリティを感じなかった。確かにこの世界に存在していたことは理解できる。しかし「その世界」は、今自分達が生活している「この世界」とは、どこか次元が異なっているのではないか。彼らと同じ時間の流れの先に、自分達の世界が続いているとは思えない。そんな感覚があった。
博物館などに展示されている「遺品」をガラス越しに眺めた時の、一枚の薄いガラスに大きな隔たりを感じる時のような感覚。あちらとこちらには、別の時間と空気が流れているような、そんな感覚があった。
たとえば今、私たちは、芥川龍之介が書いた作品を読むことができる。彼自身が、実際にペンをとり原稿用紙を埋めていったものを、目にすることができる。理屈では「それ」を理解できる。しかしそこにはどうにもリアリティを感じにくいのだ。彼らが私たちと同じように、一文字一文字埋めていく様子が、どうにもイメージできないのである。なにか魔法のような(つまり、非現実な)技で、ふわりふわりと創作しているような印象を抱いてしまう。彼らは本当に存在したのか? 小説の登場人物のように、架空の世界に存在する架空の人物なのではないか。そんなことを空想してしまうのだった。
槍ヶ岳紀行 芥川龍之介
芥川龍之介の「槍ヶ岳紀行」を読んだ時「ああ、芥川も山に登ったのだ」と思った。自分達と同じように、一歩一歩地面を踏みしめ「山は自然の始にして又終なり(槍ヶ岳紀行より)」と繰り返しながら頂きを目指し、土の上を歩いていったのだ、と思った。