「兄たち 太宰治」読書の記憶(七十七冊目)
「森羅万象」の読み方は? 高校生の時の話。私は数人の同級生と街中を歩いて移動していた。店頭に貼られているポスターが目にとまった。何かのイベント告知をするポスターだったと思う。私はそこに大きく印刷されていた「森羅万象」という文字を「もりらまんぞう」と声に出して読んだ。もちろん「しんらばんしょう」と読む事は分かっていた。ただ何となく、ふざけてそう読んだのだった。 すかさず、その時一緒に歩いていた女子の一人が「シンラバンショウ、でしょう!」と、私の言葉を修正した。私は「あ、そう読むんだ」と彼女に言った。正しい読み方を知らなかった、という素振りをしたのだった。彼女は何も言わなかった。私たちは目的地に向かって移動を再開し、誰かが別の話題を口にして、その話はそこで終わりになった。 なぜ、あの時私は「知ってるよ!」と反論できなかったのだろう? 彼女が、少し大きめの声で早口に指摘してきたからだろうか。その時一緒に歩いていたグループの中では、彼女がダントツで成績が良かったから「どうせ、オレは頭が悪いですよ」と、自虐的な感情が湧き上がってきたからなのか。高校生の頃の、なんとなく女子に尻込みしてしまうというか、照れてしまうというか、そんな感情のせいなのか。 「兄たち 太宰治」 私は、未だ中学生であったけれども、長兄のそんな述懐を、せっせと筆記しながら、兄を、たまらなく可哀想に思いました。A県の近衛公だなぞと無智なおだてかたはしても、兄のほんとうの淋しさは、誰も知らないのだと思いました。 (兄たち 太宰治 ) あの時自分は「正しい答えを知っていること」を伝えたほうがよかったのだろうか。「参りました! 」などと、大袈裟におどけてみせればよかったのか? そう、もしかすると彼女は「それ」を期待していたのかもしれない。 ……いや、違う。それはない、と思う。何かのテストに出題された時、私が「モリラマンゾウ」と解答したら可哀想だから、と間違いを指摘してくれたのだろう。たぶん、それだけのことなのだと思う。 太宰治 人間失格 思ひ出 富嶽百景 トカトントン 皮膚と心 I can speak 一問一答 兄たち 葉 同じ星