【番外編】レコードジャケットが、すべての出発点だった。



むかしむかし、レコードというものがあった。それは丸くて黒くて薄くて、回転させたそれに針を乗せると音楽が流れて・・・」と、レコードを昔話のように若者に語る時代もそう遠くはないのではないかもしれない。今の10代の人達の中で、レコードで音楽を聴いたことがある人は何%くらいなのだろう。学校の視聴覚室には、今でもレコードが置いてあるのだろうか。

確かにレコードは面倒が多かった。素材が塩化ビニールで傷がつきやすく変形しやすいから、細心の注意を払って扱わなければいけない。なにしろ表面に傷がつくと、音が飛んでしまってまともに聴けなくなることもあるのだ。
表面のごみやほこりをそっと払って、ターンテーブルの上に置く。再生のボタンを押すと、プレーヤーのアームが機械的なそれでいてどこか艶かしいような動きで、レコードの上に針を乗せる。ボッ、と接触音。パチパチという微かなノイズ。そしてスピーカーから音楽が流れ出した瞬間、すでにひと仕事を終えたかのように安堵したものだった。

そして、僕にとってレコードを購入する最大の楽しみのひとつが「レコードジャケット」だった。気に入ったジャケットは、棚にこちらに向けて飾った。当時はアーティスト本人がジャケットのデザインをしていると思い込んでいたので「さすがに○○はセンスがいい!」と、うれしくなったものだった。

高校生になりアルバイトをするようになってからは、知らないアーティストのレコードでも「ジャケットがかっこいいから」という理由だけで購入することも増えてきた(いわゆる『ジャケ買い』というやつだ)。気に入ったレコードジャケットを見つけると、わくわくした。普通に生活していては、出会う事がないデザインに触れることができる喜び。おそらく当時の自分にとって「レコードジャケット =アートの世界に触れる場所」の意味合いが強かったのだと思う。

そして今でも自分がデザインのディレクションをする時に、頭の中に浮かぶイメージは当時のレコードジャケットであることが少なくない。自分にとってのアートワークの基盤は、そこにあるのかもしれない。と、いうよりも、そこが出発点だったことは間違いない。


さて、今回はレコードジャケットについて書こうと思ったのではない。「それ」を出発点にして本の装幀について、書いてみようと思っていたのだった。ところが書き始めてみたところ思いのほか、さらさらと進んでしまったので今回は番外編ということで、ここで終わりにしようと思う。

ちなみに「ジャケ買い」ならぬ「装幀買い(と、いう言葉はないと思うけれど)」をした作品も、レコードほどではないけれどいくつかある。レコードよりも数が少ないのは、やはりあのサイズ感だと思う。レコードジャケットは約30cm四方の堂々としたサイズ。書籍の場合はそこまで大きなサイズのものは少ないから、勢いと迫力を求めていた若いころの自分には・・・と、また続きそうなのでここで終わりにしよう。

そういえば、と思い出したのでこれだけは書いておきたい。以前、漱石の「こゝろ」の回で「学校帰りに書店に寄って、新潮文庫の「こころ」を手にとった。えんじ色の背表紙が、なんとなく漱石っぽいと思ったからだ。」と書いたことがあった。いわゆるこれも「装幀買い」ということになるだろう。つまり、そういうことである。

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