「風の又三郎 宮澤賢治」読書の記憶 五十冊目
転校生だったころ 小学校2年生の時に「転校生」になったことがある。親の仕事の都合だった。その時は、特に嫌だという感情はなかった。ある日「引っ越しをする」と親に言われ、気がついたら別の小学校に通うことになっていた、という程度の記憶しかない。いや、その時の担任の先生が苦手な感じの先生だったので、むしろ好ましく思っていた部分もあったかもしれない。 転校初日。職員室で新しい担任の先生に挨拶をした。「今から一緒に教室へ行きますよ。みんなの前で挨拶をしてもらうから、元気にね」と、いうようなことを言われた。先生が教室のドアを開けた。後に続いて中に入ると、わーっ、という歓声が上がった。「転校生だー!」のような声も聞こえた。そのあとのことは、もう覚えていない。帰り道も、どうやって家に向かったのか覚えていない。 数日後の放課後、クラスのY君とH君が遊びに誘ってくれた。僕たちは、近くの公園へ行き、そこにあった大きめの池で遊んだ。2人はクラスでも目立つ方の生徒だった。面倒見が良くて、色々な遊びを知っている体育が得意なY君と、やさしい笑顔を持っていて、どことなく洒落た感じのするH君。2人が仲間に入れてくれたおかげで、僕は一気にクラスに溶け込むことができた。もしも2人がいなかったのなら、ひとりで本を読んでいる存在感のない小学生になっていたかもしれない。 それから数年後、今度はH君が転校することになった。それがきっかけになったのか、いつのまにかY君とも遊ばなくなった。そして、そのまま僕たちは中学生になり、もう会話をすることも挨拶さえも交わすことはなくなっていった。 今ごろ2人は、どこで何をしているのだろう。なんとなくだけど、 全く根拠はないけれど、 いつかどこかで、どちらか1人とは再会できるような気がする。そして1人と再会することができたのなら、2人でもう1人を探しに行くような気がする。長い人生の中で、そんな奇跡のようなことがひとつくらいあっても、いいのではないだろうか、と思う。 「風の又三郎 宮澤賢治」 先日、 宮沢賢治 の 風の又三郎 を読み返していた時、又三郎が「たばこの葉」を採る場面で、ここに書いた事を思い出した。とくに、同じような体験があった訳ではない。いや、もしかすると自分が忘れているだけで、似たようなことがあったのかもしれな