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夢十夜 (夏目漱石)読書の記憶 十五冊目

僕は布団の上に横になっている。いつもと同じ部屋。いつもと同じ布団。目を開けて、いつもと同じ天井を眺めている。ふと天井の模様が気になって、目を凝らしてみる。人の顔のように見える。左目だけが妙に大きい顔。怒っているようにも、泣いているようにも見える。数秒ほど見つめていると、どんどん天井の模様が大きくなって、こちら側に迫ってくる。ぐいぐいと勢いをつけて自分の方に迫ってくる。 自分が空中に浮いているのか? それとも天井が迫ってきているのか? その両方なのか? それを確認する間もなく、僕の目の前に天井が近づいてくる。もう、天井にこびりついている埃さえもはっきりと見える。端の方に見えるのは蜘蛛の巣だろうか? せっかくこんなに近づいているのだから手で払っておこうと思う。普段は背伸びをしても届かない場所だけれども、今は届く位置にあるのだから取り除いておこうと思う。 僕は手を伸ばそうとする。そこで目が覚める。絶対に、天井に触れることはない。どんなにギリギリの距離にまで迫ったとしても、僕の息が天井に届く距離にまで近づいたとしても、決して触れることはない。 子供のころ、熱を出して寝ている時にこの夢を見た。ああ、またこの夢だ、という気分と、頭の奥底をかき混ぜられて記憶が歪んでゆらめいて何かが損なわれたような不安な気分が混ざり合って、ひどく落ち着かない気分になった。「この場所」は「いつもの場所」と同じ場所なのだろうか。そして、「今ここにいる自分」は「さきほどまでの自分」と同一人物なのだろうか。そんなことを小学生の漠然とした頭で考えていた。そしてこの夢は、中学校に進級したあたりから見ることがなくなってしまった。 大学生のころ 漱石 の「夢十夜」を読んだ時、ひさしぶりにこの夢のことを思い出した。頭の中に夢の映像が思い浮かんできた。意識はしっかりと目覚めているのに、頭の中で夢の映像が再生されているような、現実の世界と夢の世界を同時に見ているような感覚だった。もしかしたら漱石もこんなに風に「昼間に見た夢」を描いたのではないだろうか? と思った。 夏目漱石  掲載作品 三四郎   こゝろ   夢十夜   坊っちゃん   虞美人草   私の個人主義   明暗

少年探偵団 (江戸川乱歩)読書の記憶 十四冊目

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小学生の時の話。 通学路の途中、住宅街から少し離れた場所に空き地があった。雑草が生えているだけの、何の特色もない空き地。野球やサッカーをするには狭いし、集まって話をするには退屈な眺めの場所。「この道を真っ直ぐに進んだところにある、空き地の先を・・・」と話した時に「空き地なんてあったかな?」となるような場所。確かに存在はしているけれど、記憶には残らないような場所。 ある日のことだった。その空き地に突然「家」が建った。家といっても、本格的な家ではない。ちいさなプレハブの「移動可能な家」だったのだけれども「昨日まで存在しなかったものが、今日突然出現した」というシチュエーションが、小学生の僕たちには何か特別な意味のある存在のように思えたのだった。 「どうやって建てたのだろう?」「昨日まではなかったよな?」「ヘリコプターで運んできたのでは?」「そういえば、2組の木村が夜に変な音を聞いたと言っていた」「秘密結社の基地かもしれない」「今は中に人がいないけれど、夜になったら集まってきて会議が開かれるのかもしれない」「ちょっと近くに行ってみよう」「いや見つかると危険だ」 そもそも、誰の目にも見えるところに現れた建築物が「秘密結社」のそれであるわけはないし、それ以前に秘密結社というものが何をする団体なのかもわからなかったけれど、 江戸川乱歩 の 少年探偵団 になったような気分であれこれと空想を広げたものだった。あの家に関する謎を最初に解き明かすのは誰だ? 小学生の僕たちは、そんな気分に浸っていたのだと思う。 数日後、その「家」は跡形もなく空き地から消え去ってしまっていた。何の気配も痕跡も残さずに、どこか遠くへと消え去ってしまっていた。まるで家自身が意識を持っていて、僕たちがそれ以上近づく事を拒むためにどこかへ飛んで行ってしまったかのように。やはりあの家は、特別な何かだったのだ。もう少し時間があれば、正体を突き詰めることができたのに。また、あの家が戻ってきたのならば、今度は勇気を出して中を覗き込んでみよう。 友人の一人が「ここから少し離れた空き地に、あの家がまた現れた」という情報を持ってきた。僕たちは遠回りをして、家が現れたという空き地へとやってきた。勇気を出して近くで見た「それ」は、確かに良く似てはいたけれど僕たちが知っている「あれ」とは、少し

青年 (森鴎外)読書の記憶 十三冊目

大学受験の勉強というものは、おおむね退屈なものだけれども、その中でもわりと興味を持って取り組むことができたのが「文学史」だった。「日本文学史における『物語の祖』が竹取物語である。そしてそこから・・・」と時系列で文学作品について学んでいくアレである。 「現実を赤裸々に描こうとする自然主義が生まれ、文壇に大きな影響を与えた訳ですが、今度はそれに対して反自然主義が生まれ・・・」のように、一方が盛り上がればそれに反するものが生まれ、次にそれに反するものが生まれ、さらにさらにと続いていく流れに、なるほどなるほど、と高校生の僕はしみじみとうなづいていたものだった。もちろん、なるほど、と言っても文学思想そのものに感心していたわけではなく、そのような視点で文学作品を読み解くということに、面白さを感じていたのだと思う。作品が生まれた時代背景や、作者の立場や思想から作品を解釈していくことで何かが見えたような気になっていたのかもしれない。 その中で、とりわけ気になったことのひとつが、漱石と鴎外のエピソードだった。「鴎外は漱石の『三四郎』に刺激を受けて『青年』を書いたとされる」という説明などを聞くと、なんだかわくわくするものを感じたものだ。鴎外にも刺激を与えるような「三四郎」とは、さぞかしすばらしい作品なのだろう。さらにそれを読んで執筆された「青年」はどれほどの作品なのだろう。その時の僕は「三四郎」も「青年」も、まだ読んでいなかったので、受験が終わって時間に余裕ができたのなら絶対に読もう。すぐ読もう。と、楽しみにしていたのだった。 ところが、受験が終わり時間に余裕ができると、逆に本なんて読まないものである。もっと単純に目の前にある刺激を優先してしまうものである。時間ができたのなら、文学史に出てくる主要な作品はすべて読もう、と息巻いていた気分は急速に向こう側へと飛び去っていき、非生産な時間をもてあます日々が続いてしまうのが凡人の性なのかもしれない。そもそも懸命な人ならば、受験勉強の合間の時間を上手に使って、さっさと読了してしまうことだろう。 そのように怠惰な時間を繰り返していた学生時代の中、ようやく「三四郎」と「青年」を手にとる時がやってきた。もはや、いつ読んだのか、ふたつの作品を比較してどのような感想を持ったのかは忘れてしまった。ただ「三四郎→青年」の順に読んだこ

小僧の神様 (志賀直哉)読書の記憶 十二冊目

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大学に進学して上京した時の話。 受験勉強から解放された爽快感。一人暮らしで自由な時間を存分に楽しめるという充実感。自分が好きなことを好きなだけやることができるのだ。何がなんだかわからないけれど、とにかく自由だという喜び。それらの気持ちが混ざり合って高揚した気分の中、一人暮らしがスタートしたばかり時の話。 それまでの僕は、一人で食事をするという習慣がなかった。いや、もちろん普段の食事は一人で済ませることもあったけれど、一人で外食して店に入って食事をするということが数えるほどしかなかったのだ。これから一人暮らしを始めるにあたって、一人で外食する機会も増えるだろう。まずは近場の定食屋などを巡ってみたりしながら、少しずつ活動範囲を広げていこう。 そんなことを考えながら、僕はまず最寄りの駅近くの蕎麦屋に入ってみることにした。小さなテーブルが3つとL字のカウンター席があるだけの店。午後の2時を少し過ぎたあたりだったせいか、僕以外に客はスーツを着た会社員が一人しかいない。店主と思われる、50代くらいの男性が厨房の奥の方で何か作業をしている。僕は、 志賀直哉 の「 小僧の神様 」の主人公が「こんな事は初めてじゃない」と、慣れたふりをして寿司屋に入っていく場面を思い出しながら、いかにも常連客のような平静さを装いつつカウンターに座りテーブルの上にあった数週間前の週刊誌をめくるような素振りをしてみせた。 僕の予想では「いらっしゃい」と、店員が水のはいったコップを僕の前に置いて注文を聞いてくれるはずだった。ところが待てど暮らせど、店員はこちらへはやってこない。 斜め向かいの会社員は、蕎麦らしきものを食べ終えて新聞をめくっている。間違いない。ここは蕎麦屋で、蕎麦を提供してくれる場所である。僕が間違えているわけではない。もしかして店員が、僕に気がついていないのではないか? のんきに数週間前の雑誌を読んでいる場合ではないのではないか? それとも、この店独自のルールでもあるのか?  僕は椅子から少し腰を上げて、あの、というように奥の方にいる店員に呼びかけてみた。その店員は、食券買って、と入口の横の方を見た。僕は彼の視線の先を見た。食券販売機があった。僕はあわてて販売機の方に行って食券を買いカウンターに置いた。会社員は新聞を読んでいた。僕の頭の中にはまた「

こゝろ (夏目漱石)読書の記憶 十一冊目

子供のころ「一生のうちに、何冊本を読めるだろう」と考えたことがあった。「1日1冊ペースだと一年で365冊。10年だと3650冊。すると、10000冊読むには、だいたい30年くらいかかるのか。30年なんて永遠に未来のような気がするな」 そしてあの日から、おおむね30年が経過したわけだけど、実際のところ僕は何冊の本を読んだのだろう。精読した本だけではなく、資料として部分読みをした本や雑誌なども含めれば8000冊は読んだ・・・いや、少なくとも5000冊は読んだだろうか。いや7000冊くらいは。 時間には限りがあるし、なるべく多くの本を読みたいから、同じ本は繰り返し読まないようにしている。それでも、定期的に読み返してしまう本がある。その一冊が夏目漱石の「こころ」である。 高校生のころ、音楽とバイクに夢中になっていた僕は、小説の類いを読まなくなっていた時期があった。特に「文学なんてカビ臭いもの誰が読むっていうんだよ」というようなロックっぽい反骨精神があったわけでもなく、ただなんとなく手が伸びなかったのだ。 そんなある日。教科書に収録されていた 漱石 の「こころ」を読んだ。純粋に「もっと読みたい」と思った。続きが読みたい。自分が読みたいと思っていたのはこれだ。と、いうようなことを少し興奮気味の頭で思った。学校帰りに書店に寄って、新潮文庫の「こころ」を手にとった。えんじ色の背表紙が、なんとなく漱石っぽいと思ったからだ。 本の値段は、わずか数百円だったのだけど、懐の寂しい高校生にとっては少々勇気が必要な金額だった。いやいや、大袈裟ではなく、お金があれば一枚でも多くCDを手に入れたいと思っている高校生にとっては、数百円でさえも大きな決断が必要だったのだ。たぶんみなさんにも、そんな時期があったのではないかと思う。 結局、その日は断念したものの、数日後無事に「こころ」を購入することができた。一気に読んだ。読み終わってから、あとでまたゆっくりと読み返そう、と思った。それから長い時間が過ぎたけれど、今でも時々読み返すことがある。先日も前半部分を読み返した。「すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。(上 先生と私 30より)」の部分が目にとまった。こんな場面があったんだな、と思った。 夏目

銀河鉄道の夜(宮澤賢治)読書の記憶 八冊目

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一人で、買い物へ行った時のこと 小学2年生の時の話。 僕は休みの日にひとりで留守番をすることになった。生まれて初めての留守番だった。母親に「(留守番の日に)これで何か好きなものを買ってきなさい」と、300円を渡された。400円だったかもしれない。くわしくは忘れてしまったけれど、こづかいをもらった僕は留守番の不安や煩わしさよりも「一人でお菓子を買いに行く」というイベントの方に興味が向いてしまっていた。  留守番の当日、僕は一人で近所の店へ出かけていった。地元の商店街にある家族で経営しているような小さな店で、食料品から生活雑貨まで色々と並べてあるようなところだった。僕はそこでお菓子を物色したあと、チューインガムを2個選んでレジに向かった。その時の僕は「ガムを大きく膨らませる」ことに夢中になっていたので、2個買えばたっぷりと練習ができると思ったのだ。 レジの店員は、僕に向かって「ボク一人? おかあさんは?」と聞いてきた。僕は「いない」とか「ひとりで留守番してる」というようなことを答えた。すると店員は「2個もガムを買って大丈夫? おかあさんは知っているの?」というようなことを聞いてきた。僕は「大丈夫」と答えた。店員は「ほんとうに?」というようなことを何度か僕に聞いてから、後ろにいた別の店員と何かを話したあと、ようやく僕にガムを渡してよこした。 僕はなんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、ひとりで家に帰って、ガムを噛んでふくらませる練習を始めた。1粒よりも2粒食べると大きく膨らませることができるということと、さらに1粒加えて3粒にしてもさほど大きくならないということを知った。なかなかの収穫だと思った。やはり2個買って正解だったと思った。 数日後、僕は母親と一緒にその店に買い物へ行った。店員は母親を見つけると「この前、ボクがガムを2個買いにきたのですが・・・」というようなことを話しかけてきた。母親は「ああ、大丈夫です。ありがとうございます」というようなことを言っていた。 その時の僕は、店員と母親が何を話しているのかはよくわからなかったけれど「この店員さんに、何か疑われているようだ」ということは、うすうすと感じとっていた。店員にしてみれば親切な気持ちだった のかもしれないが、子供の僕にとっては「自分が疑われている」という居心地の悪さのようなものを

伊豆の踊子(川端康成)読書の記憶 七冊目

「16歳の誕生日」というと、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 僕にとっての16歳の誕生日は「原付免許が取れる日」だった。とにかく早く原付に乗りたい。バイクに乗りたい。1日でも早く。早く。そんな風に指折り数えて待ちわびた誕生日がやってきて、僕は一目散に試験場へ向かい免許を収得したのだった。その後、バイクの魅力にとりつかれて、レストランの皿洗いで貯めた資金でヘルメットを買い教習所の代金を支払い、念願のバイクへ乗ることになるのだけど、その話はまた別の機会に書くことにしよう。 さて、そんな風にして16歳早々に原付の免許を手にした僕の最初の相棒は、自宅にあったHONDAのロードパルだった。名車である。ほんとうにオンボロだったけれど、トロトロしかスピードが出なくて後ろから車にクラクションを鳴らされたりもしたけれど、すばらしく楽しかった。今まではバスや電車でしか行けなかった場所へ、行きたい時に行きたい道を通って自分の意志で、目的地まで走っていくことができる。もちろん、移動範囲はたかがしれているけれど、それでも当時の僕にとっては「とんでもなく世界が広がった」瞬間だった。誇張でも詩的な表現でもなく文字通り「自由を手にした」と思っていた。そう、16歳の僕は心からほんとうにそう感じていたと思う。 休みの前日に地図を眺めながら、目的地を決める。あまり車が多くなくて、原付でも走りやすいところ。インターネットなんてなかったから、紙の地図に定規をあてておおまかな距離を計算していく。その頃の僕の興味は「一日で可能な限り長い距離を走る」というところにあったので、観光スポットを巡るというよりは、知らない道をできるだけ遠くまで走るというルートが多くなった。食費を削ってガソリン代にして、目的地周辺のコンビニに立ち寄ってスクーターの椅子に座って、ふう、と缶コーヒーを飲む。缶コーヒーなんて、どこで飲んでも味は同じだけれど、そんなことが自分にとっては「さいこうにうれしくて、おいしいこと」だったわけである。 そして、今でも僕が旅をする時は(移動手段はバイクから車へとかわったけれど)基本的に同じような考えのままでいる気がする。「一度も走ったことがない道を、できるだけ遠くまで」そう、たぶん僕は自分で運転した乗り物で「ずっと走っている」という時間が好きなのだと思う。 川端康成「伊豆の踊子

三四郎 (夏目漱石)読書の記憶 五冊目

中学生の頃の話。学年集会だったか全校集会だったかは忘れてしまった。そこで、ある先生が「今、みなさんは『青春』真っ盛りなわけですが・・・」というような話を始めた。その瞬間、生徒の間で失笑が起こった。生真面目な風貌の先生が「青春」という言葉を、唐突に口にしたことがなんとなくおかしかったのだ。 その時僕は、自分が「青春の真っ盛り」にいるとは考えられなかった。そもそも青春というものが、どのようなものかを説明することはできなかったけれど、とりあえず今とは違う「何か」が、そこには漂っていて「ああ、これがつまり青春ってやつなのかもしれない」と自分も周りにいる友人達も、目を合わせて黙ってうなづくような、静かなる熱狂がふつふつと心の奥から沸き上がって溢れ出しそうな、そんな感じの時間のような気がしていたからだ。少なくとも今の自分のような、退屈でエネルギーを持て余しているような状況とは全く異なった雰囲気の世界だろう、と思っていたからだ。 青春、という時間が、とっくの昔に過ぎ去ってしまった今。ふと「ところで青春ってやつは、いつ始まっていつ終わったのだろう」と考えた。「いつだって若々しい心を持っていれば、それがつまり青春を生きているということなのだ」という自己啓発本のような青春の定義ではなく「あ、今オレは青春なのだ」と自他共に認められるような青春の時代とは、いつだったのだろう。 とりあえず、青春らしいことも、心の奥底が抑えきれないほどふつふつとしたこともなかったような気がする。もしも「それ」が存在するとするのなら(存在したはずである)音もなくやってきて、そよ風のように遠くへ過ぎ去っていったのだろうか。いや、そよ風ならまだ体感することもできるから、そよ風とさえ言えないくらい微かに。 漱石 の青春小説「三四郎」の主人公、三四郎は熊本から上京し東京帝国大学へ入学する。そこで出会った人、風景、できごとに翻弄されながらも、時々立ち止まり何かを考えようとする。考えるけれど、自分からは何もしようとはしない。ただ目の前の世界がスピードを加速して流れ変化して行く様子を眺めている。そして結論が出ないまま、話は終わる。もしも、これを「青春」と呼ぶのならば、そう確かに僕にも青春はあった。 夏目漱石  掲載作品 三四郎   こゝろ   夢十夜   坊っちゃん   虞美人草   私の個

人間失格 (太宰治)読書の記憶 四冊目

予備校生だったころの話。そのころ一緒につるんでいた仲間の中にA君という友人がいた。彼は「ボクは、ペシミストなんだよ!」と口にするようなタイプの人間だった。そして太宰の「人間失格」を指差しながら「これはボクだよ!」と言い切るような男だったのだけど、自分で言うくらいだから実際にはペシミストでもナルシストでもなく「自分も他人も傷つけたり傷つけられたりすることが嫌い」な、人付き合いのいい真面目でやさしい男だった。むしろ明るく冗談が好きな男だった。と思う。 そんなA君が恋をした。同じ予備校の子で、小柄で黒目がちの可愛いらしい子だった。中学校の頃には運動部に所属していて(何部に所属していたのかは、聞いたけれど忘れてしまった)身体を動かすのが好きな感じの子。大人しいように見えるけれど、必要な時には自分の意見をちゃんと言える子だった。と思う。 ペシミストなA君は、ペシミストなくせに大胆にも彼女に告白した。そして2人は付き合うことになった。その報告を聞いた時僕は、え? そうなの?  好きな子ってあの子だったのか。別の子だと思っていたよ、と口にしたような気がする。なんだかすごいなあ、と何が凄いのかはわからないけれど、すごい、と何度か口にしたような気がする。 模試が終わった日の夕方だった。A君はこれから彼女とデートするので待ち合わせの場所へ行く、と言った。僕たちは用もないのに、ぞろぞろと待ち合わせの場所に付いていった。しばらく雑談をしながら待っていると、彼女はいつも一緒にいる女の子と待ち合わせの場所にやってきた。そして、A君と彼女は僕たちに向かって「それじゃあ」というような表情をすると、二人で並んで向こう側へ歩いて行ってしまった。残された僕達と彼女の友達は「何か」をもてあましながら、そのままそこに立っていた。 しばしの沈黙のあと、彼女の友達は「えーと・・・」というような感じで僕たちに向かって笑いながら頭を下げると、その場から立ち去っていった。僕たちも、えーと、というような感じで彼女の友達を見送った。 先日久しぶりに 太宰治 の人間失格を手にした時、この「A君の彼女の友達が、僕たちのところから立ち去っていく」場面を思い出した。記憶というものは、実に唐突なものである。 太宰治     人間失格   思ひ出   富嶽百景   トカトントン   皮膚と心   I

トロッコ (芥川龍之介)読書の記憶 三冊目

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小学一年生のころ、鉄棒の練習に躍起になっていた時期があった。逆上がりは、なんとかマスターできたものの鉄棒に座ってそのまま後ろに回る技(正式名称は何というのだろう?)が、怖くてどうしてもできなくて悔しい思いをしていたのだった。この「腰掛け後ろ回り(仮)」ができるかどうかが、僕たちの中では「かっこよさ」を決める重要なポイントだったから、なんとかできるようになりたいと思っていた。 ところが僕は、子供のころから高いところがあまり得意ではなかったので、鉄棒に座ること自体が一苦労。そこから後ろに回ることなんて、どう考えてもできる気がしなかった。「いくぞ! いくぞ!」と自分に声をかけて励ますものの勇気を出せずに、ただ鉄棒に座ったまま時間だけが過ぎていく。そして友人から「○○は、この前の放課後にできるようになった」という報告を聞く度に、先を越された焦りと悔しさと切なさが混ぜこぜになって胸の奥のあたりが、きゅっと締め付けられるような気分になったものだった。 あの日は、半袖から出ていた腕が少し肌寒く感じていたのを覚えているから、たぶん初秋のころだったと思う。僕は、小さなブランコと鉄棒がある近所の公園に一人で練習にきていた。いつものように鉄棒の上に座り、真っ赤に染まった夕焼けの空を眺めていた時、ふいに「今日できなければ、一生できないかも」という衝動に襲われた。「チャンスは今日しかない。今日できなければ明日も明後日も無理。二度とチャンスはない」と、切羽詰まるような感覚だった。夕焼けと肌寒い空気が、そんな風に思わせたのかもしれない。よくはわからないけれど、背中側から誰かに決断を迫られているような、何か重いものにのしかかられているような、そんな感覚で小学生の僕の頭の中はいっぱいになっていた。 鉄棒の上で、葛藤の時間をしばらく繰り返した後、僕はついに意を決して「腰掛け後ろ回り(仮)」を実行した。僕の身体は、拍子抜けするほどあっさりと鉄棒を軸に回転して地面に着地した。うれしい、というよりも「なんだ、これならもっと早く挑戦すればよかった」の気持ちの方が強かったように思う。 芥川龍之介 の「トロッコ」を読んだのは、中学生の時。この小説を読み終わった時、僕の頭のなかには「腰掛け後ろ回り ( 仮 ) 」に初めて挑戦した時のことが思い浮かんでいた。あの時、一人で鉄棒に腰掛