「鑑定 芥川龍之介」読書の記憶(六十四冊)



今から8年ほど前の話。ある会社の経営者の方(ここではA氏とする)から「会社のキャッチコピーを書いてほしい」と依頼を受けた。「近々、ホームページと会社のパンフレットを作成するので、それに合わせてキャッチコピーを新しくしたい」とのこと。

会社のキャッチコピー(コーポレートスローガン)は、数年にわたって使用されるものなので「時間を乗り越えていける言葉」を探していく必要がある。時間軸を現在から未来へと移し、そこまでの道筋を行ったりきたりしながら考えてみたりもする。なかなか時間も労力も必要になるけれど、個人的には好きな仕事のひとつである。

僕は、いつものように取材と打ち合わせを何度か繰り返した後、出来上がったキャッチコピーをプレゼンした。Aさんは「これで勝負します!」と、その中のひとつを指差した。どうやら気に入っていただけたようだ。ほっ、と肩の荷を下ろして、椅子に腰掛ける。

その日の帰り際だった。「色紙を用意しますので、何か一筆書いて欲しい」とA氏に声をかけられた。「将来価値が出ると思うから、今のうちに佐藤さんのサインをもらっておきたい」と冗談とも本気ともわからないような事を、頼まれてしまったのだった。


のみならず彼等の或者は「兎に角無名の天才は安上りで好いよ」などと云つて、いやににやにや笑ひさへした。(芥川龍之介 鑑定より)


今のところ、僕のサインの価値は上がる様子を見せない。あの時「そうですか、では一筆」などと調子に乗って書かなくてよかった。もしも書いていたのなら、価値が上がるのではなく失笑の数だけが増えていたに違いない。芥川龍之介の「鑑定」を読みながら、そんな事を思い出したのでした。


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