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「犯罪 横光利一」読書の記憶(八十九冊目)

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逃げたセキセイインコと、留まったセキセイインコ
中学生の頃、自宅で二羽のセキセイインコ飼っていた。オスとメスのつがいで、いつも仲良く止まり木に並び、話をするように鳴いていた。

飼い始めてから数ヶ月が過ぎた頃、メスのインコが、くちばしで鳥籠の入り口の格子戸を器用に開け閉めするようになった。 カシャン、カシャン、と格子戸を上下させる音を耳にする度に、ああ、またやってる。そのうち鳥籠から出て行ってしまうんじゃないか、と考えた。しかし開けることはできても、外に出ようとした瞬間に閉じてしまうから実際に出て行くことはないだろう、とも考えていた。

それから数週間後、籠の中には雄のインコが一羽だけになっていた。雌のインコは自分で格子戸を開けて逃げてしまったのだった。一羽になったインコは、どこか寂しそうに見えた。かわいそうだから新しいインコを探してこようか、と家族で話しつつも結局そのまま時間が過ぎていった。

そして数年後、インコは一羽で静かに息をひきとった。何の予兆も前触れもなく、ある日突然、籠の中に小さくなって倒れていた。それを最初に見つけたのは誰だったろう。あの小さい体をどこに埋めてやっただろう。今ではもう、なにもかもすっかり忘れてしまった。


「逃がしてやらう」私は籠の格子戸を開けた。然れ共彼女は容易に出なかつた。で、反対の方を叩くと漸つと出て、庭の上をピヨンピヨン飛んで、植木鉢の楓の下を出たり入つたりしてゐた。(犯罪 横光利一より)


横光利一の「犯罪」を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。逃げていった彼女と、ここにとどまった彼。そのどちらが幸せな一生だったのだろう。彼は、外へ出たいと思っていただろうか。彼女は、彼に会いたいと思うことはあっただろうか。二人はまた、再会することができただろうか。


横光利一時間頭ならびに腹犯罪

「はじめてのキャンプ 林明子」読書の記憶(八十八冊目)

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はじめてのキャンプが、僕の価値観を決定づけた。
小学四年生の時の話。同じクラスにボーイスカウトに入隊しているS君がいた。夏休みが近くなった頃、Sくんに「キャンプに行かないか」と誘われた。詳しく話を聞くと、ボーイスカウトの夏キャンプがあり、そこに一般の人も体験参加できるということだった。特に夏休みの予定がなかった僕は、誘われるまま参加することにした。そしてこれが僕の「はじめてのキャンプ」になった。

圧倒的な開放感と自由な世界「キャンプはすごい!」 キャンプの日程は一泊二日だったと思う。ここでは、学校や親には「危ないからやめなさい」といわれそうなことも「さあ、気をつけてやってみよう!」と背中を押してくれる。靴のまま川に入ってびちょびちょに濡らしても、シャツが汚れて泥だらけになっても、怒る人はいない。夜はキャンプファイヤーで歌って過ごし、朝は飛び起きてすぐにイベントが始まる。とても二日間とは思えないような充実した時間が過ぎ、圧倒的な開放感と自由な世界を満喫したのだった。
今から考えれば、ちょっとした野外でのレクレーション程度の内容だったのかもしれない。それでも、野外で遊ぶ経験が少なかった当時の僕にとって、すべてのイベントは未体験でワクワクする新鮮なものばかりだった。「キャンプはすごい! おもしろい! また行きたい!」と、夏休みの作文にわくわくする気持ちを綴ったことを覚えている。


平らな地面と、抜けるような空。 あれから数十年の時間が流れた。今でも、年に何度かキャンプに出かけていく。小さなテントと最小限の煮炊きができる道具を持って、車に乗って出かけていく。一泊では物足りない。二泊なら、ちょっとゆとりができる。三泊くらいがちょうどいい。

社会人になると、なかなかまとまった休みは取れないけれども、それでも日程を組んで出かけていく。山奥で人気がなくて、設備はボロボロでも平らな地面と抜けるような空のテント場を見つけると、わくわくする。



林明子の「はじめてのキャンプ」を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。僕にとっての「はじめてのキャンプ」は、あの夏のキャンプであり「キャンプの原風景」なのだ。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹」読書の記憶(八十七冊目)

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今から数年前の話。友人の看護師さんから「村上春樹を読んでみたいと思うのだけど、何かオススメはありますか?」と質問されたことがあった。その時僕は、ちょうど読み返していた「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を薦めることにした。彼女が普段選んでいるような本や話題に上る内容から考えて、この本がちょうどいいのではないか、と思ったからだ。

彼女は「わかりました」と答えた。僕は「よかったら、貸しましょうか?」と言いかけて止めた。他人から本を借りてしまうと「読まなければいけない」という義務感が生じてしまう。貸した方も「あの本はどうだったかな」と感想を聞きたくなる。でも、彼女は本当に読みたいと思って質問したわけではなく、話の流れでなんとなく口にしただけかもしれない。

いや本当に読みたいと思っていたとしても、彼女は普段、仕事でとても忙しくしているということを聞いていたから、そもそも長編を勧めたのは間違いだったかもしれない。まずは読みやすい短編にするべきだったのかもしれない。一応短編も勧めておこうか。そんなことを考えているうちに時間になり、その日はそこで話が終わりになった。


2週間が過ぎた。彼女からメールが届いた。そこには「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを読みました。とても面白かったので〇〇を買っちゃいました」と書かれてあった。そう、彼女は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を購入して読み終え、さらに新しい作品を購入していたのだった。

本を読むのは楽しい。そして、それを誰かに勧めた時に「おもしろかった」と言ってもらえたら、さらに楽しくうれしい。僕はパソコンのディスプレイの前で、ひとりニヤニヤしながら、今度会う時に感想を聞かせて下さい、と返信した。



彼女の首筋にははじめて会ったときと同じメロンの匂いがした。私は苦労して体の向きを変え、彼女の方を向いた。それで我々はベッドの上で向きあうような格好になった。 (世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドより)


先日、本棚を整理してる時に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が目に止まった。日に焼けて擦れて、背表紙の作者名が半分消えかけてしまったピンク色の装丁は、初めてこの本を手に取った時からだいぶ時間が過ぎてしまったことを実感させてくれた。

彼女は今、何の本を読んでいるのだろう。あれからどんな作品に出会い、どのようなこ…

「名人伝 中島敦」読書の記憶(八十六冊目)

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バットに当てるだけなら、どんなに速い球でも当てられる。

大学生だった時の話。友人達とバッティングセンターへ行くことになった。それぞれが適当に楽しんでいると、元野球部のK君が「一番速い球を打ちたい」と言い出した。僕たちはK君に付いていき、そこのバッティングセンターで、一番早いマシンの所へ行った。詳しい球速は忘れてしまったが素人の僕たちから見ると、シュンという音は聞こえるものの、ほとんど球が見えないような速さに感じられた。

K君は素振りをすると、おもむろに硬貨を投入した。マシンから放られた球に向かって何度かバットを振った。すべて空振りだった。「やっぱり現役の時とは違うなぁ」とK君はぼやいた。

友人の一人が「こんなの本当に打てるの? バットに当たる感じすらしないんだけど」と、少し挑発気味に言った。K君は「当てるだけなら、いくらでも当てられるよ」とバントの構えをすると、飛んできた打球をバットに当てた。金属バットのコーンという音がした。

「おお、本当に見えているんだ!」 

僕たちは歓声を上げた。K君は、だから当てるだけなら当てられるんだって、と繰り返すとバットを持ち直した。初回の球数が終わった。K君は躊躇せずに硬貨を追加した。その回も終わりに近づき始めたころ、何球かバットに当たるようにはなってきたものの、そこから快音が聞こえることはなかった。

K君が外に出てくると、入れ替わりで別の人がボックスに立った。僕たちよりもやや歳上に見える、がっしりとした体格の人だった。その人は、数回ゆったりとしたフォームで素振りをした。硬貨を投入した。カキーン、カキーンと、いいペースで球を打ち始めた。打てる人には打てるんだなあ、と誰かが言った

「名人伝 中島敦」

視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。(名人伝 中島敦より)

名人伝の紀昌は、弓矢の師匠から「小さなものが、大きく見えるようになるまで修行をするように」と告げられる。紀昌は三年の修行の結果、 ある日ふと気が付くと、



窓の虱が馬のような大きさに見えていた。 (名人伝 中島敦より) 

ことに気がつく。厳しい修行の成果で、微かなものが大きなものに見える「目」を習得することができたのだった。


この部分を読んだ時、バッティングセンターの出来事を思い出した。素人には線にしか見えない球速でも、経験…

「葉 太宰治」読書の記憶(八十五冊目)

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背が高い人は、他の人よりも頭を下げなければいけない

小学六年生の時の話。僕たちは、体育館で卒業式の予行練習をしていた。全員で椅子から立ち上がり、正面に向かって一礼した時だった。ある先生が、僕のところにやってきて背中をトントンと叩いて言った。


 「あんた、背が大きいのだから、他の人よりも深く頭を下げないとダメなんだよ」 

その当時の僕は、わりと身長が高い方だった。たしか、学年で三番目くらいの身長だったと思う。いや五番目だったかもしれない。とにかくその先生は、僕の頭を下げる角度が浅いので「遠くから見ると、あんたの頭だけが上に飛び出ているように見えた」と注意にやってきたのだった。


僕は、その先生の前で立ったまま一礼を繰り返した。地面に向かって90度というよりは、135度よりも深く。先生から「良し」をもらうには、自分が想像していたよりも、ずっとずっと深く頭を下げなければいけなかった。  


「背が高いと偉そうに見えるから、他の人よりも頭を下げないといけないんだよ」

それ以来僕は、自分の身長を気にするようになった。背が高いと偉そうに見える。先生に注意される原因にもなる。できるだけ頭を下げて、目立たないようにしなければならない。自分が思っているよりも、深く深く頭を下げなければいけない。背が高いということは、色々と周囲に気を配らなければいけない。小学校の時の僕は、そう体験から学んだのだった。



お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい 。 太宰治「葉」より

太宰治の「葉」を読んだ時にこの時のことを思い出した。僕が少し猫背気味なのは、あの時先生に注意されたことが原因なのかも、しれなく、もない。


太宰治人間失格思ひ出富嶽百景トカトントン皮膚と心I can speak一問一答兄たち同じ星

「真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen) 宮澤賢治」読書の記憶(八十四冊目)

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私が、会社を辞めた時の話
会社を辞めた時の話。退社願いを提出した時には、確固たる思いがあった。主観的にも客観的にも「自分はこの会社を辞めるべきである」という理由が揃っていると考えていたから、全く迷いがなかった
ところが予定の退社日が近づき、二週間を切ったあたりから、少しずつ心の奥のほうにざわざわとする感覚が芽生えてきた。作業の手を止めて見慣れた社内を見渡すと、そこには一緒に仕事をしてきた仲間達がいる。自分がこの会社を辞めてこの場所からいなくなったとしても、彼らはこうやって仕事を続けていくのだ、と考えると不可思議な感じがした。いや、不可思議というよりは「自分は、この場所を離れることを寂しいと思っている」という気持ちがあることに気がついたのだった。
よくよく考えてみれば、それなりの手間をかけてこの会社の入社試験を受け、それなりに仕事をこなして、それなりに評価を得ることができた。退社するという事は、そのような積み重ねてきた時間を全てリセットすることになる。築き上げてきた仲間たちとの関係も切り捨ててしまうことになる。そんな気持ちが混ざり合って「寂しい」という気持ちになっていたのだった。

しかし、今までの人生を思い返してみても「寂しい」というような感覚になった事は、ほとんどなかったように思えた。忘れてしまっているだけなのかもしれないが、子供の頃から過ぎ去っていくこと、失ったものに対して気持ちを向ける事は、さほど多くなかったと思う。親の仕事の都合で引越しをしたり、転校を繰り返した経験があったことも影響しているのかもしれない。
それでも今、自分は「寂しい」という気分を感じている。どうしてなのだろう? これが年齢を重ねると言うことなのか? いやまさか、どうなのだろう?

仕事終えた私は、車に乗って帰宅の道についた。駐車場を出て、この道を通るのもあと数回だな、などと考えた。カーステレオの再生ボタンを押して、ボリュームを少しあげた。何十回と繰り返し聞いたアルバムの一曲が、頭の中に飛び込んできた。文字通り、飛び込んできた。私は、車のハンドルを指で叩きながら、曲に合わせて歌詞を口ずさんだ。まあ、なんとかなる、と思った。なんとかなる。いや、なんとかしていくのだ。


おれはやつぱり口笛をふいて 大またにあるいてゆくだけだ
真空溶媒(Eine Phantasie im Morgen)宮澤賢治 より

宮沢賢治の「真空…

「報告 宮澤賢治」読書の記憶(八十三冊目)

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新幹線の中から、虹が見えた日
大学を卒業した時の話。私は新幹線に乗って実家のある仙台市に向かっていた。まだ就職も決まっていなかったし、これからどのような方向に進むかさえも決まっていなかった。アパートを引き払って実家に帰る事に決めたのは自分自身だったけれど、本当にこれでいいのか、もう少し東京で粘ってみたらよかったのではないか、などと色々なことを考えていた。
わざわざ駅の改札まできて、見送ってくれた大学の友人と別れたばかりということも物寂しさをいっそう強くしていた。今後「彼らと絶対に会う事はない」というわけではないけれども、次に会うのはいつになるかわからない。

確かに、東京と仙台は新幹線で二時間もあれば移動はできる。でも、そういうことではない。みんなと私の間には見えない境界線が、しっかりと引かれてしまっている。すでに借りていたアパートの鍵は不動産屋に返してしまった。あの部屋に入って眠ることは、もう二度とないのだ。


私は、そんなことを考えながら、一人で新幹線のシートに座っていた。本を読むわけでも音楽を聴くわけでもなく、ただ一人で座っていた。福島を過ぎて、宮城に入る直前だった。近くの席から「虹だよ!」という弾んだの声が聞こえてきた。私は反射的に窓の外を見た。そこには、空に向かって立ち上がる虹の姿があった。


さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました もう一時間もつづいてりんと張つて居ります
宮澤賢治「報告」


宮沢賢治の「報告」を読んだ時、あの時の情景が頭の中に浮かんだ。あれは確かに「りん」と張っている、美しくも力強い虹だった。



宮澤賢治銀河鉄道の夜よだかの星セロ弾きのゴーシュポラーノの広場革トランクグスコーブドリの伝記風の又三郎春と修羅 序注文の多い料理店 新刊案内猫の事務所報告真空溶媒

「頭ならびに腹 横光利一」読書の記憶(八十二冊目)

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待つのが吉か、移動するのが幸せか?
レジの列に並ぶ時、自分が並んでいる列よりも隣の列の方が先に進みそうに感じることがある。車を運転していて渋滞にぶつかった時、迂回できそうなルートに移動しようか、このまま待つか迷うことがある。若い頃には「少しでも早い方が勝ち!」と、小まめに移動する方を選択することが多かった。ほんのわずかな差でも「こちらを選んで正解!」と感じる方へ即座に動いていた。

しかし、年齢を重ねて40代に突入したあたりから「多少の誤差ならば、待つのが吉」と(絶対的な確信がある場合を除いて)そのままの状態を維持することが多くなってきた。これが「丸くなる」と、いうやつなのだろうか? 忍耐力が身についてきたのだろうか? 経験を積むことで洞察力が増し、効率重視の行動を慎むようになってきたのだろうか? ……いやたぶん、体力が衰えて移動が「めんどう」になったからかもしれない。


「皆さん。お急ぎの方はここへ切符をお出し下さい。S駅まで引き返す列車が参ります。お急ぎのお方はその列車でS駅からT線を迂廻して下さい。」(頭ならびに腹 横光利一より)


しかし実際のところ「留まる」のと「移動する」のでは、どちらが心地よい人生になるのだろう?「移動」は成功する場合もあるけれど、失敗することも少なくない。変化の刺激は気分転換になるけれど、その刺激は継続しにくい。
すると、多少の忍耐は必要になるけれど、総合的には「留まる」方が、やや優勢なのではないか。 大抵はどっしりと構え、タイミングを見て蓄積した力で大きく動く。鮮烈さは与えにくいが、深く刻みこむならばこちらだろう。



さて?
さて?
さて? (頭ならびに腹 横光利一より)


年齢を重ねることで失うものが目につきやすいけれど、得られるものもきっとある。それまでとは手触りが異なった「何か」を、見つけられるようになる。横光利一の「頭ならびに腹」を読みながら、そんなことを考えました。


横光利一時間頭ならびに腹犯罪

年齢について、考えてみる。(番外編)

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芥川龍之介(35歳)

宮沢賢治 (37歳)

太宰治(38歳)

三島由紀夫(45歳)
夏目漱石(49歳)

さて、ここに並べた文豪の年齢が何を表しているか、お分かりでしょうか? (30代が3名に、40代が2人。何か法則のようなものでもあるのだろうか? いや、それとも・・・) 


はい。では、考えてみてください。制限時間は「3秒」
↓↓↓ 3
   ↓↓2  
      ↓1
        ↓0!


時間切れです・・・さあ、答えは?
(答)亡くなった年齢

学生のころ教科書で見た芥川の写真は知的で思慮深くて、だいぶ年齢が上に見えました。バーの椅子に腰掛けている太宰は大人びていて「作家先生」という趣が感じられました。このように年齢を重ねていきたいものだ。 そう思わせる雰囲気がありました。

そして気がつくと私は、彼らが亡くなった年齢をとうに追い越していました。しかし残念ながら、外見も内面も彼らとは雲泥の差です。渋みも深みもありません。そして40代に入ると、時間の速さは加速度を上げていきます。個人的体感でいうと、30代の1.35倍ほどの速さで過ぎるように感じられます。この調子でいくと漱石が亡くなった年齢まで、あっという間なのではないか?

自分と文豪を比較するのはおこがましいですけれども「これはもう、うかうかしていられない」と、しみじみ思ったのでした。


芥川龍之介と宮澤賢治 20代の時の文体 <

「時間 横光利一」読書の記憶(八十一冊目)

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バケツリレー vs  個人
小学生の頃の話。子供会の行事の準備で、バケツリレーをすることになった。子供たちが一列に並び、小さなプールにバケツで水を満たしていくことになったのだった。
並んで待っていると、水の入ったバケツが運ばれてきた。子供たちは、次々に運ばれてくるそれを受け取ると隣の子供に手渡していった。大きなバケツもあれば、砂場で遊ぶ時のような小さなバケツもあった。そんな風にしてバケツが人の手を移動していく様子を見るのは楽しかった。自分がその中の一人になっていることも、照れ臭いような嬉しいような気分になった。


しばらく作業を続けていると、一人の男子が「みんなで手渡しするよりも、一人で運んだほうが早いんじゃないか」と言い出した。そして実際に、大きなバケツを持って水道とプールの間を行ったり来たりの奮闘を始めた。
その男子は、何度か往復した後「やっぱり疲れた」などと言うと、運ぶのやめて地面に座り込んでしまった。それを見ていた世話役の大人が「おお、がんばったなぁ」と声をかけた。私はその様子を見て、自分も一人で往復してみたかった、と思った。その頃の私は、おとなしくしているグループだったし、まだひとりでバケツを運べるくらいの体力に自信がなかったから、そうやって自分の考えを実行に移せる姿が、どこかかっこよく見えたのかもしれない。

「時間 横光利一」
そんなら小屋まで一番早く帽子を運ぶには十一人でリレーのように継ぎながら運ぼうではないかと佐佐がいい出すと、それは一番名案だということになっていよいよ十一人が三間ほどの間隔に分れて月の中に立ち停ると、私は最後に病人の所へ水を運ぶ番となって帽子の廻って来るのを待っていた。(時間 横光利一より)

横光利一「時間」の中で、帽子を手渡しで運んでいる場面を読んだ時、ここに書いたことを思い出した。あの時、一人で奮闘していた男子は、今どこで何をしているのだろう。なんとなく、子煩悩な父親になっていそうな気がする。いや逆に、子供には厳しい頑固オヤジになっているのかな。


横光利一時間頭ならびに腹犯罪

「奥の細道 松尾芭蕉」読書の記憶(八十冊目)

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「や」で区切ると、俳句っぽい雰囲気になる。
中学校の野外活動に参加した時の話。スケジュールの中に「オリエンテーリング」があった。森の中をチームで歩き回り、指定のポイントを通過しながらゴールを目指していくアレだ。
その時設置されていたポイントのひとつに「今の状況を俳句にしなさい」と、いう課題があった。「俳句」と聞いて頭に浮かんだのが、国語の時間に目にした松尾芭蕉の

閑さや岩にしみ入る蝉の声 夏草や兵どもが夢の跡

だった。そこで私は「~や」で一度切って、あとにリズムの良い言葉を並べれば「それっぽい」ものになるのではないか、と考えた。実際にやってみた。内容はともかくとして、なんとなく形になったような気がした。私が作った俳句を見た友人が「いいね。オレのも作ってよ!」と言ってきた。私は、ああいいよ、と同じような出まかせの俳句を作った。友人は「いいね!」と特に内容も吟味せず、そのまま紙に書き込んで提出していた。
オリエンテーリングが終わり、宿舎前の広場で全体集会があった。先生が前に立ち講評を話している中で「俳句を作る課題があっただろう。あとで国語の○○先生に選んでもらって、優秀なものを発表するから」と言った。
「オレが書いてあげた俳句が選ばれたら、あいつはどうするのかな?」と思った。もしそうなった場合、彼は「実はこれ、サトー君に考えてもらって…」と正直に言いそうな気がした。あの当時は「先生が教室に入ってくる前に席に着いていなかった」程度のことで、頭に拳骨をもらうような時代だったから「代筆がバレたら、ひどく殴られるのではないか」と考えると、背中のあたりがムズムズした。
野外活動が終わり、学校に戻った。何かの配布資料の中で「優秀な俳句」が発表になった。当然、私の考えたものは選外だった。怒られる以前に、選ばれるレベルではなかったのだ。すべては杞憂。まあ、そんなものである。

山寺の石段を上がりながら。 今年の春に山寺へ行った。階段を上がっている時に「閑さや〜」の句が頭に浮かんだ。そしてここに書いた事を思い出した。同級生達は、今どこで何をしているのだろう。とりあえず、元気に過ごしていてほしいと思う。

関連:湯殿山へ行く(旅日記)