読書の記憶 二十五冊目 :思ひ出 (太宰治)

小学校3年生の時だったと思う。その時僕は、仲の良かったS君とH君と3人で一緒に下校していた。雨が降っていたけれど僕は傘を持っていなかったので、H君が持っていたひとつの傘にいれてもらって三人でぎゅうぎゅう詰めになって歩いていた。いやS君の傘だったかもしれない。S君が持っていた折りたたみの傘だったような気もするけれど、H君の方が几帳面な性格だったから天気予報を見て傘をもってきていたような気がする。いや、まてよ。S君は折りたたみの傘を持っていたけれど「出すのが面倒だ」とかなんとか言って、わざと3人でH君のひとつの傘に入っていたような記憶もある。記憶というものは曖昧なので、もしかすると全然別の状態だったかもしれないけれど、とりあえず3人でひとつの傘に入って下校していたということは確かだったと思う。 

昨日見たテレビの話題とか、車の緑色のナンバーを5回連続で見るとラッキーだとか、小学生の僕たちにとっては重要な話をしながら、人口密度の高い傘はよたよたと道を歩いていった。別れ道に来た。S君とH君は向こう側。僕ひとりだけ、こちら側へ曲がらなければいけない。「じゃあな」「今度あそぼうぜ」「またな! またな!」と、明日もまた同じ学校で同じ教室で同じ授業を受ける仲間だというのに、やたらと大袈裟に挨拶を交わした後、僕たちは別々の方向へ家路を急いだ。 

ここから自宅までは、まだ10分以上歩かなければいけない。雨はさほど強くはないけれど、家に着くころにはかなり濡れてしまっているだろう。僕は、うつむいて自分の足元の辺りを見ながらひとりで歩いた。横断歩道の前で立ち止まり、青になったのを確かめてから渡った。踏切が近づいてきた。なぜだか良くはわからないけれど、踏切のすぐ手前だったことははっきりと覚えている。その時だった。僕の頭の上に、傘がさしかけられた。僕は驚いて上を見上げた。見知らぬ女性が自分の傘の中に僕を入れてくれたのだった。 

「ふふっ」と、その女性は僕を見て笑った。その時の僕からすると、母親くらいの年齢に見えたけれど、もしかするとずっとずっと若かったかもしれない。僕はおどろいてしまって、何も言う事ができずにそのまま自分の足元を見たまま歩き続けた。その女性も僕のペースに合わせるようにして、傘をさして歩いてくれていた。距離にしたら、ほんの200mくらいだったと思う。

線路の先のT字路にさしかかったところで、女性は「わたしは、こっちだから」と言った。僕は黙っていた。するとその女性は「ありがとうは?」と僕に言った。僕はあわてて「ありがとうございました」と頭を下げた。女性は「じゃあね」というように笑うと、僕とは別の方向へ向かって歩いていった。僕は「少しだけ傘に入れてもらったくらいで『ありがとうと言いなさい』と言われるのは何だか癪な気分だ」と思いながら歩き始めた。そう、だいぶ生意気な子供だったのだ。この時点ですでに素直ではない性格が芽生えていたのだ。

それと同時に「もしかして、あの人は友達の母親だったのかもしれない。一度会ったことがある人だったのかもしれない」とか「学校の先生・・・ではないよなあ」などと、色々なことが頭の中に浮かんできた。もしも知っている人だったならば、ちゃんとお礼をしたほうがよかったな。僕はその女性が歩いて行った方を見た。何人かの人が同じ方向へ歩いていた。女性もいれば男性もいた。そして、傘に入れてくれた女性がどの人だったのかは、もう見分けることができなかった。そう、なにせ僕は、ずっと下を向いていたのだ。 


太宰の「思ひ出」を読んだ時に、この時の記憶がふいに蘇ってきた。子供のころに出会った異性とのできごとは(例えそれが、ささいなできごとだったったとしても)実は、案外はっきりと覚えているのかもしれない。記憶の奥底にしっかりと刻まれて眠っているのかもしれない。

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