「中国行きのスロウ・ボート 村上春樹 」読書の記憶 三十九冊目



六月といえば梅雨である。もちろん他にも色々と六月を印象づけるものがあるとは思うけれども、とりあえず自分の場合は梅雨であり、雨降りである。自分は今の時期の雨はわりと嫌いではない。もちろん、晴れの日が好きなことには変わりがないし、登山をしている時やキャンプなど野外活動時の雨はできれば避けたい天候である。なにしろテントを張ったり撤収したりしている時の雨は実に不快なものだ。通常の1.25倍の時間と手間と労力がかかる。そこに強い風などが吹いてきた日などは、ああ、なんてこった、うーっ、ともはや苦行の気配すら漂ってくる。なんでわざわざこんな日に、と自分で決めたことを批判したくなる。

しかし、釣りをしている時の雨は歓迎である。とくに六月から夏にかけての雨は格別なものがある。空から落ちてきた雨が水面に波紋を作り、あわてて着込んだ合羽をパタパタと叩く音を聞いていると、その美しい景色と音に誘われるように心の奥から和みの気配が沸きあがってくる。さあ、この雨で魚の活性も高くなるだろう。いつでもこい、と期待感も高まってくる。静かに降り続く雨の中、淡々と竿を降り続ける釣り人の頭の中には、このような和みと歓喜の渦がわきあがっているのである。

さて話を戻そう。今回の「雨降り」という言葉から、自分が最初に連想した作品は「伊豆の踊子/川端康成」だった。これはあきらかに、冒頭の「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠が近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓からわたしを追って来た。(伊豆の踊子 より)」がその理由である。雨が主人公の今までとこれからを暗示するかのような、重要なモチーフとなっているから、なぜこの作品が思い浮かんだのかは明白だった

そして、ほぼ同時にもう一作品思い浮かんだのが「中国行きのスロウ・ボート/村上春樹」だった。これは自分でも、なぜこの作品が思い浮かんだのが理由がわからなかった。他にも「雨」がモチーフになった作品はあるし、題名に使用されているものもある。なのになぜこの作品なのだろう。自分自身のことなのだがわからなかったので、あらためて読んでみようと考えた。そしてそれは、読み返すまでもなく本を手に取った瞬間に理解できた。表紙の安西水丸氏のイラストである。この純粋な「水色」から雨をイメージしたのではないか。おそらく間違いないだろう。と自己分析したのだった。


・・・と、ここまで書いてから、あらためて「中国行きのスロウ・ボート」を一通り読み返してみた。そして発見した。本作品に収録されている「土の中の彼女の小さな犬」は「窓の外では雨が降っていた。雨はもう三日も降りつづいていた。(土の中の彼女の小さな犬 より)」という一文で始まっていた。雨が降り続けなければ、主人公と女性は交わることがなかったわけで、雨が重要なモチーフとなっている作品が「中国行きのスローボート」には収録されていたのだった。もちろんそんなことはすっかり忘れていたし、単なる偶然なのだが、なかなかうまいことつながったものだなと、ひとり静かにニヤニヤしてしまったのでした。



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