「夏目漱石先生の追憶 寺田寅彦」読書の記憶(六十七冊目)



大学を卒業してから初めてついた職業が「進学塾の先生」だった。碌に研修も指導も受けずに教壇に立たされ、生徒の前で授業をしたのだった。特に教師の仕事がしたかった、と言うわけでもない。教育の仕事に興味があったというわけでもない。そもそも自分が何かを教えるとか、先生として生徒の前に立つということに相応しい人間であるようにも思えなかった。

それでも気がつくと、長いこと教育の仕事を続けてきた。単純に考えて数百人以上の生徒の前に立ち、数千時間ほど授業をしてきたと思う。たぶん、なんだかんだでそのくらいは授業をしたと思う。そして最近では、学生のみならず社会人の皆さんの前にも先生として偉そうに立っている自分がいる。経営者の方とか、自分よりもだいぶ歳上で人生経験豊富な人たちの前にスーツを着て立っていたりする。

もしかしたら、教師と言う仕事は自分に合っていたのかもしれない。いや合ってはいなかったけれど、長い間この仕事を続けてきたことで「先生としての振る舞い」がなんとなく身に付いてきたのかもしれない。それでもこうやって続けて来れたという事は、それなりに適性のようなものがあったのではないか、と思うようにもしている。


夏目漱石が作家になる前に教師をしていたということを知った時には、自分と共通点ができたような(とはいっても漱石先生と自分とでは、大きなとんでもなく大きな隔たりはあるけれども)そんな気がした。

それと同時に、漱石先生は一体どんな授業したのだろう、ということが気になっていた。当時でも、漱石先生の授業を受けられた生徒は本当に限られた、選ばれた人たちだったと思うけれども、もし可能ならば先生の授業受けてみたかった。立ち見でも、廊下の隅からでもいいから受講してみたかったなと思っていた。


先日、寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」という作品の中に、漱石先生の授業の様子が記されているのを見つけた。


「松山中学時代には非常に綿密な教え方で逐字的解釈をされたさうであるが、自分等の場合には、それとは反対に寧ろ達意を主とする遣り方であつた。先生が唯すらすら音読して行つて、さうして「どうだ、分かったか」と云った風であつた。さうかと思うと、文中の一節に関して、色色のクォーテーションを黒板に書くこともあつた。」

「教場へはひると、先づチョッキのかくしから、鎖も何もつかないニッケル側の時計を出してそつと机の片隅へのせてから講義をはじめた。何か少し込み入つた事について会心の説明するときには、人差指を伸ばして鼻柱の上へ少しはすかひに押しつける癖があった。」以上「夏目漱石先生の追憶 寺田寅彦より一部引用」



この文章を見た時、自分の頭の中には漱石先生が授業してる姿が浮かんでくるような気がした。それは自分自身が体験してきた教室の風景の記憶とも混ざり合って、どこか懐かしいようなふわふわとした肌触りがあった。そして、自分の授業を受けたことがある生徒に会うことがあれば「オレの授業について、何か覚えていることはあるか?」と、聞いてみたいような気分になった。そしてたぶん、生徒が何かを話し始めた途端に「いや、もういい止めてくれ」と頼むのだと思う。

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