読書の記憶 四十冊目 「虞美人草 夏目漱石」

予備校に通っていた頃の話。僕は知り合いの女性と一緒に街の中を歩いていた。彼女は、薄手の長袖シャツを一枚着ているだけだったから(なぜか、シャツの事だけは明瞭に覚えている)梅雨入りしたばかりの頃だったと思う。

アーケード街に、老舗の眼鏡屋があった。そこの看板を目にした彼女は「そろそろ新しい眼鏡をつくりたい」と、いうようなことを口にした。

「眼鏡? そんなに目が悪いんだ」と僕は聞いた。
「そう」と彼女は答えた。
「でも、普段は眼鏡をかけていないよね」
「私、目が綺麗だから、眼鏡で隠したくないの」と、彼女は自分の目のあたりを指差しながら言った。

確かに彼女は綺麗な目をしていた。十分に美人と言える容姿をしていた。それと同時に、彼女も僕もあまり冗談を言うタイプではなかったし、互いにまだ軽口を叩けるほど親しくもなかったから、僕はすっかり返答に困ってしまった。


問題: 当時の僕は何と返したでしょう?


先日、漱石の「虞美人草」というタイトルを目にした時、このエピソードを思い出した。彼女とはもう何十年も会っていないし、連絡先すら知らない。道ですれ違ったとしても、お互いに気がつくことはないだろう。それでも記憶の中では、ほんの数年前のできごとのように思える。こんなにも、はっきりと思い出せるのに、本当にそんなに長い時間が過ぎたのだろうか?

「いつの間に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近君が云う。宗近君は四角な男の名である。「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾くに心得ている」(夏目漱石 虞美人草より)

しかし現実として、あの日から確実にしかるべき時間が流れ去ってしまった。僕は、悟りもせず学びもせず、ただ目の前を過ぎていく風景を眺めているうちに今日まで年齢を重ねてきてしまった。人間は最後の瞬間に、今までの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡るというけれど、僕の場合は一体どのような映像が蘇ってくるのだろう。せいぜい、出会った人達と交わした会話の断片と相手の服装程度しか、蘇ってこないかもしれない。


・・・さて、話を戻そう。当時の僕は何と返したか。答えは簡単である。


答え: 「・・・・・・」


そう、当時の僕は何もうまい言葉が見つからず、ただ沈黙したのだった。少しくらい気の利いた言葉や、愛嬌のある振る舞いができたらよかったのだけど、ただニヤニヤと笑いながら沈黙してやり過ごしたのだった。

「愛嬌と云うのはね、──自分より強いものを斃す柔かい武器だよ」(虞美人草 夏目漱石より)

たとえば、今の自分ならば何と答えるだろう。沈黙はしないだろうけれど、せいぜい「眼鏡をかけると、女性は魅力が三分下がるというからね」などと、中途半端な情報を口にするのではないかと思う。どんなに年齢を重ねても、結局そういうことなのだと思う。

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