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「桜の森の満開の下 坂口安吾」読書の記憶 五十四冊目

大学生のころの話。二月だったと思う。僕は友人達と車で移動していた。途中で長い並木道を通った。そこは桜で有名な並木道で、春には見事な風景が広がるとのことだった。しかしその時はまだ、冬の色のない桜の木が淡々と並んでいるだけだった。 友人が「桜の木は、一年かけて花を咲かせる準備をする」と、いうようなことを口にした。「今の時期は、外見では何も活動していないように見えるけど、中身は春に向けて盛んに準備をしているというわけだ。桜は一週間ほどで盛りを迎えて、一気に散ってしまう。その短い時間のために、一年かけて準備をするんだね」と説明してくれた。そんな話を聞いてしまうと、もうぼんやりと花見はできないな。今年からは一年分の重みを感じながら、しっかりみよう。よし、春になったらまたここにこようぜ。僕たちは、そんな話をした。 その年の春が来た。しかし、僕たちはそこへ行くことはなかった。いつか行ってみよう、と考えているうちに時間が流れ、正確な場所も忘れてしまった。そして、もしも今場所がわかったとしても、一人でそこへ行くことはないだろう。 坂口安吾の「桜の森の満開の下」に登場する「山賊」は桜の花の下へ来ると「こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖しくなって気が変になりました。そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中では 呟 いていました。(本文より)」と、桜の花に恐れのようなものを感じる。山賊だけではなく、そこを通る旅人も「花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。(本文より)」と桜を避けるために、わざわざ遠回りをして他の道を通っていく。 最初に「桜の森の満開の下」を読んだ時には、この感覚が理解できなかった。春の桜の下ほど、ずっと長く座っていたい気分になる場所は、そう多くはないと思っていたからだ。朝もいいし、昼もいい。寒くて長時間は無理だけど、夜桜もいい。でも、最近ではなんとなく、彼らの気持ちがわかるような気がしている。

「春と修羅 宮澤賢治」読書の記憶 五十三冊目

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子供のころから読書が好きで、時間さえあれば何かの本をめくっていたような気がする。文学作品でも資料集でも電化製品のパンフレットでも、とりあえずなんでもよかった。文章を読んでさえいれば、満足するような子どもだった。ところが「詩」に興味が向くことはなかった。正確に言うと、音楽の「詞」は好きだったし、バンド活動をしている時には「詞」を書いたりもした。いわゆる文学作品としての「詩」が、あまりピンとこなかったのである。 大学一年生の時だった。下校途中に駅前の書店に立ち寄った。いつも通り、まず最初に文庫本のコーナーへ向かった。棚に並んでいる背表紙を左から右へ眺めていると、 宮沢賢治 の詩集が目にとまった。そういえば、賢治の詩をきちんと読んだことがなかったな、と思った。ちょうどバイト代も入って余裕もあるし、お金があるうちに買っておくことにした。 それから、一週間あまりが過ぎた。大学からの帰りの電車の中で、バックに入れたままだった賢治の詩集が手に当たった。他に読むものがなかったので、おもむろに最初のページをめくってみた。 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です 宮沢賢治 春と修羅 序より こうきたか、と思った。難解な言葉だと思った。有機交流電燈? なんだろう。これは理解できないな、と思った。以前ならばそこで「次の機会にしよう」と本を閉じていただろう。ところがその時は「今ならば、もしかしたら理解できるかもしれない」「理解してみたい」という欲求が、自分の心のどこかに存在していることを感じた。 僕は駅から出て、アパートへ続く緩やかな坂道を上がっていった。だらだらと10分ほども続く坂だった。アパートを借りる時には「このくらいの坂ならば、運動になっていいだろう」と思っていたのだが、実際に住んで毎日歩くとなると骨が折れる。息があがる。なんでわざわざこんな場所のアパートを借りたのだろう、と自分のうかつさに腹を立てながら歩く。坂の中腹に差し掛かるあたりにクリーニング屋がある。以前、この店にクリーニングを頼んだところ、肝心のシミも抜けず縫製もほつれてしまったことがあった。受け取りの際に店員に確認すると「これ以上のことは何もできない。どうしようもない」と、まるで取りつく島もない対応をされてしまったのだった...

「心理試験 江戸川乱歩」読書の記憶 五十二冊目

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子供のころになりたかった職業のひとつが「スパイ」だった。なぜ、この職業に魅力を感じのかというと簡単で、家にあった「スパイのすべて」のような、子供向けの本を読んだからである。 その当時の僕がスパイに抱いていたイメージといえば「暗闇の中で、裏から世の中を動かす」とか「誰にも読めない暗号などを解読し分析する」というものだったと思う。とりあえず当時から、表舞台ではなく裏で静かに活動することに関心があったことがわかる。そして今でもわりと、そのような方向を好んでしまうのは、子供のころの読書体験の影響が大きいと思われる。もしも読んだ本が「スパイのすべて」ではなく「宇宙飛行士のすべて」だったのなら、そちらの方面を目指していたかも…しれなくもない。 江戸川乱歩 の 「 心理試験 」 には、警察の心理試験を用いた尋問に対し、緻密な準備を行い罪から逃れようとする犯罪者( 蕗屋清一郎) が登場する。それを華麗に見破るのが明智小五郎であり、彼が犯罪者を追いつめていく様子を楽しむのが推理小説の醍醐味である。 ところがこの作品を読んだ時の自分は、明智ではなく 蕗屋 に魅力を感じていたように思う。目的のために、先の先を読み緻密な計画を立て確実に実行する 蕗屋 。彼は目的を完遂するために、ありとあらゆることを調べ練習を重ねていく。 「 彼は「 辞林 」の中の何万という単語を一つも残らず調べて見て、少しでも訊問され相な言葉をすっかり書き抜いた。そして、一週間もかかって、それに対する神経の「練習」をやった。 (心理試験より) 」 当時の僕は、そのような 蕗屋の 姿に「自分の中にあるスパイ像」をかさねていたのだと思う。見えないところで、徹底的に努力をする。必要ならば、辞書の中にある何万という単語をすべて調べることも厭わない。どこか、その姿勢に魅力を感じていたように思う。最終的には「裏の裏を行くやり方」で、明智の知性が 蕗屋の計画を 上回っていくわけだけれども、この作品に関しては 蕗屋側に共感してしまったのだった 。 結局のところ、僕は「スパイ」にも「探偵」にもなれなかったけれど「表に出ないところで地道に準備をし、集めた情報で推測を重ね検証し形にしていく」という部分で、今の仕事にどこかつながっていくような気がする。そう、やはり、子どものころの読書体験は...

「あしながおじさん ジーン・ウェブスター」読書の記憶 五十一冊目

手紙を書くのは時間がかかる。ああでもない、こうでもない、と考えてようやく書き上げる。それでも、最近はメールになったから、だいぶ楽になった。手書きの時などは、一時間くらいかけてコツコツと書き終わったと思ったところ、誤字に気がついて最初から書き直すことになったり、これでは字が下手すぎるもう一度ていねいに書き直そう、なんてこともあった。書き直しで疲れてしまって、手紙を書くのを諦めてしまったこともあったと思う。 そんな風にして、数時間かけて書いた手紙も読むのは数分だ。あきらかに「書くこと」と「読むこと」の間には、費やす労力に差が生じ過ぎているように思う。この文章だって、ここまで書くのにそれなりの時間がかかっているけれど、読むのはほんの1分程度だったでしょう? つまりそういうことだ。 あしながおじさんの主人公ジルーシャ・アボット( ジュディ) は、大学に進学させてもらう際に、資金援助をしてくれる人(あしながおじさん)に手紙を書いて学生生活を報告することを義務づけられる。その手紙は、さらりと書かれているようで、ふんわりと心に染み込んでくる心地よくリズミカルなものだった。 「こんな手紙を書けるようになったら、楽しいだろう。もらう人もうれしいだろう」と、子どものころの僕は思った。まだこのような手紙を書く機会はないけれど、もしも将来そんなことがあるならば、 ジュディ の手紙を参考にして書こう、とも思った。 ジュディ は女子で自分は男だ、ということを考慮に入れていない、うかつな子供だったのだ。 幸か不幸か、この手紙を参考にして手紙を書く事はなかったけれど、今でも「こんな手紙を書けるようになりたい」という気持ちはどこかに残っているような気がする。 追伸: 今回、 あしながおじさん を読み返してみて、ジュディが「 宝島 」を読んで夢中になっている場面があることに気がついた。当時の僕は、ここに気がついただろうか? 記憶に残っていないということは、この部分を読み飛ばしたか、ぼんやりと流し読みをしていたのだろう。やはり小学生のころの自分は、かなりうかつな子供だったということを確信した。いや、今でもうかつだから「今もむかしも、うかつな人間」が正確だ。

「風の又三郎 宮澤賢治」読書の記憶 五十冊目

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転校生だったころ 小学校2年生の時に「転校生」になったことがある。親の仕事の都合だった。その時は、特に嫌だという感情はなかった。ある日「引っ越しをする」と親に言われ、気がついたら別の小学校に通うことになっていた、という程度の記憶しかない。いや、その時の担任の先生が苦手な感じの先生だったので、むしろ好ましく思っていた部分もあったかもしれない。 転校初日。職員室で新しい担任の先生に挨拶をした。「今から一緒に教室へ行きますよ。みんなの前で挨拶をしてもらうから、元気にね」と、いうようなことを言われた。先生が教室のドアを開けた。後に続いて中に入ると、わーっ、という歓声が上がった。「転校生だー!」のような声も聞こえた。そのあとのことは、もう覚えていない。帰り道も、どうやって家に向かったのか覚えていない。 数日後の放課後、クラスのY君とH君が遊びに誘ってくれた。僕たちは、近くの公園へ行き、そこにあった大きめの池で遊んだ。2人はクラスでも目立つ方の生徒だった。面倒見が良くて、色々な遊びを知っている体育が得意なY君と、やさしい笑顔を持っていて、どことなく洒落た感じのするH君。2人が仲間に入れてくれたおかげで、僕は一気にクラスに溶け込むことができた。もしも2人がいなかったのなら、ひとりで本を読んでいる存在感のない小学生になっていたかもしれない。 それから数年後、今度はH君が転校することになった。それがきっかけになったのか、いつのまにかY君とも遊ばなくなった。そして、そのまま僕たちは中学生になり、もう会話をすることも挨拶さえも交わすことはなくなっていった。 今ごろ2人は、どこで何をしているのだろう。なんとなくだけど、 全く根拠はないけれど、 いつかどこかで、どちらか1人とは再会できるような気がする。そして1人と再会することができたのなら、2人でもう1人を探しに行くような気がする。長い人生の中で、そんな奇跡のようなことがひとつくらいあっても、いいのではないだろうか、と思う。 「風の又三郎 宮澤賢治」 先日、 宮沢賢治 の 風の又三郎 を読み返していた時、又三郎が「たばこの葉」を採る場面で、ここに書いた事を思い出した。とくに、同じような体験があった訳ではない。いや、もしかすると自分が忘れているだけで、似たようなことがあったのかもしれな...

「ライ麦畑でつかまえて J・D・サリンジャー」読書の記憶 四十九冊目

大学受験生だった時の話。友人達と、受験の際に提出する「自己紹介」について考えていた時のこと。S(仮名)が「愛読書の欄には『ライ麦畑でつかまえて』と書いておくといいらしい」と口にした。なぜ、と誰かが質問した。Sは「誰でも知っている『青春小説』で、やや個性的な印象をアピールできるから」と答えた。その時、僕はまだ本書を読んでいなかったので、ああ確かに、と思った。「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルの印象から、さわやかな青春小説だと思っていたからだ。たぶん、そこにいた他の友人達も同じように感じていたのではないかと思う。 Sは「さらに、これを選ぶ理由をつけくわえると、面接の時につっこまれにくい作品だからだ。多くの人達は、この本を読んでいない。でも、名前は知っている。全く知らない作品名が書かれていても『?』で評価のしようがないけれど、名前を知っている作品なら、読んでいなくても『ああ、なるほど、あれね』とスルーしてくれる。この位置が重要になる」と、いうようなことも言った。僕たちは、なるほど確かに、とうなづいた。「女子っぽい作品、という印象もあるよな」と誰かが言った。「読書好きな女子は必ず読んでいる、みたいな」「そんな子と仲良くなりたいのなら、読んでおけ、みたいな」。そうそう、と僕たちはさらにうなづいた。 Sは、そんな僕たちの様子を見ると満足そうに「しかし、この本を愛読書に上げる人は、二種類しかいない。『きちんと読み込んだ人』か『全く読んでいない人』だ。そして全く読んでいないのに、なんとなくこれを書いてしまった人は、後でこの作品を読んだ時にイメージとのギャップに驚くことになる」と、いうようなことを言った。 「でもまあ、入試の自己紹介の欄に書く作品としては、色々な意味で手頃でそれなりに効果が期待できる作品であることは、間違いないな」。誰かが「ところで、Sは読んだのか?」と聞いた。Sは「いや、読んでない」と答えた。「読んでもいないのに、なんでそんなことを知ってるんだ?」「ラジオで聞いたんだよ」 数年後。大学入試を終えた僕は、購入したものの読んでいなかった「ライ麦畑でつかまえて」を手に取ってみた。一気に読んだ。そして「イメージとのギャップ」に直面した。確かに青春小説ではあるし、興味深い作品だけど「ライ麦畑でつかまえてが、愛読書です」という女子とは、あまり話が...

「学研まんが ひみつシリーズ」読書の記憶 四十八冊目

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先日、古本屋に立ち寄った時の話。子供向けのコーナーに「学研まんが ひみつシリーズ」の一冊を見つけた。手にとってみた。装丁こそリニューアルされていたものの、中身は僕が子供のころに読んでいたものと同じだった。あまりの懐かしさに、その一冊だけを購入し、いそいそと帰宅した 。自宅に着いてから 1 ページずつ、ゆっくりとめくっていった。自分でもおどろくほど、内容やイラストを覚えていた。ああ、そうだ。こんなイラストで、このセリフだった。うんうん、そうだ。確かにこうだった。と、ひとつひとつ確認しながら、深夜まで読み続けてしまったのだった。 子供のころは、自分で本を買うことができなかったから、手に入れた本は何度も何度も読んだ。それこそ、五回、六回どころか、二十、三十と繰り返しめくった本も少なくなかった。それらの本は、カバーが破けたりページがよれてしまったりもしたけれど、セロテープを貼って補強しながら、大切に読み続けていたものだった。今回購入した「学研まんが」シリーズも、そんな風にして繰り返し読んだ本の中のひとつだった。確か、このシリーズは五〜六冊ほど所有していたように記憶している。いつの日か全巻揃えてみたい 。すぐにはむずかしいけれど、一冊ずつ増やしていけば、そのうち全部そろう時がくるだろう。本棚に全巻ずらりと並んでいる様子を想像しながら、その時を楽しみにしていたのだった。 しかし、自分で好きな本を買える年齢になっても「学研まんが ひみつシリーズ」がコンプリートされることはなかった。所有していた本も、実家の建て替えの際に物置にしまい込まれたあと、いつの間にか処分されてしまっていた。あんなに何度も読んだ本だったというのに、処分されたことも気がつかないうちに目の前から消えてしまっていた。 もしも、自分に子供ができたのなら。と、想像してみる。もしも自分に子供ができたのなら、このシリーズを探して本棚に並べておこうかと思う。子供が興味を示して手にとってくれたのなら、それとなく内容について話してみたいと思う。僕が子供のころに興味を持った部分と同じところに興味を持ってくれたら面白いし、もしそうでなかったとしても、ふんふんなるほど、と一緒に読み返してみようかと想像したりしている。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

「私の個人主義 夏目漱石」読書の記憶 四十七冊目

予備校に通っていた時の話。現代文の授業の中で「アイデンティティ」という語句についての解説があった。細かな部分は忘れてしまったのだが「このアイデンティティという概念は日本にはないため、正確に解釈することは難しい。おおむね『自己を定義することがら』というニュアンスで考えておけばよいだろう…云々」というような内容だったと記憶している。解説を聞いても腑に落ちないところがあったので、同じ授業を受けていた友人に聞いてみたところ「なんだか、わかるようで、わからない」という返事がかえってきた。仕方がないので「もし出題された場合は、授業の解説のコメントを丸写ししておけば多少は点数がもらえるだろう」と、お茶を濁すことにしたのだった。 今、あらためて考えてみると「自己を定義できる」ということは「他者と自分の違いを定義することができる」ということだろう。つまり「他者を完全に定義(認識)することができなければ、正確に自己を定義(認識)したとはいえない」と、いうことになる。しかしながら、それは不可能である。目の前に立つ「ひとり」でさえ、すべての情報を把握し認識することはできない。どんなに情報を収集したとしても、せいぜい一部、または部分を把握するのが精一杯なのだ。さらに、昨日と今日の間にも確実に変化は生じていく。明日はどうなっているかわからない。不安定要素と変化の幅が大き過ぎる。つまり完全に「自己を定義する」ということは「不可能」なのではないか。 と、思いついたことを並べてみたのだが、なるべく詳細に解説してみようと試みるあまり、逆にわかりにくい内容になってしまった。中途半端にわかったふりをすると、このようになる。よくあるパターンである。つまりそういうことである。 先日、 漱石 の「私の個人主義」を読みながら、そんなことを考えていた。この講義の内容は、今から百年ほども前に語られたんだよなあ、とも考えた。まるでほんの数年前に語られたといっても、ほとんど違和感がないじゃないか。いったい漱石は、どこまで深く遠くまで考えを巡らせていたのだろう。 「私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。(私の個人主義 夏目漱石より)」 私の「がちり」の瞬間は、もうまもなくだろうか。もしかすると、一度くらいは「そこ」に掠ったことがあるのかもしれな...