「鼻 芥川龍之介」読書の記憶(九十九冊目)
中学1年生の時の話。まもなく夏休みが終わろうとしている、八月も末のころだった。クラスメイトのSから「明日、委員長の家に遊びに行ってもいいか」と連絡があった。(その時僕は学級委員をしていたので、みんなから委員長と呼ばれていた) 特に用事もなかった僕は、いいよと答えた。 翌日の午後、SはクラスメイトのOと一緒にやってきた。Sは僕の部屋にくるとすぐに「読書感想文の小説を貸してくれ」と言った。どんなのがいい? と聞くと「有名なやつで、短くて、面白いやつ」という。僕は、そんな都合の良いものはないよ、と言いながら、夏目漱石の「坊っちゃん」を本棚から取り出してSに手渡した。 Sは「夏目漱石? うん、これは聞いたことがある」といいながらパラパラとめくると「長すぎる! こんなの読み終わるまでに夏休みが終わってしまう」と突き返してきた。このくらい頑張って読めよ、と言っても全く興味を示さなかったので、次に僕は芥川龍之介の「鼻」を見せた。 「鼻」のページ数を確認したSは「うーん、このくらいなら読めそうだ」と言った。そして「これ、委員長は読んだんだよね?」と確認してきた。 読んだよ、と僕は答えた。「どんな話か教えてくれよ」とSが言った。すると横にいたOが「内容を教えてもらったら、読書感想文にならないだろう」と言った。Sは「ちゃんと読むけどさ、すこし教えてもらった方が書きやすいと思ってさ」などと、よくわからない理由をごにょごにょと繰り返した。 Sは「じゃあ、これ借りるよ」と鞄の中に本を入れると、Oに「お前は借りなくていいのか?」と言った。Oは、僕は書き終わったからいいんだ、と言った。何を読んだんだよ、とSが聞いても、Oはニコニコと笑いながらはぐらかすようにして、読んだ本の題名を教えてくれることはなかった。 人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。(芥川龍之介 鼻より) 夏が終わりに近づく、ちょうど今くらいの時期になると、時々ここに書いたことを思い出す。中一の冬に転校してしまった僕は、あれから二人には会っていない。たぶん再会したとしても、お互いを認識できないと思う。それでもどこかで会う機会があるとするならば、