読書の記憶 十九冊目: 雪国(川端康成)

幼稚園のころの話。
母親に連れられて、病院に予防接種を受けに行った時の話。今はどうなのかわからないけれど、その病院では子供は腕に注射をするのではなく尻に注射するシステムになっていた。ズボンを脱いで診察台のようなところにうつ伏せになり注射してもらうわけである。その頃の僕は、病院や注射に対する恐怖心のようなものがなかったので、はいここの上に上がってー、はいちょっと冷たいですよー、という感じで看護師さんに注射をしてもらうことに特に抵抗のようなものはなかったし、病院で診察を受ける時には服を脱ぐものだと思っていたから、特に何も考えずに指示に従って台の上にうつ伏せになっていた。

ある日予防接種に病院へ行った時のことだった。いつものようにズボンを脱いで台の上にうつ伏せになった僕を見た看護師さんが「恥ずかしくないのー?」と、クスッと笑いながら話しかけてきた。すると、その様子を見た別の看護師さんが「恥ずかしいよねー。すぐ終わるから、ちょっと待っていてね」と、言って「恥ずかしくないの?」と口にした看護師さんに、そのようなことを言ってはいけない、と注意をしている様子が見えた。その時僕は、例え病院であったとしても服を脱ぐということは恥ずかしいことなのだ、ということを知ってしまった。新しい体験をすることで、今まで感じなかった感情が生まれてしまったのだった。そして「次回からは、ギリギリまでは服を脱がないようにしよう」とか「この看護師さんではなくて、他の人にしてもらおう」などと、幼稚園児なりに色々と対策を考え始めることになったわけです。


川端康成の「雪国」を読んだのは高校2年生の夏休みくらいだったと記憶している。最初に読んだ時は、さりとて深い感銘を受けた記憶はなかった。もちろん、なんだかよくわからないけれどすごい作品だ、とは感じていたけれども「なんだかよくわからないけど」というのが正直な感想だったと思う。社会人になり数年が過ぎた時、あらためて「雪国」を読み返してみた。とあるショットバーに「雪国」というカクテルがあって、連れがそれを頼んでいるのを見て読み返してみたくなったのだった。読み終わってから、こんなに深い作品だったのか、としみじみとした。様々な体験をすることで、今までは見えていなかったことが見えてくるようになる。それが年齢を重ねるということであり、大人と呼ばれる人達になっていくことなのかもしれない。と、そんなことを考えた時、幼稚園の頃の自分の姿が頭に浮かんできた。よりによって、なぜこの場面だったのかは自分でもよくわからない。

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