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「春 宮沢賢治」読書の記憶 五十八冊目

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今年の夏は、花巻へ行った。いくつかの偶然でつながって、 宮澤賢治 詩碑 へ行くことになった。賢治の詩碑の前の広場に立ち、そこから見える風景を眺めながら、その当時の賢治の気持ちに思いを巡らせていると、 ふと、自分が独立起業をした時のことを思い出した。 あの頃の僕が抱えていたのは、不安とか希望とか夢とか情熱とか、そのような感情ではなかった。ただ「とにかく、やってみよう」という気持ちで、目の前の作業を必死になってこなしていたような気がする。「あとすこし、もうすこしがんばれば、なにかが見えてくるかもしれない」それだけを考えていたような気がする。 陽が照って鳥が啼き あちこちの楢の林も、 けむるとき ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、 おれはこれからもつことになる 春と修羅 第三集 七〇九 春 教師の仕事を辞めた 宮澤賢治 は、1926年この場所に羅須地人協会を設立した。下の畑を眺めながら何を思っていたのだろう。自分と賢治を比較するのはおこがましいけれど「あたらしい事業を興す」という部分では、当時の賢治の気持ちをすこしだけ理解できるような気がしたのだった。 関連: 宮沢賢治をめぐる旅(花巻編) 宮澤賢治    銀河鉄道の夜   よだかの星   セロ弾きのゴーシュ   ポラーノの広場   革トランク   グスコーブドリの伝記   風の又三郎   春と修羅 序   春   注文の多い料理店 新刊案内   猫の事務所   報告   真空溶媒

「同じ本を二冊買ってしまった時に、考えたこと」読書の記憶 五十八冊目

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同じ本を二冊購入してしまった時のショックは、意外と大きい。買った本を覚えていないのか、という自分の記憶力に対する情けなさ。買ったのに読んでいないから同じ本を買ってしまうのだ、という未読の本の多さに対する自己嫌悪。そもそも本を「読む」のが好きなのではなく、本を「買う」ことが好きなのではないか、と物欲の強さに対する自己批判。そんなあれこれが混ざり合って、わりと大き目のショックを感じるのではないかと思う。 ちなみに自分が同じ本を買ってしまうパターンは、 1)新刊で買った本を、古本屋で見つけて買う 2)古本屋で買った本を、古本屋で買う 大きくわけて、この二つに分類される。 1)の場合は「おお、欲しかった本が古本屋で安く売られている!」と得した気分になったのも束の間、自宅で同じ本を発見してダメージを受けるというパターンである。 2)の場合は「これは確か、すでに古本で購入したような気もするが・・・まあ、ダブッても安いからいいか」と、自分の曖昧な記憶に挑戦して破れるパターンである。迷ったならば、一度自宅に帰って確認してから購入すればいいのだが、古本の場合は次回の来店時まで売れ残っている保証はないので、一か八かで勝負を挑んでしまうわけである。そして、みごとに負けてしまいダメージが蓄積していくのである。 しかし最近では「もし売り切れても、それは縁がなかったということだから」と「迷ったら買うな」の自己ルールを定めるようになっていたため、ほとんど同じ本を買うことはなかった。実際に、次回に来店した時に売り切れていたとしても「仕方がない」とあっさりと諦めることもできるようになってきた。 これはおそらく、年齢を重ねることで「手に入らないことによる悲しみの感情」が減ってきたからかもしれない。「手に入るものよりも、入らないものの方が多いんだよ」と、経験から学んだ人生哲学のようなものが確立してきたからなのかもしれない。 しかし、その反面「一度手に入れたものに対する執着」は強くなってきたようにも感じる。手に入らないものは仕方がないが、そのかわり、一度手に入れたものはしっかり掴んで離したくない、という感情が強くなってきたようにも感じるのだ。そう考えると、全体ではプラスマイナスでゼロになるのだろうか。意外と、世の中というものは「そんな風に」どこかで

「魔術 芥川龍之介」読書の記憶 五十七冊目

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自分は「マニュアル世代」と呼ばれる世代になるらしい。 どちらかというと、この「マニュアル世代」という言葉は「マニュアルがなければ何もできない」と、批判的なニュアンスで使われていたような印象がある。「マニュアルのお陰で効率良く作業は進められるが、逆にマニュアルに書かれていないことには対応できない。つまり自分の頭で考えて行動することができない」といった類の批判だったように記憶している。 そういえば、小論文の練習課題か何かのレポートだったかで「マニュアル世代の問題点」のようなテーマで、書いたような記憶がある。 当時は「自分の頭で考えることが重要」のような内容で書いたが、実際には「マニュアルで事前 にシュミレーションできる事により余裕が生まれるので、弊害よりも利益の方が多い」と思っていた。そもそも「自分の頭で考えろ」と口にする人は、本当に自分の頭で考えているのだろうか、とさえ感じていた。生意気な若者である。 もしも人生にマニュアルが存在し、事前に対応方法をシュミレーションすることができたならば、どのような人生になるのだろう。うれしいことも「このようにすれば100%うまくいく」という手順を知ることができたのなら、喜びは消失するだろうか。いや、意外とそれはそれで嬉しいような気がする。最悪な事項も、対処法の手順があると知っていれば、多少は乗り越えやすくなるかもしれない。それ以前に、 想定外のできごとなど、そうそう起こりうるものではないのだから、ある程度のことはマニュアルで済ませておいた方がいいのではないか。などと考えてしまうところが「マニュアル世代」なのかもしれない。 「ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか。 (魔術  芥川龍之介 )」 どちらにせよ、体験しなければ体得することはできない。実際に痛い目に合わなければ、本気で考えることはできない。欲望はマニュアルでは解決できない。現実の世界は、いつだってマニュアルをはみだしたところに存在する。それを理解していればマニュアル世代と揶揄されることも怖くはない。芥川の魔術を読みながら、そんなことを考えました。 芥川龍之介   トロッコ   芋粥   大川の水   蜜柑   微笑   槍ヶ岳紀行   魔術   漱石山房の秋   鑑定   早春

「模試の小説」は、わりと好きだった。読書の記憶 五十六冊目

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受験生の思い出と言えば「模試」である。毎月一回(または二回)定期的に行われる「それ」を受験しては、その結果に一喜一憂する。いや、実際のところ、ほとんど対策らしい対策もせずに模試を受験していたのだから、結果はでないのは当然で「一憂」する資格などないはずである。 それなのに結果を見ながら「今回は調子が悪かった!」などと考えていたのだから、実にどうしようもない受験生だったと思う。勉強の成果を確認するのではなく、 勉強をしていないことを確認するために模試を受けていたようなものだ。なんというか本末転倒の模試活用方法だったと思う。 そんな中でも、国語の現代文は、わりと好きな分野だった。とくに問題に使われている「小説」は、おもしろいものが多く、しかも良いところで切り取られていることも多いので「ああ、続きが読みたい … … 」と、思ったものだった。偶然、以前読んだことがある作品が出題されている時などは「今回はもらった!」と、わくわくしたりもした。 しかし当然の如く、結果はいつも通りだった。読書が趣味でも国語の成績が良くなるというわけではないのだ。 自分の場合、 五教科の中で「国語」の成績が一番悪かった(中・高共に、5段階評価で4が最高だったと記憶している)から、読書を楽しむ ことと問題を解答することは、また別の能力なのだと思う。たぶんそうなのだと思う。 何の話をしていたのか。そう、模試に使用されている小説は面白いものが多かった、ということだった。なので、模試が終わった際に「今回採用した小説はこちらから購入できます」などと紹介されていたら購入してしまうと思う。「こちらの図書館に在庫があります」とスマホに通知が届いたなら、帰宅する途中に図書館に寄ってしまうと思う。読書する人が減っている、という情報を目にすることもあるが、読書をするきっかけとスムーズに本を手にとれるシステムがあれば、本を読む人は増えるのではないか。 いや、学生だけではもったいない。社会人にも「模試(この表記が適当かどうかは別にして)」を実施して、読書体験を増やすきっかけをつくるのはどうだろう。うーん、そうなると義務になってしまって、自発性が損なわれるだろうか。いやしかし、何かできそうな気もする。 【追記】ここに書いたことが【Youtube オンライン文学講座】を始める動機となった。学生はもちろん、社会人の

「偉人伝を読んでいた日」読書の記憶 五十五冊目

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小学1年生の頃の話。自宅の本棚に 「偉人の伝記集」 があった。いわゆる「偉い人の話」というやつだ。子供向けにまとめられた 10冊前後の全集で、日本から世界まで様々な地域や職種の伝記が収録されていた。(残念ながら正式名称は忘れてしまった。本も親に処分されてしまったので、今手はもう確認することができない) そこに紹介されている人達の人生は、一様にドラマティックだった。周囲の人に「そんなことは無理だ」と言われたとしても、どんなにひどい困難が彼らを襲い肉体的精神的に追い詰められたとしても、仲間が去ってしまって一人きりになってしまったとしても、彼らは絶対にあきらめることがなかった。昼も夜も作業を止めることはなかった。そしてわずかでもチャンスが見えたならば、果敢に挑戦し結果を手につかんでいた。 おそらく当時の自分は、この本の中で紹介されている人達を「実在の人物」だと思っていなかったと思う。これは架空の物語で、自分が生活している世界とは別の世界の話と感じていたように思う。参考にしよう、とか、彼らを見習おう、というレベルで読んでいたわけではなく 「特殊な能力を持った人たちの架空の物語」くらいに考えていたような気がする。 それでも小学生なりに「夢を手にするには、ものすごい困難に立ち向かわなければいけないのだ」とは感じていたと思う。新しい世界への挑戦には尋常ではない困難がセットになっているし、それは絶対に避けられないものだ、と。 どこまでシリアスに考えていたかは謎だけど、人生経験の少ない小学生なりに「夢に向かって挑戦するというのは、そういうことなのだ」と感じながら読んでいたように思う。 来月の末で、自分が独立してから17年目となる。年数だけを見ると、そこそこ立派な期間だと思う。しかし実情は、小さな船が嵐の海をギリギリで漂っているかのように、毎日、毎週、毎月と、少しずつなんとか乗り切ってきただけである。 そして、多少苦しいことがあったとしても「ここを乗り越えれば、その先にきっと!」と希望を捨てずに頑張ることができたのは、小学生の頃に読んでいた「 偉人の伝記集 」のお陰かもしれない。自分で意識しているよりも、それらに深い影響を受けていたような気がする。 子供のころに読んだ本は、大人になってから決断をする時の「重要な要素」になっているのではないか

「桜の森の満開の下 坂口安吾」読書の記憶 五十四冊目

大学生のころの話。二月だったと思う。僕は友人達と車で移動していた。途中で長い並木道を通った。そこは桜で有名な並木道で、春には見事な風景が広がるとのことだった。しかしその時はまだ、冬の色のない桜の木が淡々と並んでいるだけだった。 友人が「桜の木は、一年かけて花を咲かせる準備をする」と、いうようなことを口にした。「今の時期は、外見では何も活動していないように見えるけど、中身は春に向けて盛んに準備をしているというわけだ。桜は一週間ほどで盛りを迎えて、一気に散ってしまう。その短い時間のために、一年かけて準備をするんだね」と説明してくれた。そんな話を聞いてしまうと、もうぼんやりと花見はできないな。今年からは一年分の重みを感じながら、しっかりみよう。よし、春になったらまたここにこようぜ。僕たちは、そんな話をした。 その年の春が来た。しかし、僕たちはそこへ行くことはなかった。いつか行ってみよう、と考えているうちに時間が流れ、正確な場所も忘れてしまった。そして、もしも今場所がわかったとしても、一人でそこへ行くことはないだろう。 坂口安吾の「桜の森の満開の下」に登場する「山賊」は桜の花の下へ来ると「こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖しくなって気が変になりました。そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中では 呟 いていました。(本文より)」と、桜の花に恐れのようなものを感じる。山賊だけではなく、そこを通る旅人も「花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。(本文より)」と桜を避けるために、わざわざ遠回りをして他の道を通っていく。 最初に「桜の森の満開の下」を読んだ時には、この感覚が理解できなかった。春の桜の下ほど、ずっと長く座っていたい気分になる場所は、そう多くはないと思っていたからだ。朝もいいし、昼もいい。寒くて長時間は無理だけど、夜桜もいい。でも、最近ではなんとなく、彼らの気持ちがわかるような気がしている。

「春と修羅 宮澤賢治」読書の記憶 五十三冊目

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子供のころから読書が好きで、時間さえあれば何かの本をめくっていたような気がする。文学作品でも資料集でも電化製品のパンフレットでも、とりあえずなんでもよかった。文章を読んでさえいれば、満足するような子どもだった。ところが「詩」に興味が向くことはなかった。正確に言うと、音楽の「詞」は好きだったし、バンド活動をしている時には「詞」を書いたりもした。いわゆる文学作品としての「詩」が、あまりピンとこなかったのである。 大学一年生の時だった。下校途中に駅前の書店に立ち寄った。いつも通り、まず最初に文庫本のコーナーへ向かった。棚に並んでいる背表紙を左から右へ眺めていると、 宮沢賢治 の詩集が目にとまった。そういえば、賢治の詩をきちんと読んだことがなかったな、と思った。ちょうどバイト代も入って余裕もあるし、お金があるうちに買っておくことにした。 それから、一週間あまりが過ぎた。大学からの帰りの電車の中で、バックに入れたままだった賢治の詩集が手に当たった。他に読むものがなかったので、おもむろに最初のページをめくってみた。 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です 宮沢賢治 春と修羅 序より こうきたか、と思った。難解な言葉だと思った。有機交流電燈? なんだろう。これは理解できないな、と思った。以前ならばそこで「次の機会にしよう」と本を閉じていただろう。ところがその時は「今ならば、もしかしたら理解できるかもしれない」「理解してみたい」という欲求が、自分の心のどこかに存在していることを感じた。 僕は駅から出て、アパートへ続く緩やかな坂道を上がっていった。だらだらと10分ほども続く坂だった。アパートを借りる時には「このくらいの坂ならば、運動になっていいだろう」と思っていたのだが、実際に住んで毎日歩くとなると骨が折れる。息があがる。なんでわざわざこんな場所のアパートを借りたのだろう、と自分のうかつさに腹を立てながら歩く。坂の中腹に差し掛かるあたりにクリーニング屋がある。以前、この店にクリーニングを頼んだところ、肝心のシミも抜けず縫製もほつれてしまったことがあった。受け取りの際に店員に確認すると「これ以上のことは何もできない。どうしようもない」と、まるで取りつく島もない対応をされてしまったのだった