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年齢について、考えてみる。(番外編)

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芥川龍之介(35歳) 宮沢賢治 (37歳) 太宰治(38歳) 三島由紀夫(45歳) 夏目漱石(49歳) さて、ここに並べた 文豪の年齢が何を表しているか 、お分かりでしょうか? (30代が3名に、40代が2人。何か法則のようなものでもあるのだろうか? いや、それとも・・・)  はい。では、考えてみてください。制限時間は「3秒」 ↓↓↓ 3    ↓↓2         ↓1         ↓0! 時間切れです・・・さあ、答えは? (答)亡くなった年齢 学生のころ教科書で見た芥川の写真は知的で思慮深くて、だいぶ年齢が上に見えました。バーの椅子に腰掛けている太宰は大人びていて「作家先生」という趣が感じられました。このように年齢を重ねていきたいものだ。 そう思わせる雰囲気がありました。 そして気がつくと私は、 彼らが亡くなった年齢をとうに追い越していました 。しかし残念ながら、外見も内面も彼らとは雲泥の差です。渋みも深みもありません。そして40代に入ると、時間の速さは加速度を上げていきます。個人的体感でいうと、30代の1.35倍ほどの速さで過ぎるように感じられます。この調子でいくと漱石が亡くなった年齢まで、あっという間なのではないか? 自分と文豪を比較するのはおこがましいですけれども「これはもう、うかうかしていられない」と、しみじみ思ったのでした。 芥川龍之介と宮澤賢治 20代の時の文体 或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はいなかった。(芥川龍之介 蜜柑) 文章を読んでいると、主人公が居る情景が頭に浮かんでくる理知的で端正な文体。この作品を書いたときの 芥川龍之介は27歳。 カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。(宮沢

「同じ本を二冊買ってしまった時に、考えたこと」読書の記憶 五十八冊目

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同じ本を二冊購入してしまった時のショックは、意外と大きい。買った本を覚えていないのか、という自分の記憶力に対する情けなさ。買ったのに読んでいないから同じ本を買ってしまうのだ、という未読の本の多さに対する自己嫌悪。そもそも本を「読む」のが好きなのではなく、本を「買う」ことが好きなのではないか、と物欲の強さに対する自己批判。そんなあれこれが混ざり合って、わりと大き目のショックを感じるのではないかと思う。 ちなみに自分が同じ本を買ってしまうパターンは、 1)新刊で買った本を、古本屋で見つけて買う 2)古本屋で買った本を、古本屋で買う 大きくわけて、この二つに分類される。 1)の場合は「おお、欲しかった本が古本屋で安く売られている!」と得した気分になったのも束の間、自宅で同じ本を発見してダメージを受けるというパターンである。 2)の場合は「これは確か、すでに古本で購入したような気もするが・・・まあ、ダブッても安いからいいか」と、自分の曖昧な記憶に挑戦して破れるパターンである。迷ったならば、一度自宅に帰って確認してから購入すればいいのだが、古本の場合は次回の来店時まで売れ残っている保証はないので、一か八かで勝負を挑んでしまうわけである。そして、みごとに負けてしまいダメージが蓄積していくのである。 しかし最近では「もし売り切れても、それは縁がなかったということだから」と「迷ったら買うな」の自己ルールを定めるようになっていたため、ほとんど同じ本を買うことはなかった。実際に、次回に来店した時に売り切れていたとしても「仕方がない」とあっさりと諦めることもできるようになってきた。 これはおそらく、年齢を重ねることで「手に入らないことによる悲しみの感情」が減ってきたからかもしれない。「手に入るものよりも、入らないものの方が多いんだよ」と、経験から学んだ人生哲学のようなものが確立してきたからなのかもしれない。 しかし、その反面「一度手に入れたものに対する執着」は強くなってきたようにも感じる。手に入らないものは仕方がないが、そのかわり、一度手に入れたものはしっかり掴んで離したくない、という感情が強くなってきたようにも感じるのだ。そう考えると、全体ではプラスマイナスでゼロになるのだろうか。意外と、世の中というものは「そんな風に」どこかで

「模試の小説」は、わりと好きだった。読書の記憶 五十六冊目

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受験生の思い出と言えば「模試」である。毎月一回(または二回)定期的に行われる「それ」を受験しては、その結果に一喜一憂する。いや、実際のところ、ほとんど対策らしい対策もせずに模試を受験していたのだから、結果はでないのは当然で「一憂」する資格などないはずである。 それなのに結果を見ながら「今回は調子が悪かった!」などと考えていたのだから、実にどうしようもない受験生だったと思う。勉強の成果を確認するのではなく、 勉強をしていないことを確認するために模試を受けていたようなものだ。なんというか本末転倒の模試活用方法だったと思う。 そんな中でも、国語の現代文は、わりと好きな分野だった。とくに問題に使われている「小説」は、おもしろいものが多く、しかも良いところで切り取られていることも多いので「ああ、続きが読みたい … … 」と、思ったものだった。偶然、以前読んだことがある作品が出題されている時などは「今回はもらった!」と、わくわくしたりもした。 しかし当然の如く、結果はいつも通りだった。読書が趣味でも国語の成績が良くなるというわけではないのだ。 自分の場合、 五教科の中で「国語」の成績が一番悪かった(中・高共に、5段階評価で4が最高だったと記憶している)から、読書を楽しむ ことと問題を解答することは、また別の能力なのだと思う。たぶんそうなのだと思う。 何の話をしていたのか。そう、模試に使用されている小説は面白いものが多かった、ということだった。なので、模試が終わった際に「今回採用した小説はこちらから購入できます」などと紹介されていたら購入してしまうと思う。「こちらの図書館に在庫があります」とスマホに通知が届いたなら、帰宅する途中に図書館に寄ってしまうと思う。読書する人が減っている、という情報を目にすることもあるが、読書をするきっかけとスムーズに本を手にとれるシステムがあれば、本を読む人は増えるのではないか。 いや、学生だけではもったいない。社会人にも「模試(この表記が適当かどうかは別にして)」を実施して、読書体験を増やすきっかけをつくるのはどうだろう。うーん、そうなると義務になってしまって、自発性が損なわれるだろうか。いやしかし、何かできそうな気もする。 【追記】ここに書いたことが【Youtube オンライン文学講座】を始める動機となった。学生はもちろん、社会人の

「偉人伝を読んでいた日」読書の記憶 五十五冊目

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小学1年生の頃の話。自宅の本棚に 「偉人の伝記集」 があった。いわゆる「偉い人の話」というやつだ。子供向けにまとめられた 10冊前後の全集で、日本から世界まで様々な地域や職種の伝記が収録されていた。(残念ながら正式名称は忘れてしまった。本も親に処分されてしまったので、今手はもう確認することができない) そこに紹介されている人達の人生は、一様にドラマティックだった。周囲の人に「そんなことは無理だ」と言われたとしても、どんなにひどい困難が彼らを襲い肉体的精神的に追い詰められたとしても、仲間が去ってしまって一人きりになってしまったとしても、彼らは絶対にあきらめることがなかった。昼も夜も作業を止めることはなかった。そしてわずかでもチャンスが見えたならば、果敢に挑戦し結果を手につかんでいた。 おそらく当時の自分は、この本の中で紹介されている人達を「実在の人物」だと思っていなかったと思う。これは架空の物語で、自分が生活している世界とは別の世界の話と感じていたように思う。参考にしよう、とか、彼らを見習おう、というレベルで読んでいたわけではなく 「特殊な能力を持った人たちの架空の物語」くらいに考えていたような気がする。 それでも小学生なりに「夢を手にするには、ものすごい困難に立ち向かわなければいけないのだ」とは感じていたと思う。新しい世界への挑戦には尋常ではない困難がセットになっているし、それは絶対に避けられないものだ、と。 どこまでシリアスに考えていたかは謎だけど、人生経験の少ない小学生なりに「夢に向かって挑戦するというのは、そういうことなのだ」と感じながら読んでいたように思う。 来月の末で、自分が独立してから17年目となる。年数だけを見ると、そこそこ立派な期間だと思う。しかし実情は、小さな船が嵐の海をギリギリで漂っているかのように、毎日、毎週、毎月と、少しずつなんとか乗り切ってきただけである。 そして、多少苦しいことがあったとしても「ここを乗り越えれば、その先にきっと!」と希望を捨てずに頑張ることができたのは、小学生の頃に読んでいた「 偉人の伝記集 」のお陰かもしれない。自分で意識しているよりも、それらに深い影響を受けていたような気がする。 子供のころに読んだ本は、大人になってから決断をする時の「重要な要素」になっているのではないか

「学研まんが ひみつシリーズ」読書の記憶 四十八冊目

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先日、古本屋に立ち寄った時の話。子供向けのコーナーに「学研まんが ひみつシリーズ」の一冊を見つけた。手にとってみた。装丁こそリニューアルされていたものの、中身は僕が子供のころに読んでいたものと同じだった。あまりの懐かしさに、その一冊だけを購入し、いそいそと帰宅した 。自宅に着いてから 1 ページずつ、ゆっくりとめくっていった。自分でもおどろくほど、内容やイラストを覚えていた。ああ、そうだ。こんなイラストで、このセリフだった。うんうん、そうだ。確かにこうだった。と、ひとつひとつ確認しながら、深夜まで読み続けてしまったのだった。 子供のころは、自分で本を買うことができなかったから、手に入れた本は何度も何度も読んだ。それこそ、五回、六回どころか、二十、三十と繰り返しめくった本も少なくなかった。それらの本は、カバーが破けたりページがよれてしまったりもしたけれど、セロテープを貼って補強しながら、大切に読み続けていたものだった。今回購入した「学研まんが」シリーズも、そんな風にして繰り返し読んだ本の中のひとつだった。確か、このシリーズは五〜六冊ほど所有していたように記憶している。いつの日か全巻揃えてみたい 。すぐにはむずかしいけれど、一冊ずつ増やしていけば、そのうち全部そろう時がくるだろう。本棚に全巻ずらりと並んでいる様子を想像しながら、その時を楽しみにしていたのだった。 しかし、自分で好きな本を買える年齢になっても「学研まんが ひみつシリーズ」がコンプリートされることはなかった。所有していた本も、実家の建て替えの際に物置にしまい込まれたあと、いつの間にか処分されてしまっていた。あんなに何度も読んだ本だったというのに、処分されたことも気がつかないうちに目の前から消えてしまっていた。 もしも、自分に子供ができたのなら。と、想像してみる。もしも自分に子供ができたのなら、このシリーズを探して本棚に並べておこうかと思う。子供が興味を示して手にとってくれたのなら、それとなく内容について話してみたいと思う。僕が子供のころに興味を持った部分と同じところに興味を持ってくれたら面白いし、もしそうでなかったとしても、ふんふんなるほど、と一緒に読み返してみようかと想像したりしている。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

【番外編】「6月19日は、何の日ですか?」

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大学生だったころの話。授業の最初に先生が「今日は何の日か知っていますか?」と問いかけてきた。 僕は頭の中にある記憶を探ってみた。そういえば、以前予備校で聞いた話の中に……。いや、違ったかな。そんなことをぼんやりと考えていると、先生は机の上の名簿を手に取り「では、○○さん。今日は何の日か知っていますか?」と指名をした。 「○○さん」は、そう、僕の名前だった。僕は頭の中にある曖昧な答えを口にしてみようか、いやいや間違ったことを発言するくらいなら黙っていた方が良いのではないか、などと一瞬のうちに考えを巡らせた。そして「確実ではない答えを提示するくらいなら、沈黙していた方がよい」という結論に達した。正しいかどうかだけではなく、何かを考えているのなら発言を試みるのが学びの場だというのに、中途半端な恥かしさを恐れた僕は沈黙することを選んだのだった。 僕は「わかりません」と答えた。先生は、別の生徒の名前を口にした。その人も、わからない、と答えた。先生は特に失望した様子も見せずに「今日は桜桃忌です」と言った。 ああ、そうだ。たしかに、いまごろの時期だった。何度か目にしていた情報だというのに、すっかりと忘れていた。日本文学の授業なのだから文学に関する話題に決まっているじゃないか……。と、思ったのだった。 あの日から「6月19日は桜桃忌」という情報が、僕の頭の中には情けない体験と共に刻まれることになった。そして、いつかどこかで誰かに「 太宰治 って、女性と心中したんだよね?」などと聞かれた時に「そうだよ。そして桜桃忌は6月19日ね」と聞かれてもいないことを間髪入れずに答えられるようにしようと決めたのだった。 あれから20年近い年月が過ぎた。今までに「太宰の死因」が話題に上がることはなかった。当然のことながら「6月19日」について説明を求められる機会もなかった。それでも、いつかまた聞かれる時のために、即座に答えられる準備だけはしておこうと毎年この時期になる度に思うのだった。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

【番外編】レコードジャケットが、すべての出発点だった。

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「 むかしむかし、レコードというものがあった。 それは丸くて黒くて薄くて、回転させたそれに針を乗せると音楽が流れて・・・」と、レコードを昔話のように若者に語る時代もそう遠くはないのではないかもしれない。今の10代の人達の中で、レコードで音楽を聴いたことがある人は何%くらいなのだろう。学校の視聴覚室には、今でもレコードが置いてあるのだろうか。 確かにレコードは面倒が多かった。素材が塩化ビニールで傷がつきやすく変形しやすいから、細心の注意を払って扱わなければいけない。なにしろ表面に傷がつくと、音が飛んでしまってまともに聴けなくなることもあるのだ。 表面のごみやほこりをそっと払って、ターンテーブルの上に置く。再生のボタンを押すと、プレーヤーのアームが機械的なそれでいてどこか艶かしいような動きで、レコードの上に針を乗せる。ボッ、と接触音。パチパチという微かなノイズ。そしてスピーカーから音楽が流れ出した瞬間、すでにひと仕事を終えたかのように安堵したものだった。 そして、僕にとってレコードを購入する最大の楽しみのひとつが「レコードジャケット」だった。気に入ったジャケットは、棚にこちらに向けて飾った。当時はアーティスト本人がジャケットのデザインをしていると思い込んでいたので「さすがに○○はセンスがいい!」と、うれしくなったものだった。 高校生になりアルバイトをするようになってからは、知らないアーティストのレコードでも「ジャケットがかっこいいから」という理由だけで購入することも増えてきた(いわゆる『ジャケ買い』というやつだ)。気に入ったレコードジャケットを見つけると、わくわくした。普通に生活していては、出会う事がないデザインに触れることができる喜び。おそらく当時の自分にとって 「レコードジャケット =アートの世界に触れる場所」 の意味合いが強かったのだと思う。 そして今でも自分がデザインのディレクションをする時に、 頭の中に浮かぶイメージは当時のレコードジャケットであること が少なくない。自分にとってのアートワークの基盤は、そこにあるのかもしれない。と、いうよりも、そこが出発点だったことは間違いない。 さて、今回はレコードジャケットについて書こうと思ったのではない。「それ」を出発点にして本の装幀について、書いてみようと思っていたのだった

図書館で借りてきた本。 読書の記憶 二十九冊目

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図書館で借りてきた本に「貸し出し期間表」が貼り付けられたままになっていた。その記録によると、この本が最初に借りられたのは、昭和43年らしい。そう、40年以上もの間、この本はたくさんの人の手に渡り、読み続けられてきたのだ。 あらためて本を手にとって眺めてみると、あちらこちらに補修の跡が見られる。すり切れた表紙、茶色に変色した紙。そして 根元からちぎれてしまった、しおりに使う紐(これは何と呼ぶのだろう)。 貸し出し表を入れる袋に印刷された注意書きにも時代を 感じる。「皆さん」と少し大きめのフォントで呼びかける雰囲気が、いかにも昭和っぽい。いつもアイロンがピシッとかけられた白いシャツを着ている女性の先生が、教壇の机に両手をついて淡々と話をすすめていく感じ。話の途中で質問をすると「質問は、先生の話が終わってから受け付けます」と、ぴしゃりと冷静に返す感じ。 そして、 「ゆびをなめずにページをひらき」 という項目を読んで、そういえば中学校の時に、プリントを配る時に指を舐める先生がいて、女子生徒から非難されていたことを思い出した。まさか本の注意書きを見て、あの先生のことを思い出すとは考えもしなかったな。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

辞書を読もう。 読書の記憶 二十二冊目

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スマートフォンを使うようになってから、めっきりと辞書をひかなくなってしまった。なにせ、スマホを手にとって調べたい語句を入力すれば、瞬時に知りたい情報が表示されるわけだから、辞書の使用頻度がさがってしまうのは致し方ないことだろう。 学生のころ「辞書をひいた回数で、成績が決まる」「とにかく辞書をひけ。辞書をひくということが勉強なのだ」と繰り返し言っていた先生がいたのだけれど、その先生が現在の状況を見たのならば何というだろう。それでもやはり「辞書を引きなさい」というのだろうか。それとも「スマホでも構わない。調べることが大切だし、何よりも時間が短縮されるのは良いことだ」と言ってくれるのだろうか。 そう、辞書についてもうひとつ思い出したことがあるので今から書いてみたいと思う。僕が小学一年生の頃の話だ。 自宅の本棚に子供向けの辞書が一冊あった。その時の僕は「辞書= わからない語句を調べるもの」ということを知らなくて「辞書=たくさんの豆知識が書かれている本」と勘違いしていた。つまり賢くなりたい人が読む本だと思っていたのである。そこで「小学生になったわけだし、かなり厚い本だけどひとつ挑戦してみるか」と、小学校に進んだことをきっかけに読んでみることにしたのだった。 読み始めてから二ヶ月後、無事にすべてのページを読み終えた僕は……と、いうようなことはなく、やはり当然のように最初の数ページで挫折してしまうことになる。「なんて読みにくい本だ。まだ自分には早すぎたのかも」と感じたことを、おぼろげながらに覚えている。若干の敗北感もあったような気がする。 それにしても、子供とはいえ「辞書を普通の本」だと思い込んで読み始めてしまった当時の自分のことを考えると、いくらなんでも「これは普通の本ではない」と思わなかったのか、と思う。「あのなあ、それは豆知識の本ではないんだよ。ほら、こっちの本を読みな」と、背中をポンポンと叩きながら、当時の自分に教えてやりたい気がするわけです。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

「読書感想文」を書いた日。読書の記憶 十冊目

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小学校の頃の話。確か4年生だったと思う。 夏休みの宿題に、読書感想文の課題が出された。「課題図書は自由。400字の原稿用紙2枚以上」というような内容だったと思う。僕は夏休みになる前に、学校の図書館から読書感想文用の本を借りておいた。そして夏休みが始まるとすぐに読み終わってしまった。読み終わったならば、すぐに感想文を書けば良いのだが、ものごとはそう簡単には進まない。時は淡々と過ぎ去り、いつの間にか夏休みは終盤を迎えてしまっていた。  そう、お気づきの方も多いと思うけれど、この段階ですでに作品の内容は、ほとんど忘れてしまっていた。僕は読むのは早いのだが忘れるのも早いのだ。そうかといって、もう一度読み返すのもなんだが癪だったし、かといって新しい本を読書感想文用に読むというのも面倒な気がした。そこで内容に細かく触れずに、ざっくりとしたことを書いてしまおうと決め「主人公は〇〇をしたけれど、僕なら△△を選ぶと思う。なぜならその方が××になると思う」と、いうような主人公の選択を批判するようなことを書いて提出することにした。もちろん、批判といっても深い思索の中から生まれたものではなくて、特に書く事がなかったから書けることを書いて原稿用紙を埋めた、ということに過ぎなかった。なにせ、内容はほとんど忘れてしまっていたのだ。 新学期が始まって数週間が過ぎた国語の時間。先生が「この前、みんなから提出してもらった読書感想文の中から、2人の感想文を紹介するぞ」と、ある生徒の感想文を読んだ。ひどい文章だった。「てにをは」はめちゃくちゃだし、主語がブレているから意味が受け取りにくいところがある。しかし・・・うん、どこかで聞いたことがあるような内容だった。先生は言う。 「これは、佐藤の読書感想文だ。文章としてはおかしいところがあるけれど、主人公の行動について自分の感想を書いている。みんなは『あらすじ』を書いているけれど、このようなのが読書感想文なんだ」 どうやら褒められたらしいが、誇らしい気分にはなれなかった。狙ってそのような感想文を書いたわけではないし、なによりも間違いが多いことの方が恥ずかしかったからだ。先生が「Aさん、佐藤の読書感想文を読んでどう思った?」と、クラスで人気の女子に感想を求めているのも「いやいや、もうそのあたりで!」と言いたくなるような気分だった。でも、その