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「日記帳 江戸川乱歩」読書の記憶(六十一冊目)

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いくら頭の中で、これ以上ないほど、 つきつめて考えたとしても。 もしも、それが世界に存在しないくらいに、 ありえない程の、完璧な文章でも。 りかいしてもらえなければ、 がんばりは、すべて無に帰するわけで。 ときには単純でもいいから、 うつくしくなくとも、シンプルに伝えたい。 江戸川乱歩 の「 日記帳 」には、暗号を使って気になる女性にメッセージを送り続けた人物(主人公の弟)が登場する。しかしながら、暗号は相手に「それを解く素養」があってこそ成立するわけで、凝った暗号になればなるほど届かなくなる危険性も起こり得る。時間をかけて、念入りに考えて送り続けたメッセージも、それを読み解いてもらえなければ「伝えていない」ことになってしまうのだ。そして「わかってほしい人」に読み解いてもらえず「わかってほしくない人」に読み取られてしまうこともまた、悲劇だろう。 「生れつき非常なはにかみ屋で、臆病者で、それでいてかなり自尊心の強かった彼は、恋する場合にも、先ず拒絶された時の恥かしさを想像したに相違ありません。(日記帳より)」 まっすぐに気持ちを伝えるには「勇気」の方が大切なのかもしれない 。 江戸川乱歩 の「 日記帳 」を読んで、そんなことを考えました。 追伸:先日、連れに「バースディメッセージ」を送る時に、ちょっとした暗号を忍ばせてみた。しかし本人が気がついていなかったようなので、我慢できずに自分で暗号を解読してしまった。マジックを演じてから、自分でトリックを教えるようなものである。本末転倒である。自分のような「せっかち」な人間には、どうやら暗号を用いてメッセージを伝えることは不向きのようである。 江戸川乱歩   少年探偵団   心理試験   日記帳

「皮膚と心 太宰治」読書の記憶(六十冊目)

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ジョギングをした後に、シャワーを浴びて服を着替えていたところ、首のあたりが赤くなっていることに気がついた。なんとなく痒みもある。 走って赤くなっただけなのか? 首に巻いたタオルに何かついていたのか? じんましんなのか? よくわからなかったが、さほど気にすることもないだろう、と思いその日は寝てしまった。翌日目が覚めてみると、やはり赤い。痒みもある。しかしそこまで酷くもないようなので、放置したまま仕事へ出かけることにした。 帰宅してみると、やはり赤い。痒みも治る気配がない。この時になってようやく「これは何か対応が必要ではないか 」と考えるようになった。しかし明日も予定はあるし、明後日は土曜日だから病院は休みだろう。もしもこのまま悪化したとしても、病院に行くのは月曜日になる。そう考えると、にわかに焦りが芽生えてきた。何か自分で対処しておかなければ、と考えた。が、しかし、もともとが乱暴な性格なので「今日はこのまま寝て、明日も回復していなかったら考えよう」と、その日は寝てしまった。 翌日の朝、やはり回復している気配はなかった。赤みも痒みもある。二日過ぎても回復しないということは、このまましばらくはこの状態が続くのではないか? と、さすがに不安がよぎる。まずはできることをやろう、と移動の途中に薬局に立ち寄り、白衣を着た店員さんに相談して塗り薬を買った。さっそく塗ってみた。一時間もすると、だいぶ痒みが治まってきた。薬というのはすごいものだ、と思った。 ふと 太宰治 の「 皮膚と心 」を思い出した。読み返してみると、湿疹に悩まされる主人公の夫の職業は「デザイナー」であることに気がついた。 「図案工なんて、ほんとうに縁の下の力持ちみたいなものですのね。(皮膚と心)」 そう、商品が売れたとしても、ほとんどの人達は「このパッケージをデザインした人は誰だろう?」と思いを巡らせることはないだろう。しかし実際には、 世の中に出ている商品のパッケージには「縁の下の力持ち」であるデザイナー達の仕事が隠れている。様々な人たちが、それぞれの仕事をこなし商品を作り上げている。スポットライトが当たるのは一部だけれど、その背後にはたくさんの支える人達が存在するのだ。 「ふざけちゃいけねえ。職人仕事じゃねえか、よ。」と、しんから恥ずかしそうに、...

「漱石山房の秋 芥川龍之介」読書の記憶 五十九冊目

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今年の宮城には夏がなかった。 7月の上旬こそ、ああ今年の夏も暑くなりそうだ、というような日々が一週間ほど続いたものの、そこからは夏らしい陽射しが降り注ぐ日は、ほとんどなかった。 気象台の発表によると「36日連続降雨」という記録を更新したのだそうだ。確かに、外出する時には傘を持って出かけることがほとんどだった。天気予報が「くもり」だとしても折りたたみ傘は必ず持ち歩いていたし、役立つことの方が多かった。エアコン代は節約できたけれど、洗濯物が乾かないからコインランドリーの乾燥機代がバカにならなかった。なによりも、毎年楽しみにしていた花火大会が霧でほとんど見えなかったのには、なんともいえない寂しさがあった。 そして季節は「今年の夏をやり直す」ということはなく、確実に秋への移行を始めていた。日は短くなり、朝晩の気温も下がってきた。軽く走ってもそこまで汗が流れることもない。何をするにも過ごしやすい気候である。果物もうまい。過ぎ去った夏に未練を感じている場合ではない。 晩飯に栗ご飯を食べ、秋の夜長に本を読もうかと考えた。ふと「秋」に関する作品は、どのようなものがあるだろうかと考えてみた。一番最初に頭に浮かんだ作品が、 芥川龍之介 の「漱石山房の秋」だった。ほかにも秋に関する作品はたくさんあるというのに、なぜこの作品が思い浮かんだのかはわからない。わからないが、せっかくなので読み返してみることにした。 傍には瀬戸火鉢の鉄瓶が虫の啼くやうに沸つてゐる。もし夜寒が甚しければ、少し離れた瓦斯煖炉にも赤々と火が動いてゐる。 (漱石山房の秋より) そういえば、まだ風鈴を片付けていなかった。昨年、盛岡へ出かけた時に買ってきた南部鉄器の風鈴で、静かだけれど遠くにまで響く音がする。あれを片付けてから、時間のある時に鉄瓶を探しに出かけてみようかな、と思った。 芥川龍之介   トロッコ   芋粥   大川の水   蜜柑   微笑   槍ヶ岳紀行   魔術   漱石山房の秋   鑑定   早春   愛読書の印象   杜子春   春の夜   鼻

「春 宮沢賢治」読書の記憶 五十八冊目

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今年の夏は、花巻へ行った。いくつかの偶然でつながって、 宮澤賢治 詩碑 へ行くことになった。賢治の詩碑の前の広場に立ち、そこから見える風景を眺めながら、その当時の賢治の気持ちに思いを巡らせていると、 ふと、自分が独立起業をした時のことを思い出した。 あの頃の僕が抱えていたのは、不安とか希望とか夢とか情熱とか、そのような感情ではなかった。ただ「とにかく、やってみよう」という気持ちで、目の前の作業を必死になってこなしていたような気がする。「あとすこし、もうすこしがんばれば、なにかが見えてくるかもしれない」それだけを考えていたような気がする。 陽が照って鳥が啼き あちこちの楢の林も、 けむるとき ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、 おれはこれからもつことになる 春と修羅 第三集 七〇九 春 教師の仕事を辞めた 宮澤賢治 は、1926年この場所に羅須地人協会を設立した。下の畑を眺めながら何を思っていたのだろう。自分と賢治を比較するのはおこがましいけれど「あたらしい事業を興す」という部分では、当時の賢治の気持ちをすこしだけ理解できるような気がしたのだった。 関連: 宮沢賢治をめぐる旅(花巻編) 宮澤賢治    銀河鉄道の夜   よだかの星   セロ弾きのゴーシュ   ポラーノの広場   革トランク   グスコーブドリの伝記   風の又三郎   春と修羅 序   春   注文の多い料理店 新刊案内   猫の事務所   報告   真空溶媒

「同じ本を二冊買ってしまった時に、考えたこと」読書の記憶 五十八冊目

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同じ本を二冊購入してしまった時のショックは、意外と大きい。買った本を覚えていないのか、という自分の記憶力に対する情けなさ。買ったのに読んでいないから同じ本を買ってしまうのだ、という未読の本の多さに対する自己嫌悪。そもそも本を「読む」のが好きなのではなく、本を「買う」ことが好きなのではないか、と物欲の強さに対する自己批判。そんなあれこれが混ざり合って、わりと大き目のショックを感じるのではないかと思う。 ちなみに自分が同じ本を買ってしまうパターンは、 1)新刊で買った本を、古本屋で見つけて買う 2)古本屋で買った本を、古本屋で買う 大きくわけて、この二つに分類される。 1)の場合は「おお、欲しかった本が古本屋で安く売られている!」と得した気分になったのも束の間、自宅で同じ本を発見してダメージを受けるというパターンである。 2)の場合は「これは確か、すでに古本で購入したような気もするが・・・まあ、ダブッても安いからいいか」と、自分の曖昧な記憶に挑戦して破れるパターンである。迷ったならば、一度自宅に帰って確認してから購入すればいいのだが、古本の場合は次回の来店時まで売れ残っている保証はないので、一か八かで勝負を挑んでしまうわけである。そして、みごとに負けてしまいダメージが蓄積していくのである。 しかし最近では「もし売り切れても、それは縁がなかったということだから」と「迷ったら買うな」の自己ルールを定めるようになっていたため、ほとんど同じ本を買うことはなかった。実際に、次回に来店した時に売り切れていたとしても「仕方がない」とあっさりと諦めることもできるようになってきた。 これはおそらく、年齢を重ねることで「手に入らないことによる悲しみの感情」が減ってきたからかもしれない。「手に入るものよりも、入らないものの方が多いんだよ」と、経験から学んだ人生哲学のようなものが確立してきたからなのかもしれない。 しかし、その反面「一度手に入れたものに対する執着」は強くなってきたようにも感じる。手に入らないものは仕方がないが、そのかわり、一度手に入れたものはしっかり掴んで離したくない、という感情が強くなってきたようにも感じるのだ。そう考えると、全体ではプラスマイナスでゼロになるのだろうか。意外と、世の中というものは「そんな風に」どこかで...

「魔術 芥川龍之介」読書の記憶 五十七冊目

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自分は「マニュアル世代」と呼ばれる世代になるらしい。 どちらかというと、この「マニュアル世代」という言葉は「マニュアルがなければ何もできない」と、批判的なニュアンスで使われていたような印象がある。「マニュアルのお陰で効率良く作業は進められるが、逆にマニュアルに書かれていないことには対応できない。つまり自分の頭で考えて行動することができない」といった類の批判だったように記憶している。 そういえば、小論文の練習課題か何かのレポートだったかで「マニュアル世代の問題点」のようなテーマで、書いたような記憶がある。 当時は「自分の頭で考えることが重要」のような内容で書いたが、実際には「マニュアルで事前 にシュミレーションできる事により余裕が生まれるので、弊害よりも利益の方が多い」と思っていた。そもそも「自分の頭で考えろ」と口にする人は、本当に自分の頭で考えているのだろうか、とさえ感じていた。生意気な若者である。 もしも人生にマニュアルが存在し、事前に対応方法をシュミレーションすることができたならば、どのような人生になるのだろう。うれしいことも「このようにすれば100%うまくいく」という手順を知ることができたのなら、喜びは消失するだろうか。いや、意外とそれはそれで嬉しいような気がする。最悪な事項も、対処法の手順があると知っていれば、多少は乗り越えやすくなるかもしれない。それ以前に、 想定外のできごとなど、そうそう起こりうるものではないのだから、ある程度のことはマニュアルで済ませておいた方がいいのではないか。などと考えてしまうところが「マニュアル世代」なのかもしれない。 「ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか。 (魔術  芥川龍之介 )」 どちらにせよ、体験しなければ体得することはできない。実際に痛い目に合わなければ、本気で考えることはできない。欲望はマニュアルでは解決できない。現実の世界は、いつだってマニュアルをはみだしたところに存在する。それを理解していればマニュアル世代と揶揄されることも怖くはない。芥川の魔術を読みながら、そんなことを考えました。 芥川龍之介   トロッコ   芋粥   大川の水   蜜柑   微笑   槍ヶ岳紀行   魔術   漱石山房の秋   鑑定   早春 ...

「模試の小説」は、わりと好きだった。読書の記憶 五十六冊目

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受験生の思い出と言えば「模試」である。毎月一回(または二回)定期的に行われる「それ」を受験しては、その結果に一喜一憂する。いや、実際のところ、ほとんど対策らしい対策もせずに模試を受験していたのだから、結果はでないのは当然で「一憂」する資格などないはずである。 それなのに結果を見ながら「今回は調子が悪かった!」などと考えていたのだから、実にどうしようもない受験生だったと思う。勉強の成果を確認するのではなく、 勉強をしていないことを確認するために模試を受けていたようなものだ。なんというか本末転倒の模試活用方法だったと思う。 そんな中でも、国語の現代文は、わりと好きな分野だった。とくに問題に使われている「小説」は、おもしろいものが多く、しかも良いところで切り取られていることも多いので「ああ、続きが読みたい … … 」と、思ったものだった。偶然、以前読んだことがある作品が出題されている時などは「今回はもらった!」と、わくわくしたりもした。 しかし当然の如く、結果はいつも通りだった。読書が趣味でも国語の成績が良くなるというわけではないのだ。 自分の場合、 五教科の中で「国語」の成績が一番悪かった(中・高共に、5段階評価で4が最高だったと記憶している)から、読書を楽しむ ことと問題を解答することは、また別の能力なのだと思う。たぶんそうなのだと思う。 何の話をしていたのか。そう、模試に使用されている小説は面白いものが多かった、ということだった。なので、模試が終わった際に「今回採用した小説はこちらから購入できます」などと紹介されていたら購入してしまうと思う。「こちらの図書館に在庫があります」とスマホに通知が届いたなら、帰宅する途中に図書館に寄ってしまうと思う。読書する人が減っている、という情報を目にすることもあるが、読書をするきっかけとスムーズに本を手にとれるシステムがあれば、本を読む人は増えるのではないか。 いや、学生だけではもったいない。社会人にも「模試(この表記が適当かどうかは別にして)」を実施して、読書体験を増やすきっかけをつくるのはどうだろう。うーん、そうなると義務になってしまって、自発性が損なわれるだろうか。いやしかし、何かできそうな気もする。 【追記】ここに書いたことが【Youtube オンライン文学講座】を始める動機となった。学生はもちろん、社会人の...

「偉人伝を読んでいた日」読書の記憶 五十五冊目

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小学1年生の頃の話。自宅の本棚に 「偉人の伝記集」 があった。いわゆる「偉い人の話」というやつだ。子供向けにまとめられた 10冊前後の全集で、日本から世界まで様々な地域や職種の伝記が収録されていた。(残念ながら正式名称は忘れてしまった。本も親に処分されてしまったので、今手はもう確認することができない) そこに紹介されている人達の人生は、一様にドラマティックだった。周囲の人に「そんなことは無理だ」と言われたとしても、どんなにひどい困難が彼らを襲い肉体的精神的に追い詰められたとしても、仲間が去ってしまって一人きりになってしまったとしても、彼らは絶対にあきらめることがなかった。昼も夜も作業を止めることはなかった。そしてわずかでもチャンスが見えたならば、果敢に挑戦し結果を手につかんでいた。 おそらく当時の自分は、この本の中で紹介されている人達を「実在の人物」だと思っていなかったと思う。これは架空の物語で、自分が生活している世界とは別の世界の話と感じていたように思う。参考にしよう、とか、彼らを見習おう、というレベルで読んでいたわけではなく 「特殊な能力を持った人たちの架空の物語」くらいに考えていたような気がする。 それでも小学生なりに「夢を手にするには、ものすごい困難に立ち向かわなければいけないのだ」とは感じていたと思う。新しい世界への挑戦には尋常ではない困難がセットになっているし、それは絶対に避けられないものだ、と。 どこまでシリアスに考えていたかは謎だけど、人生経験の少ない小学生なりに「夢に向かって挑戦するというのは、そういうことなのだ」と感じながら読んでいたように思う。 来月の末で、自分が独立してから17年目となる。年数だけを見ると、そこそこ立派な期間だと思う。しかし実情は、小さな船が嵐の海をギリギリで漂っているかのように、毎日、毎週、毎月と、少しずつなんとか乗り切ってきただけである。 そして、多少苦しいことがあったとしても「ここを乗り越えれば、その先にきっと!」と希望を捨てずに頑張ることができたのは、小学生の頃に読んでいた「 偉人の伝記集 」のお陰かもしれない。自分で意識しているよりも、それらに深い影響を受けていたような気がする。 子供のころに読んだ本は、大人になってから決断をする時の「重要な要素」になっているのではないか...