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「城の崎にて 志賀直哉 」読書の記憶 三十八冊目

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自分の場合、一人旅の計画を立てる時には可能な限りスケジュールをギチギチに詰め込むことが多かった。まずは朝一番で美術館を見て、昼から博物館へ行き、余裕があればこことそこにも寄ろう、と地図を見ながら移動距離と営業時間を考えつつ細かく計画を立てていく。普段の生活で、車で10km移動するとなると「うーん、次回にするか・・・」と面倒になるのだけど、旅先の場合は「20kmか。よし、行こう」と足取りも軽やかに向かってしまう。食事はコンビニで買った缶コーヒーとパンで済ませて、少しでも遠くへひとつでも多くの場所へと移動を繰り返し続けるのだった。

なので、夕方を過ぎるころには体力も気力も限界近くに達してしまい「もう風呂に入って寝よう」とホテルの部屋に戻り、ぐったりぼんやりと過ごすことも少なくなかった。それはどちらかというと「旅を楽しむ」というよりは「計画を実行する」ことを目的とした行為のようだった。「ここに来た。予定のものを見た。次はそこだ」と、事前にイメージした内容を可能な限り多く消化していくことが、自分にとっての「一人旅」だったような気がする。

年齢を重ねて、旅の回数が増えた今では、だいぶ余裕のある計画を立てるようになってきた。それでも予定よりも計画が早く進んだ場合は「今からでも、ここなら行けるかもしれない」と、即座に移動を選択する方を選ぶことが少なくない。これはもはや性格のようなものなので、程度こそ変化したとして根本の部分は変わらないのかもしれない。志賀直哉の「城の崎にて」の主人公のように、目の前の事象に目を凝らし静かに思考を深めていくような旅の時間がもてたのなら、もうすこしましな人生を送れたのだろうか。いや、やはり同じような人生を選択しただろうか。ふと、そんなことを考えました。


関連:旅行記 志賀直哉旧居へ行く

志賀直哉小僧の神様城の崎にて

「トカトントン 太宰治 」読書の記憶 三十七冊目

幼稚園の年長組のころだったと思う。もしくは小学一年生。おおむねそのくらいのころの話。寝る直前に耳を澄ませると、きーん、という金属音が聞こえることに気がついた。その音に集中すればするほど、はっきりとそして大きくなっていくように感じられた。
いつしかこの音はどんどんと大きくなって、やがて耳が聞こえなくなるのではないだろうか? と、幼稚園児の僕は考えた。それは、子供ながらに恐ろしい空想だったので、しばらく耳に音を澄ませたあと「気にしないようにしよう」と決めることにした。気にしなければ、やがて消えるだろう。寝て起きれば消えるだろう。そう思ったのだった。
しかしその音は、静かな夜になると聞こえてきた。微かだけれども、集中すると必ずそれは聞こえてきた。横を向いてみたり、うつぶせになってみたりしても聞こえてくる。近くで寝ている弟は聞こえないのだろうか。聞こえてくるのは自分だけなのだろうか。
思い切って両親に「夜、寝る前に、キーンと、いう音がする」と打ち明けた。すると母親が「ああ、それは耳鳴りね」いうようなことを言った。そして「おばあさんも、耳鳴りが聞こえるって言ってたね。ポー、ポー、ポーと、汽車が走る時のような音が聞こえるんだって」。その話を聞いた僕は、そのうちこの音がポーポーポーに変化するのだろうか、と思った。そして、音の種類は異なるが、同じように何かしらの音が聞こえる人がいるのだとわかった僕は、すこしだけ安心したのだった。

太宰治の「トカトントン」を読んだ時に思い出したのが、この音だった。そして、祖母が亡くなった時にも、ここに書いたことを思い出した。祖母に「音」のことを聞いたかどうかは忘れてしまった。ただ、もし聞いていたとしたら、否定も肯定もせず静かに僕の話を聞いてくれていただろうと思う。


太宰治人間失格思ひ出富嶽百景トカトントン皮膚と心I can speak一問一答兄たち同じ星

【番外編】レコードジャケットが、すべての出発点だった。

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むかしむかし、レコードというものがあった。それは丸くて黒くて薄くて、回転させたそれに針を乗せると音楽が流れて・・・」と、レコードを昔話のように若者に語る時代もそう遠くはないのではないかもしれない。今の10代の人達の中で、レコードで音楽を聴いたことがある人は何%くらいなのだろう。学校の視聴覚室には、今でもレコードが置いてあるのだろうか。
確かにレコードは面倒が多かった。素材が塩化ビニールで傷がつきやすく変形しやすいから、細心の注意を払って扱わなければいけない。なにしろ表面に傷がつくと、音が飛んでしまってまともに聴けなくなることもあるのだ。
表面のごみやほこりをそっと払って、ターンテーブルの上に置く。再生のボタンを押すと、プレーヤーのアームが機械的なそれでいてどこか艶かしいような動きで、レコードの上に針を乗せる。ボッ、と接触音。パチパチという微かなノイズ。そしてスピーカーから音楽が流れ出した瞬間、すでにひと仕事を終えたかのように安堵したものだった。
そして、僕にとってレコードを購入する最大の楽しみのひとつが「レコードジャケット」だった。気に入ったジャケットは、棚にこちらに向けて飾った。当時はアーティスト本人がジャケットのデザインをしていると思い込んでいたので「さすがに○○はセンスがいい!」と、うれしくなったものだった。

高校生になりアルバイトをするようになってからは、知らないアーティストのレコードでも「ジャケットがかっこいいから」という理由だけで購入することも増えてきた(いわゆる『ジャケ買い』というやつだ)。気に入ったレコードジャケットを見つけると、わくわくした。普通に生活していては、出会う事がないデザインに触れることができる喜び。おそらく当時の自分にとって「レコードジャケット =アートの世界に触れる場所」の意味合いが強かったのだと思う。

そして今でも自分がデザインのディレクションをする時に、頭の中に浮かぶイメージは当時のレコードジャケットであることが少なくない。自分にとってのアートワークの基盤は、そこにあるのかもしれない。と、いうよりも、そこが出発点だったことは間違いない。

さて、今回はレコードジャケットについて書こうと思ったのではない。「それ」を出発点にして本の装幀について、書いてみようと思っていたのだった。ところが書き始めてみたところ思いのほか、さらさらと進んでしまったの…

「微笑 芥川龍之介」読書の記憶 三十六冊目

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中学三年生の初夏。友人と地元の海へ行くことになった。部活動も引退し、時間と体力をもて余していた僕たちは「受験勉強」という課題はひとまず横において「せっかくの夏なのだから、少しくらい夏らしいことをしておこう」と、海へ遊びに出かけたのだった。
着替えを終えると同時に、野球部のKが海の方へ向かって走って行った。Kは全力で波打ち際に走り込み、打ち寄せる波に足をすくわれて見事に転んだ。その転ぶ様子が絵に描いたような豪快な転び方だったので、僕たちは声を揃えて笑った。
Kはニヤニヤしながら、こちらへ戻ってきた。その様子を見た同じ野球部のMが「K、おまえ太ったな」と言った。確かに、部活を引退してまだ数ヶ月だというのに、Kの身体は太り始めているように見えた。Kが何と返事をしたかは忘れてしまった。「そうなんだよ」と肯定したような気もするし、ただニヤニヤと笑っていただけのような気もする。くわしくはもう忘れてしまった。


芥川の「微笑」を読んだ時、この時のKの様子が頭に浮かんできた。全力で砂浜を走っていく、後ろ姿が思い出されてきた。彼は今頃、だいぶ貫禄のある体型になっているだろうか。いやいや、他人のことは言えない。自分も最近ちょっとまずいのだ。


芥川龍之介トロッコ芋粥大川の水蜜柑微笑槍ヶ岳紀行魔術漱石山房の秋鑑定早春愛読書の印象杜子春春の夜

「やまなし 宮沢賢治」読書の記憶 三十五冊目

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「やまなし」が、わからない僕が小学校の低学年だった時の話。文化祭の時に、宮沢賢治の「やまなし」を演じた学年があった。その舞台を見た僕は、軽い衝撃を受けた。衝撃といっても、舞台の内容そのものにではない。「やまなし」の内容が、まったく意味が理解できないことに衝撃を受けたのだった。
何がおもしろいのかわからない。いや、おもしろさという以前に、意味がわからない。これは何だ? 舞台で演じられているということは、すごい作品なのだろう。すごくて有名な作品なのだろう。しかし、今の自分にはその素晴らしさがわからない。「クラムボン」とは何だ? 舞台が進行しても「クラムボン」が何なのかわからない。どうやらあの蟹が「クラムボン」ではないらしいことはわかる。しかしいくら待っても「クラムボン」は登場しない。蟹達も説明することはない。そして、わらっていた「クラムボン」は殺されて死ぬ。そしてまた笑う。殺された「クラムボン」が生き返ったのか? それとも別の「クラムボン」? いや「クラムボン」は生き物の名前ではなく、何か別の存在なのか? やはりわからない。

ひとしきり考えたあと、僕は理解することをあきらめた。たぶん今の自分にはまだ無理なのだ。もう少し学年が上がって、いろいろと勉強すればわかるようになるのかもしれない。悔しいけれど、今の自分には無理なのだ。まだまだ今の自分には理解できないことが、たくさんあるのだ。そのひとつがこの「クラムボン」なのだ。でもいつかきっと。学年が上がれば、あと数年後になれば、きっと理解できるようになっているはず。そんな風に考えることにした。


それから、だいぶ時間が過ぎた。十年も二十年も三十年以上もの時間が過ぎた。先日、あらためて「やまなし」を読み返してみた。そこには、軽やかなリズムと、ぷかぷかと流れながら大きくなっていく二つの魂の姿があった。すこしだけ作品の世界を理解できたような気がした。


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「蜜柑 芥川龍之介」読書の記憶 三十四冊目

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大学に合格した僕は、宮城から上京することになった。荷物はすでに手配してあるので、旅行鞄をひとつとポータブルカセットプレイヤー(ウォークマンというやつだ)を持って新幹線に乗った。宮城から東京までは2時間。何をして過ごしたのか、何を考えていたのかはもう覚えていない。何か食べただろうか。飲みものはどうしただろうか。どんな服を着て、どのような風景を目にしていたのだろうか。
ただ漠然と覚えているのは、初めて一人暮らしをするという喜びもこれからの不安も全くなかったということだ。ただ、ぼんやりと窓の外を流れる風景や、通路を通り過ぎる人の様子を目に映し、次の駅への到着を知らせる車内放送を耳にしていただけだった。いや、ひとつだけ覚えている。それは一定の間隔を空けてやってくる車内販売を呼び止めて、飲み物を買おうと思いながらもなんとなく照れくさくて声をかけることができなかったということだ。次にやってきたら、声をかけよう。そう、次回来た時には。と考えているうちに2時間の乗車時間は過ぎ去ってしまっていた。
なぜ僕は声をかけることができなかったのだろう。たぶんその理由はひとつだけではなく、ちいさな理由が複数重なり合っていたのだと思う。色々な言葉の破片が頭の中をぐるぐると回って、その中からひとつの言葉を選んで口にする手間よりは、黙ってやり過ごす方を選んだのだと思う。それにそもそも、そう、そもそも本当に飲み物が欲しかったわけではなかったのだと思う。

芥川龍之介の「蜜柑」に登場する娘の姿を想像した時、自分が上京した時のことを思い出した。三等の切符を握りしめながら一人で席に座っている娘と自分とでは、状況が違うことはわかっている。それでも、一人で切符を手にして誰も知人がいない場所へと行こうとしている娘と自分との間には、どこか共通点があるように感じられたのだった。


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「革トランク 宮沢賢治」読書の記憶 三十三冊目

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15年前のワークジャケット11月も下旬となると、上着を羽織らないと寒くて外に出られなくなる。そうかと言って、本格的な冬仕様のコートだと、まだ大袈裟な感じがするので躊躇していたところクローゼットの奥にぶら下がっていたワークジャケットが目にとまった。15年ほど前に購入したやつだ。
取り出して着てみる。15年前から身長は伸びていないし、体重の方も…増えたには増えたがワークジャケットが着られなくなるほどの増加ではないので、サイズ的には問題ない。デザインも、ワークジャケットという定番商品だけに、さほど時代遅れという感じもなかった。そして今くらいの時期にちょうどいい厚さの生地だったので、それを着て出かけることにした。
道を歩いていて、ふと「みんなは、ジャケットやコートの類は何年くらいで買い換えるのだろう」と思った。シャツやセーターと違って、値も張るからそうそう買い換えるものではないだろう。それでも流行り廃りもあるし、ある程度のサイクルはあるだろう。そして「自分のように、15年以上前のジャケットを、こうやって着ている人は、どのくらいいるのだろう?」と思った。

「革トランク 宮沢賢治」 なんとなく、宮沢賢治の作品の登場人物は、15年以上前のジャケットを着ているような気がした。「革トランク」の主人公などは、着ているような気がした。「革トランク」と「15年以上前のジャケット」という語感が相通じるような感じがしたからかもしれない。
ちなみに作品に登場する「革トランク」は買ったばかりのものだし、15年以上前のジャケットを着ているという表現は出てこない。そもそも「白の麻服のせなかも汗でぐちゃぐちゃ(本文より)」とあるから、暖かい時期の話だろう。それでもなんとなく「着ていそう」と思ったので、僕の頭の中ではこの主人公は15年以上前のジャケットを着ている、もしくは持っていることにしたいと思う。


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