読書の記憶 一冊目:宝島(ロバート・ルイス・スティーヴンソン)

小学生のころ、自分の「読書ルール」の中に「本を読み始めたら、最後まで一気に読む」というものがあった。なぜそのようなことを思ったのか、今となっては謎なのだけど、とにかくその当時の自分の中には「本というものは、ひと息に読むものだ。途中で止めたらダメだ」という意識があって、途中で読むのを止めるというのは言語道断、敗北を意味するくらいの気持ちでいたような気がする。

実際のところ、その当時の自分は今では考えられないくらいの集中力があったようで、午後に本を読み始めて、最後まで読み終わって顔を上げると部屋の中が薄暗くなっていたようなことは日常茶飯事だった。母親に「こんな暗いところで本を読んでいたら、目が悪くなるでしょう」と何度か怒られたような記憶もある。本を読み終えた、という充実感と共に、もう一日が終わってしまったという寂しさのようなものも感じていた気がする。それと同時に「次は何を読もうか」と考えていたような記憶もあるから、よほど本を読むのが好き・・・と、いうよりは本を読むくらいしか楽しみがない地味な性格だったのだろう。

まあそれはともかく、そんなルールを頑に守りながら、読書にいそしんでいた小学校一年生のころ、自宅の本棚に「世界の名作文学」の本が二冊あった。その一冊に収録されていた、スティーヴンソン「宝島」が当時の自分にとって最後まで止めずに読み切れるかどうか、のギリギリの厚さだった。なので「宝島」を読む前には「今日は(も)絶対に最後まで一気に読むぞ」と心に決めてモチベーションをあげてから、数ヶ月に一度くらいのペースで挑戦していたものだった。そもそも読書は勝ち負けではないのだけど、毎回読み終わったあとの勝利感はなかなかのものだったように覚えている。地味すぎる勝利である。が、勝ちは勝ちである。そもそも負けたところで何も失うものがない勝負を勝負と呼べるかどうかは疑問だが、とにかく地味ながらに勝率は9割を越えていたような記憶がある。


数年前、大学生の依頼でちょっとしたセミナーを行った時に「子供の頃に読んでいた本は何でしたか? やはり日本文学ですか?」というような質問を受けたことがあった。その時に「いや、外国文学で、宝島という本でしたよ」と答えてから妙に懐かしくなり「そういえば、確か表紙に外国人の女の子の絵が使われていたよなあ」と朧げな記憶が蘇り、もう一度装丁が見たくてたまらなくなってネットで検索したところ、それは「少年少女 世界の名作文学」というシリーズの一冊で表紙は女の子ではなくフラゴナールの「ピエロの服を着た少年」だということがわかった時は「なんだ男だったのか・・・」と妙に落胆してしまったものだった。記憶というものは実に曖昧なものだ、ということを体験から教えてくれた一冊でもあったというわけです。

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