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三四郎 (夏目漱石)読書の記憶 五冊目

中学生の頃の話。学年集会だったか全校集会だったかは忘れてしまった。そこで、ある先生が「今、みなさんは『青春』真っ盛りなわけですが・・・」というような話を始めた。その瞬間、生徒の間で失笑が起こった。生真面目な風貌の先生が「青春」という言葉を、唐突に口にしたことがなんとなくおかしかったのだ。 その時僕は、自分が「青春の真っ盛り」にいるとは考えられなかった。そもそも青春というものが、どのようなものかを説明することはできなかったけれど、とりあえず今とは違う「何か」が、そこには漂っていて「ああ、これがつまり青春ってやつなのかもしれない」と自分も周りにいる友人達も、目を合わせて黙ってうなづくような、静かなる熱狂がふつふつと心の奥から沸き上がって溢れ出しそうな、そんな感じの時間のような気がしていたからだ。少なくとも今の自分のような、退屈でエネルギーを持て余しているような状況とは全く異なった雰囲気の世界だろう、と思っていたからだ。 青春、という時間が、とっくの昔に過ぎ去ってしまった今。ふと「ところで青春ってやつは、いつ始まっていつ終わったのだろう」と考えた。「いつだって若々しい心を持っていれば、それがつまり青春を生きているということなのだ」という自己啓発本のような青春の定義ではなく「あ、今オレは青春なのだ」と自他共に認められるような青春の時代とは、いつだったのだろう。 とりあえず、青春らしいことも、心の奥底が抑えきれないほどふつふつとしたこともなかったような気がする。もしも「それ」が存在するとするのなら(存在したはずである)音もなくやってきて、そよ風のように遠くへ過ぎ去っていったのだろうか。いや、そよ風ならまだ体感することもできるから、そよ風とさえ言えないくらい微かに。 漱石 の青春小説「三四郎」の主人公、三四郎は熊本から上京し東京帝国大学へ入学する。そこで出会った人、風景、できごとに翻弄されながらも、時々立ち止まり何かを考えようとする。考えるけれど、自分からは何もしようとはしない。ただ目の前の世界がスピードを加速して流れ変化して行く様子を眺めている。そして結論が出ないまま、話は終わる。もしも、これを「青春」と呼ぶのならば、そう確かに僕にも青春はあった。 夏目漱石  掲載作品 三四郎   こゝろ   夢十夜   坊っちゃん   虞美人草   私の個...

人間失格 (太宰治)読書の記憶 四冊目

予備校生だったころの話。そのころ一緒につるんでいた仲間の中にA君という友人がいた。彼は「ボクは、ペシミストなんだよ!」と口にするようなタイプの人間だった。そして太宰の「人間失格」を指差しながら「これはボクだよ!」と言い切るような男だったのだけど、自分で言うくらいだから実際にはペシミストでもナルシストでもなく「自分も他人も傷つけたり傷つけられたりすることが嫌い」な、人付き合いのいい真面目でやさしい男だった。むしろ明るく冗談が好きな男だった。と思う。 そんなA君が恋をした。同じ予備校の子で、小柄で黒目がちの可愛いらしい子だった。中学校の頃には運動部に所属していて(何部に所属していたのかは、聞いたけれど忘れてしまった)身体を動かすのが好きな感じの子。大人しいように見えるけれど、必要な時には自分の意見をちゃんと言える子だった。と思う。 ペシミストなA君は、ペシミストなくせに大胆にも彼女に告白した。そして2人は付き合うことになった。その報告を聞いた時僕は、え? そうなの?  好きな子ってあの子だったのか。別の子だと思っていたよ、と口にしたような気がする。なんだかすごいなあ、と何が凄いのかはわからないけれど、すごい、と何度か口にしたような気がする。 模試が終わった日の夕方だった。A君はこれから彼女とデートするので待ち合わせの場所へ行く、と言った。僕たちは用もないのに、ぞろぞろと待ち合わせの場所に付いていった。しばらく雑談をしながら待っていると、彼女はいつも一緒にいる女の子と待ち合わせの場所にやってきた。そして、A君と彼女は僕たちに向かって「それじゃあ」というような表情をすると、二人で並んで向こう側へ歩いて行ってしまった。残された僕達と彼女の友達は「何か」をもてあましながら、そのままそこに立っていた。 しばしの沈黙のあと、彼女の友達は「えーと・・・」というような感じで僕たちに向かって笑いながら頭を下げると、その場から立ち去っていった。僕たちも、えーと、というような感じで彼女の友達を見送った。 先日久しぶりに 太宰治 の人間失格を手にした時、この「A君の彼女の友達が、僕たちのところから立ち去っていく」場面を思い出した。記憶というものは、実に唐突なものである。 太宰治     人間失格   思ひ出   富嶽百景   トカトントン   皮膚と心...

トロッコ (芥川龍之介)読書の記憶 三冊目

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小学一年生のころ、鉄棒の練習に躍起になっていた時期があった。逆上がりは、なんとかマスターできたものの鉄棒に座ってそのまま後ろに回る技(正式名称は何というのだろう?)が、怖くてどうしてもできなくて悔しい思いをしていたのだった。この「腰掛け後ろ回り(仮)」ができるかどうかが、僕たちの中では「かっこよさ」を決める重要なポイントだったから、なんとかできるようになりたいと思っていた。 ところが僕は、子供のころから高いところがあまり得意ではなかったので、鉄棒に座ること自体が一苦労。そこから後ろに回ることなんて、どう考えてもできる気がしなかった。「いくぞ! いくぞ!」と自分に声をかけて励ますものの勇気を出せずに、ただ鉄棒に座ったまま時間だけが過ぎていく。そして友人から「○○は、この前の放課後にできるようになった」という報告を聞く度に、先を越された焦りと悔しさと切なさが混ぜこぜになって胸の奥のあたりが、きゅっと締め付けられるような気分になったものだった。 あの日は、半袖から出ていた腕が少し肌寒く感じていたのを覚えているから、たぶん初秋のころだったと思う。僕は、小さなブランコと鉄棒がある近所の公園に一人で練習にきていた。いつものように鉄棒の上に座り、真っ赤に染まった夕焼けの空を眺めていた時、ふいに「今日できなければ、一生できないかも」という衝動に襲われた。「チャンスは今日しかない。今日できなければ明日も明後日も無理。二度とチャンスはない」と、切羽詰まるような感覚だった。夕焼けと肌寒い空気が、そんな風に思わせたのかもしれない。よくはわからないけれど、背中側から誰かに決断を迫られているような、何か重いものにのしかかられているような、そんな感覚で小学生の僕の頭の中はいっぱいになっていた。 鉄棒の上で、葛藤の時間をしばらく繰り返した後、僕はついに意を決して「腰掛け後ろ回り(仮)」を実行した。僕の身体は、拍子抜けするほどあっさりと鉄棒を軸に回転して地面に着地した。うれしい、というよりも「なんだ、これならもっと早く挑戦すればよかった」の気持ちの方が強かったように思う。 芥川龍之介 の「トロッコ」を読んだのは、中学生の時。この小説を読み終わった時、僕の頭のなかには「腰掛け後ろ回り ( 仮 ) 」に初めて挑戦した時のことが思い浮かんでいた。あの時、一人で鉄棒に腰掛...

シャーロック ホームズ (アーサー・コナン・ドイル)読書の記憶 二冊目

たぶんあなたも、子供のころに「ヒーロー」のマネをして遊んだことがあると思う。自分の中にある特殊な力が、ある日突然発動して世界を救う、とか。使命を与えられて最初は尻込みしていたのだけれど、大切なものを守るために一大奮起して悪と戦うとか、そんなストーリーの中に浸っていた時期があったのではないかと思う。 もちろん僕もそうだった。僕の場合は、リーダーとして仲間を率いて世界を救うのではなく「ナンバー2」くらいのスタンスで、普段は平静さを保っているのだけど有事の際には誰よりも熱い気持ちで仲間をサポートする。表舞台には立たないけれど、一歩下がった位置で自分の仕事をきっちりとこなす、というようなヒーロー像が好きで、そのようなキャラに感情移入したものだった。 そんな風にして、庭に落ちている棒切れを拾って見えない敵と格闘していた幼少期は季節の変わり目にさえ気がつかないほど足早に過ぎ去って、気がつくと黄色の通園バックを床に置き、かわりに黒のランドセルを背負い小学校へと通学している自分がいた。そのころの記憶は極めて曖昧で、入学式の日に母親に連れられてクラスに一番乗りして「ずいぶん早いね」と先生に言われたこととか。通学路の側溝に少し大きく空いた隙間が続くところがあって、そこを覗き込むと排水が流れている様子が見えて「ここに(紙で作った)船を流せば海まで到着するのだろうか」と毎日のように考えていたこととか。その程度の記憶しかない。授業の内容は覚えていない。下駄箱付近の薄暗い様子はなんとなく覚えているような気がする。 そんな朧げな記憶の中で、強く記憶に残っているのは学校の図書館での風景だ。積極的に図書館を活用するようになったのは、小学校2年生か3年生か、そのあたりの時期だったと思う。週に一冊借りて、休みの日に読んで、また一冊借りて。自分よりも背が高い本棚を見上げるようにして、時間という影が染み込み少しくすんだ背表紙を眺めながら、帰宅の時間を気にしながら過ごした風景は、今でもまだ思い出すことができる。 そしてそこで僕は、新しいヒーロー「シャーロック・ホームズ」と出会うことになる。 「さっぱり、わからない・・・」とワトスン先生がつぶやくと、 「あまりにも明白だよ、ワトスン君!」とホームズがたたみかける。 わずかな手がかりから鮮やかに解決までの糸口を紡ぎその推理を滑らかに披...

宝島(ロバート・ルイス・スティーヴンソン)読書の記憶 一冊目

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小学生のころ、自分の「読書ルール」の中に 「本を読み始めたら、最後まで一気に読む」 というものがあった。なぜそのようなことを思ったのか、今となっては謎なのだけど、とにかくその当時の自分の中には「本というものは、ひと息に読むものだ。途中で止めたらダメだ」という意識があって、途中で読むのを止めるというのは言語道断、敗北を意味するくらいの気持ちでいたような気がする。 実際のところ、その当時の自分は今では考えられないくらいの集中力があったようで、午後に本を読み始めて、最後まで読み終わって顔を上げると部屋の中が薄暗くなっていたようなことは日常茶飯事だった。母親に「こんな暗いところで本を読んでいたら、目が悪くなるでしょう」と何度か怒られたような記憶が何度もある。本を読み終えた、という充実感と共に、もう一日が終わってしまったという寂しさのようなものも感じていた気がする。それと同時に「次は何を読もうか」と考えていたような記憶もあるから、よほど本を読むのが好き・・・と、いうよりは本を読むくらいしか楽しみがない地味な性格だったのだろう。 まあそれはともかく、そんなルールを頑に守りながら、読書にいそしんでいた小学校一年生のころ、自宅の本棚に「世界の名作文学」の本が二冊あった。その一冊に収録されていた、スティーヴンソン「宝島」が当時の自分にとって最後まで止めずに読み切れるかどうか、のギリギリの厚さだった。なので「宝島」を読む前には「今日は(も)絶対に最後まで一気に読むぞ」と心に決めてモチベーションをあげてから、数ヶ月に一度くらいのペースで挑戦していたものだった。 そもそも読書は勝ち負けではないのだけど、毎回読み終わったあとの勝利感はなかなかのものだったように覚えている。地味すぎる勝利である。が、勝ちは勝ちである。そもそも負けたところで何も失うものがない勝負を勝負と呼べるかどうかは疑問だが、とにかく地味ながらに勝率は9割を越えていたような記憶がある。 数年前、大学生の依頼でちょっとしたセミナーを行った時に「子供の頃に読んでいた本は何でしたか? やはり日本文学ですか?」というような質問を受けたことがあった。その時に「いや、外国文学で、宝島という本でしたよ」と答えてから妙に懐かしくなり「そういえば、確か表紙に外国人の女の子の絵が使われていたよなあ」と朧げな記憶が蘇り、もう一度...