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「幸福な王子 オスカー・ワイルド」読書の記憶 三十二冊目

私は「断る」ということが苦手だった。学生時代にアルバイトをした時にも、店長に頼まれるとシフトの穴埋めなどで活躍したものだった。 あまりにも断らないので、バイト仲間には「断わる時には断った方がいいよ」と言われることもあったのだが、一応断わる時には断わっていたつもりだったので、逆に皆は断りすぎだ、と思っていたくらいだった。 ところが最近になって、わりときっぱりと断っている自分に気がついた。もちろんそれは仕事絡みだったり、日程的なもので断ったりしているわけなのだけど、学生の頃と比較すると、断っている比率が大きくなっていることに気がついたのだった。 そこでふと「断わる人」と「断らない人」では、どちらがより幸福な人生を送れるのだろうかと気になった。断る人はチャンスを逃す機会も増えそうだけど自分の時間を大切にできるだろう。断れない人は、作業量は多くなるだろうけれど、出会いやチャンスに触れる機会は多くなるかもしれない。幸福の王子のツバメは、王子の依頼を断れずに作業を続けた結果、移動をするタイミングを失ってしまい命を失ってしまったけれど、天国へと運ばれることができた。寒さはつらかっただろうけれど、天国はきっと暖かく心地よい場所だろう。さて、現実の世界ではどうなのだろう。 私の周囲をざっくりと見渡してみると、断らない人は「おおむね良好な方向へ進んでいる」ような気がする。しかしそれは「断らない性格=素直に努力ができる性格」という部分が大きいのかもしれない。素直な性格だからコミニュケーションが取りやすくて一緒に作業がしやすいから、仕事を頼みやすく、結果として引き立てを受けているのかもしれない。 実際に私自身も、おだやかな性格で素直に努力をしている方からの依頼は「応援できることがあれば、応援したい」という気持ちが先に立って、受けてしまうことが少なくない。なんだか鶏が先か卵が先か、というような話になってきて最初の趣旨から微妙にずれてきたような感じがするので、今回はここで終わりにしたいと思う。 追記 あとで読み返してから気がついたのだが、私の場合は「断れない= 小心者」であり、素直な性格というわけではない。この部分は、しっかりと強調しておきたいと思ったので追記しました。いやはや。

「まんが道 藤子不二雄A」読書の記憶 三十一冊目

数回前に「 僕は締め切りの一週間前には書き終える 」というような記事を書いた。 あの時点では、この言葉に嘘偽りはなかった(はず)である。しかし今回は、ものの見事に締め切り直前になっても書き終わっていない、という状況になってしまった。以前どこかで「私は締め切りを絶対に遅れたことがない、と宣言した次の回に締め切りに遅れてしまった。余計なことは口にしない方がいい」と書かれたエッセイを読んだことがあったのだが、まさにそれと同じことになってしまった。 余計なことは書かない。 このことを、今回私は体験から学びました。これからは、余計なことも、偉そうなことも書かないようにしよう。締め切りは守れたら守ろう。そもそも・・・まあ、いいや。とりあえず、何かひっそりと継続できていることがあれば、そのままひっそりと継続した方がいい、ということですね。鳴かぬ蛍が身を焦がす、ってことですね。使い方を間違っていると思いますが、とりあえずそういう感じでいきたいと思います。 ちなみに「締め切り」と聞いて頭に浮かんだのが「まんが道 藤子不二雄A」だった。この作品の中で主人公が締め切りに追われ、身を削るようにして執筆をしていく場面があるのだけど、初めてこの作品を見た時には「作品を作るということは、ここまで心身共に注ぎ込まなければいけないのだ。命を削るようにして仕上げていかなければいけないのだ」とまるで自分自身が締め切りに追われているかのように、ドキドキしたことを覚えている。 私も、クライアントから急な変更依頼などを受けて、やむなく深夜まで作業することもある。そんな時は、本作品の主人公の姿を思い出して「まだまだできる」と自分自身を励ますと意外と力が湧いてきたりする。何かを表現することを仕事にしている(しよう)と考えている方におすすめの作品です。一読されたし。と、いうわけでなんとか今回の分も書き終えることができた。案外、やればできるものである。いや、こんなことを書くと、次回あたりに間に合わなくなりそうなので、やればできる時もあるけれどできない時も当然あるのでほどほどにがんばろう、と適当にごまかして終わりたいと思います。

「大川の水 芥川龍之介」読書の記憶 三十冊目

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僕は温泉が好きである。 いや、わざわざそんなことを宣言しなくても皆好きだと思うのだけど、なんとなく宣言したくなったので書いてみた。 あらためて、僕は温泉が好きである。 しかし、硫黄臭の強い温泉にはいると、数日「あの匂い」が漂うのが気になってしまう。その時着ていた服も、タオルも、一度洗濯したくらいでは落ちないことが多いので、しばらくの間はタオルを使う度に「うおっ、温泉くせー」と、ひとりごとを言うことになる。 誤解のないように書いておくと、自分自身は「あの匂い」は嫌いではない。むしろ、ほんわかと漂ってくると「うおっ、温泉くせー(ニヤリ)」と、頬が緩んでしまう方である。旅先の思い出などを振り返りながら、また行こう、行けるようにがんばろう、と気合を入れ直したりする方である。ただ、この匂いが苦手な人もいるかもしれないので、嫌がられていないか気になるということである。 香りは昔の記憶を鮮明に思い出させる働きをする、というようなことを何かで読んだことがあるけれど、確かにそれはあると思う。温泉の匂いを嗅ぐ度に、頭の中では、今まで巡った旅先の温泉の記憶が、ぐるぐると混ざりながら回っているのかもしれない。それが、幸福な感覚をもたらしてくれているのかもしれない。 大学の授業で、 芥川龍之介 の「大川の水」の冒頭は五感を刺激する素晴らしい文章である、というような解説を聞いたことを覚えている。「匂い」という言葉について考えていた時に、このことを思い出した。そしてなぜか、しんみりとした気分になった。 芥川龍之介   トロッコ   芋粥   大川の水   蜜柑   微笑   槍ヶ岳紀行   魔術   漱石山房の秋   鑑定   早春   愛読書の印象   杜子春   春の夜   鼻

図書館で借りてきた本。 読書の記憶 二十九冊目

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図書館で借りてきた本に「貸し出し期間表」が貼り付けられたままになっていた。その記録によると、この本が最初に借りられたのは、昭和43年らしい。そう、40年以上もの間、この本はたくさんの人の手に渡り、読み続けられてきたのだ。 あらためて本を手にとって眺めてみると、あちらこちらに補修の跡が見られる。すり切れた表紙、茶色に変色した紙。そして 根元からちぎれてしまった、しおりに使う紐(これは何と呼ぶのだろう)。 貸し出し表を入れる袋に印刷された注意書きにも時代を 感じる。「皆さん」と少し大きめのフォントで呼びかける雰囲気が、いかにも昭和っぽい。いつもアイロンがピシッとかけられた白いシャツを着ている女性の先生が、教壇の机に両手をついて淡々と話をすすめていく感じ。話の途中で質問をすると「質問は、先生の話が終わってから受け付けます」と、ぴしゃりと冷静に返す感じ。 そして、 「ゆびをなめずにページをひらき」 という項目を読んで、そういえば中学校の時に、プリントを配る時に指を舐める先生がいて、女子生徒から非難されていたことを思い出した。まさか本の注意書きを見て、あの先生のことを思い出すとは考えもしなかったな。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

「セロ弾きのゴーシュ 宮澤賢治」読書の記憶 二十八冊目

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締め切りのプレッシャーに耐えられない 僕は子供のころから「締め切り」というのが苦手だった。 夏休みの宿題などが出されると、最初の一週間くらいに集中して終わらせてしまう方だった。別に真面目だとか、成績が優秀で一ヶ月分の宿題なんて一週間で終わっちまうぜ、というようなことではない。何か「宿題が残っている」と思うと、そわそわしてむずむずしてしまうので、できるだけ早く解放されたくてがんばったというだけのことである。単に小心者だったのだと思う。なので「夏休みの宿題なんて、最後の3日で終わらせればいいんだ」などと言っている友人を見ると「すごい勇気だ」と思っていたくらいである。 このブログの記事にしても「毎月1日に更新する」と決めているのだけど、今これを書いているのは7月23日である。そう、だいたい10日くらい前には書き終えてしまうようにしている。別にそこまで早く書く必要はないのだけど、突発的な仕事が入ったり、ちょっと嫌なことがあって「なんだか今回は書きたくないなあ」と伸ばしてしまうのが嫌なので、空き時間を見つけてさっさと書くようにしている。今はパソコンがなくても、スマートフォンで書いて下書きを保存できるので移動の合間などに書いたり修正したりできるからとても便利になった。もしスマホがなければ、ここまで続けることができなかったと思う。 そんなわけで、僕が「締め切りよりも早めに終わらせる」理由は、真面目さの表れでも勤勉な性格を示しているのでもなく、ただ単に「締め切りのプレッシャーに耐えられなくて、早めに解放されたいから」ということをご理解いただけたと思う。つまりそういうことである。小心者が、結果的に真面目に見えただけ。つまりそういうことである。ちなみに、締め切りがないと永遠に手をつけないまま放置してしまう。そんな人を真面目とは言わないだろう。つまりそういうことである。 「セロ弾きのゴーシュ 宮澤賢治」 宮澤賢治 「 セロ弾きのゴーシュ」の主人公も、もしかすると締め切りが苦手な性格なのではないだろうか、と思った。なんとなく気忙しく振る舞ったり、イライラした素振りをしてしまうのは、締め切りまでに時間が少ないからなのではないかと思った。 「だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えと云ったよ。 (セロ弾きのゴーシュより...

「坊っちやん 夏目漱石」読書の記憶 二十七冊目

大学に進んで上京してから半年くらいが過ぎた時だった。地元に帰って知人と話していたところ「なんだか、すごく早口になったね」と、いうようなことを言われた。特に自覚はなかった。しかし、そう言われてみると気になるので、後日他の人に「早口になったか?」と聞いてみた。特に早口だとは言われなかった。 もしかすると、その人の前では早口になってしまっていたのかもしれない。時間があまりなくて、なんとなくせわしない雰囲気になっていたので「早口になった」というような言い方をしてきたのかもしれない。もう少しゆったりと話をしよう、ということを伝えたかったのかもしれない。もうその人と会う機会はなくなってしまったから、本当のところはわからない。 漱石 の「坊っちやん」を読んだのは中学一年生の時だった。そしてこれが僕が初めて触れる漱石の作品だった。読み始める前までは「教科書に載っているような日本を代表する偉大な作家」という情報から「難しそう。自分にも理解できるだろうか」という印象だった。特別な「何か」があって、それを理解するには素養のようなものが必要なのではないか、と感じていたのだった。ところが最初の数行を読み始めた途端、その先入観はどこかへ吹き飛んでしまった。リズミカルな文章とスピード感のある展開にぐいぐいと引き込まれた。ほんの数時間で最後まで一気に読んでしまった。 「これが文豪と呼ばれる作家の作品なのか」と思った。どこか遠くの世界に旅して帰ってきたかのような感覚。そして「すごくおもしろい。これならいくらでも読める」と思った。 それから数年後、大学で日本文学を専攻するきっかけは「坊っちやん」を読んだことだったのかもしれない。先日ひさしぶりに「坊っちやん」を読み返した時も一気に最後まで読み終えてしまった。そして、ここに書いたようなことを思い出したのでした。 夏目漱石  掲載作品 三四郎   こゝろ   夢十夜   坊っちゃん   虞美人草   私の個人主義   明暗

「富嶽百景 太宰治」読書の記憶 二十六冊目

小学四年の夏だった。いやもしかすると三年だったかもしれないが、たぶん四年の方が確率が高い気がするので四年にしておく。 小学四年の夏だった。 父親が突然岩手山に登る、と言い出した。夜中に登り始め、頂上で朝日を見るのだという。それまで山に登ったことがなかった僕は、登山というものがどのようなものかもわからなかったけれど、大変そうだけど頑張れば大丈夫かな、という程度の認識で挑戦してみることにした。 おそらく父も、よく調べもせずに「知り合いが登ったらしいから自分達も登れるだろう」程度の感覚だったと思う。その時は弟と三人で登ったのだが、一リットル程度しか入らない水筒を一本しか用意していなかったあたりに詳細を調べていなかった感が表れていると思う。たとえば今の僕ならば、ひとり一リットルは用意するだろう。ルートマップも持たせて「今はここだぞ」と位置を確認させながら登るだろう。なにせ相手は小学四年生なのだ。生まれて初めて二千メートルクラスの山に登るのだ。そのくらいのサポートと準備は必要だろう。 とにもかくにも、そんな風にして、突然挑戦することが決まった岩手山登山。真っ暗な深夜に出発して、とにかく苦しくて何がなんだかわからないほどに疲労して、それでもなんとか数時間もひたすら登り続け、ついに頂上で日の出を・・・見ることはできなかった。登っている途中で時間切れ。太陽が上がってしまったのである。なんとも中途半端な御来光となってしまった。しかしまあ、人生初の御来光を頂上ではなく途中で拝んだというのも自分らしいといえば自分らしい展開なのかもしれない。 しかし頂上までは辿り着けなかったとはいえ、足元に広がる雲海を突き抜けて登ってくる太陽の姿には、子供ながら何か違う迫力を感じたものだった。これはなかなか見られるものではない。家で留守番をしている母にも見せたい、とも思った。そしてこれが、僕の登山の原風景となった。登山と聞けば、この時の登山の様子が微かに漂ってくるし、御来光のイメージといえばこの時の鮮やかさと力強さが基準になっている。あれからいくつかの山を登ったのだけれど、この時のように晴れ渡った風景を眺められたのは、どんなに天気予報を見て確認したとしても半分以下だった。そのような意味では、とても恵まれた登山だったと思う。 太宰治 の富嶽百景には、十国峠から見えた富士山を見て「げらげら笑...

思ひ出 (太宰治) 読書の記憶 二十五冊目

小学校3年生の時だったと思う。その時僕は、仲の良かったS君とH君と3人で一緒に下校していた。雨が降っていたけれど僕は傘を持っていなかったので、H君が持っていたひとつの傘にいれてもらって三人でぎゅうぎゅう詰めになって歩いていた。いやS君の傘だったかもしれない。S君が持っていた折りたたみの傘だったような気もするけれど、H君の方が几帳面な性格だったから天気予報を見て傘をもってきていたような気がする。いや、まてよ。S君は折りたたみの傘を持っていたけれど「出すのが面倒だ」とかなんとか言って、わざと3人でH君のひとつの傘に入っていたような記憶もある。記憶というものは曖昧なので、もしかすると全然別の状態だったかもしれないけれど、とりあえず3人でひとつの傘に入って下校していたということは確かだったと思う。  昨日見たテレビの話題とか、車の緑色のナンバーを5回連続で見るとラッキーだとか、小学生の僕たちにとっては重要な話をしながら、人口密度の高い傘はよたよたと道を歩いていった。別れ道に来た。S君とH君は向こう側。僕ひとりだけ、こちら側へ曲がらなければいけない。「じゃあな」「今度あそぼうぜ」「またな! またな!」と、明日もまた同じ学校で同じ教室で同じ授業を受ける仲間だというのに、やたらと大袈裟に挨拶を交わした後、僕たちは別々の方向へ家路を急いだ。  ここから自宅までは、まだ10分以上歩かなければいけない。雨はさほど強くはないけれど、家に着くころにはかなり濡れてしまっているだろう。僕は、うつむいて自分の足元の辺りを見ながらひとりで歩いた。横断歩道の前で立ち止まり、青になったのを確かめてから渡った。踏切が近づいてきた。なぜだか良くはわからないけれど、踏切のすぐ手前だったことははっきりと覚えている。その時だった。僕の頭の上に、傘がさしかけられた。僕は驚いて上を見上げた。見知らぬ女性が自分の傘の中に僕を入れてくれたのだった。  「ふふっ」と、その女性は僕を見て笑った。その時の僕からすると、母親くらいの年齢に見えたけれど、もしかするとずっとずっと若かったかもしれない。僕はおどろいてしまって、何も言う事ができずにそのまま自分の足元を見たまま歩き続けた。その女性も僕のペースに合わせるようにして、傘をさして歩いてくれていた。距離にしたら、ほんの200mくらいだった...