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「春と修羅 宮澤賢治」読書の記憶 五十三冊目

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子供のころから読書が好きで、時間さえあれば何かの本をめくっていたような気がする。文学作品でも資料集でも電化製品のパンフレットでも、とりあえずなんでもよかった。文章を読んでさえいれば、満足するような子どもだった。ところが「詩」に興味が向くことはなかった。正確に言うと、音楽の「詞」は好きだったし、バンド活動をしている時には「詞」を書いたりもした。いわゆる文学作品としての「詩」が、あまりピンとこなかったのである。 大学一年生の時だった。下校途中に駅前の書店に立ち寄った。いつも通り、まず最初に文庫本のコーナーへ向かった。棚に並んでいる背表紙を左から右へ眺めていると、 宮沢賢治 の詩集が目にとまった。そういえば、賢治の詩をきちんと読んだことがなかったな、と思った。ちょうどバイト代も入って余裕もあるし、お金があるうちに買っておくことにした。 それから、一週間あまりが過ぎた。大学からの帰りの電車の中で、バックに入れたままだった賢治の詩集が手に当たった。他に読むものがなかったので、おもむろに最初のページをめくってみた。 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です 宮沢賢治 春と修羅 序より こうきたか、と思った。難解な言葉だと思った。有機交流電燈? なんだろう。これは理解できないな、と思った。以前ならばそこで「次の機会にしよう」と本を閉じていただろう。ところがその時は「今ならば、もしかしたら理解できるかもしれない」「理解してみたい」という欲求が、自分の心のどこかに存在していることを感じた。 僕は駅から出て、アパートへ続く緩やかな坂道を上がっていった。だらだらと10分ほども続く坂だった。アパートを借りる時には「このくらいの坂ならば、運動になっていいだろう」と思っていたのだが、実際に住んで毎日歩くとなると骨が折れる。息があがる。なんでわざわざこんな場所のアパートを借りたのだろう、と自分のうかつさに腹を立てながら歩く。坂の中腹に差し掛かるあたりにクリーニング屋がある。以前、この店にクリーニングを頼んだところ、肝心のシミも抜けず縫製もほつれてしまったことがあった。受け取りの際に店員に確認すると「これ以上のことは何もできない。どうしようもない」と、まるで取りつく島もない対応をされてしまったのだった

「心理試験 江戸川乱歩」読書の記憶 五十二冊目

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子供のころになりたかった職業のひとつが「スパイ」だった。なぜ、この職業に魅力を感じのかというと簡単で、家にあった「スパイのすべて」のような、子供向けの本を読んだからである。 その当時の僕がスパイに抱いていたイメージといえば「暗闇の中で、裏から世の中を動かす」とか「誰にも読めない暗号などを解読し分析する」というものだったと思う。とりあえず当時から、表舞台ではなく裏で静かに活動することに関心があったことがわかる。そして今でもわりと、そのような方向を好んでしまうのは、子供のころの読書体験の影響が大きいと思われる。もしも読んだ本が「スパイのすべて」ではなく「宇宙飛行士のすべて」だったのなら、そちらの方面を目指していたかも…しれなくもない。 江戸川乱歩 の 「 心理試験 」 には、警察の心理試験を用いた尋問に対し、緻密な準備を行い罪から逃れようとする犯罪者( 蕗屋清一郎) が登場する。それを華麗に見破るのが明智小五郎であり、彼が犯罪者を追いつめていく様子を楽しむのが推理小説の醍醐味である。 ところがこの作品を読んだ時の自分は、明智ではなく 蕗屋 に魅力を感じていたように思う。目的のために、先の先を読み緻密な計画を立て確実に実行する 蕗屋 。彼は目的を完遂するために、ありとあらゆることを調べ練習を重ねていく。 「 彼は「 辞林 」の中の何万という単語を一つも残らず調べて見て、少しでも訊問され相な言葉をすっかり書き抜いた。そして、一週間もかかって、それに対する神経の「練習」をやった。 (心理試験より) 」 当時の僕は、そのような 蕗屋の 姿に「自分の中にあるスパイ像」をかさねていたのだと思う。見えないところで、徹底的に努力をする。必要ならば、辞書の中にある何万という単語をすべて調べることも厭わない。どこか、その姿勢に魅力を感じていたように思う。最終的には「裏の裏を行くやり方」で、明智の知性が 蕗屋の計画を 上回っていくわけだけれども、この作品に関しては 蕗屋側に共感してしまったのだった 。 結局のところ、僕は「スパイ」にも「探偵」にもなれなかったけれど「表に出ないところで地道に準備をし、集めた情報で推測を重ね検証し形にしていく」という部分で、今の仕事にどこかつながっていくような気がする。そう、やはり、子どものころの読書体験は

「あしながおじさん ジーン・ウェブスター」読書の記憶 五十一冊目

手紙を書くのは時間がかかる。ああでもない、こうでもない、と考えてようやく書き上げる。それでも、最近はメールになったから、だいぶ楽になった。手書きの時などは、一時間くらいかけてコツコツと書き終わったと思ったところ、誤字に気がついて最初から書き直すことになったり、これでは字が下手すぎるもう一度ていねいに書き直そう、なんてこともあった。書き直しで疲れてしまって、手紙を書くのを諦めてしまったこともあったと思う。 そんな風にして、数時間かけて書いた手紙も読むのは数分だ。あきらかに「書くこと」と「読むこと」の間には、費やす労力に差が生じ過ぎているように思う。この文章だって、ここまで書くのにそれなりの時間がかかっているけれど、読むのはほんの1分程度だったでしょう? つまりそういうことだ。 あしながおじさんの主人公ジルーシャ・アボット( ジュディ) は、大学に進学させてもらう際に、資金援助をしてくれる人(あしながおじさん)に手紙を書いて学生生活を報告することを義務づけられる。その手紙は、さらりと書かれているようで、ふんわりと心に染み込んでくる心地よくリズミカルなものだった。 「こんな手紙を書けるようになったら、楽しいだろう。もらう人もうれしいだろう」と、子どものころの僕は思った。まだこのような手紙を書く機会はないけれど、もしも将来そんなことがあるならば、 ジュディ の手紙を参考にして書こう、とも思った。 ジュディ は女子で自分は男だ、ということを考慮に入れていない、うかつな子供だったのだ。 幸か不幸か、この手紙を参考にして手紙を書く事はなかったけれど、今でも「こんな手紙を書けるようになりたい」という気持ちはどこかに残っているような気がする。 追伸: 今回、 あしながおじさん を読み返してみて、ジュディが「 宝島 」を読んで夢中になっている場面があることに気がついた。当時の僕は、ここに気がついただろうか? 記憶に残っていないということは、この部分を読み飛ばしたか、ぼんやりと流し読みをしていたのだろう。やはり小学生のころの自分は、かなりうかつな子供だったということを確信した。いや、今でもうかつだから「今もむかしも、うかつな人間」が正確だ。

「風の又三郎 宮澤賢治」読書の記憶 五十冊目

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転校生だったころ 小学校2年生の時に「転校生」になったことがある。親の仕事の都合だった。その時は、特に嫌だという感情はなかった。ある日「引っ越しをする」と親に言われ、気がついたら別の小学校に通うことになっていた、という程度の記憶しかない。いや、その時の担任の先生が苦手な感じの先生だったので、むしろ好ましく思っていた部分もあったかもしれない。 転校初日。職員室で新しい担任の先生に挨拶をした。「今から一緒に教室へ行きますよ。みんなの前で挨拶をしてもらうから、元気にね」と、いうようなことを言われた。先生が教室のドアを開けた。後に続いて中に入ると、わーっ、という歓声が上がった。「転校生だー!」のような声も聞こえた。そのあとのことは、もう覚えていない。帰り道も、どうやって家に向かったのか覚えていない。 数日後の放課後、クラスのY君とH君が遊びに誘ってくれた。僕たちは、近くの公園へ行き、そこにあった大きめの池で遊んだ。2人はクラスでも目立つ方の生徒だった。面倒見が良くて、色々な遊びを知っている体育が得意なY君と、やさしい笑顔を持っていて、どことなく洒落た感じのするH君。2人が仲間に入れてくれたおかげで、僕は一気にクラスに溶け込むことができた。もしも2人がいなかったのなら、ひとりで本を読んでいる存在感のない小学生になっていたかもしれない。 それから数年後、今度はH君が転校することになった。それがきっかけになったのか、いつのまにかY君とも遊ばなくなった。そして、そのまま僕たちは中学生になり、もう会話をすることも挨拶さえも交わすことはなくなっていった。 今ごろ2人は、どこで何をしているのだろう。なんとなくだけど、 全く根拠はないけれど、 いつかどこかで、どちらか1人とは再会できるような気がする。そして1人と再会することができたのなら、2人でもう1人を探しに行くような気がする。長い人生の中で、そんな奇跡のようなことがひとつくらいあっても、いいのではないだろうか、と思う。 「風の又三郎 宮澤賢治」 先日、 宮沢賢治 の 風の又三郎 を読み返していた時、又三郎が「たばこの葉」を採る場面で、ここに書いた事を思い出した。とくに、同じような体験があった訳ではない。いや、もしかすると自分が忘れているだけで、似たようなことがあったのかもしれな

「ライ麦畑でつかまえて J・D・サリンジャー」読書の記憶 四十九冊目

大学受験生だった時の話。友人達と、受験の際に提出する「自己紹介」について考えていた時のこと。S(仮名)が「愛読書の欄には『ライ麦畑でつかまえて』と書いておくといいらしい」と口にした。なぜ、と誰かが質問した。Sは「誰でも知っている『青春小説』で、やや個性的な印象をアピールできるから」と答えた。その時、僕はまだ本書を読んでいなかったので、ああ確かに、と思った。「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルの印象から、さわやかな青春小説だと思っていたからだ。たぶん、そこにいた他の友人達も同じように感じていたのではないかと思う。 Sは「さらに、これを選ぶ理由をつけくわえると、面接の時につっこまれにくい作品だからだ。多くの人達は、この本を読んでいない。でも、名前は知っている。全く知らない作品名が書かれていても『?』で評価のしようがないけれど、名前を知っている作品なら、読んでいなくても『ああ、なるほど、あれね』とスルーしてくれる。この位置が重要になる」と、いうようなことも言った。僕たちは、なるほど確かに、とうなづいた。「女子っぽい作品、という印象もあるよな」と誰かが言った。「読書好きな女子は必ず読んでいる、みたいな」「そんな子と仲良くなりたいのなら、読んでおけ、みたいな」。そうそう、と僕たちはさらにうなづいた。 Sは、そんな僕たちの様子を見ると満足そうに「しかし、この本を愛読書に上げる人は、二種類しかいない。『きちんと読み込んだ人』か『全く読んでいない人』だ。そして全く読んでいないのに、なんとなくこれを書いてしまった人は、後でこの作品を読んだ時にイメージとのギャップに驚くことになる」と、いうようなことを言った。 「でもまあ、入試の自己紹介の欄に書く作品としては、色々な意味で手頃でそれなりに効果が期待できる作品であることは、間違いないな」。誰かが「ところで、Sは読んだのか?」と聞いた。Sは「いや、読んでない」と答えた。「読んでもいないのに、なんでそんなことを知ってるんだ?」「ラジオで聞いたんだよ」 数年後。大学入試を終えた僕は、購入したものの読んでいなかった「ライ麦畑でつかまえて」を手に取ってみた。一気に読んだ。そして「イメージとのギャップ」に直面した。確かに青春小説ではあるし、興味深い作品だけど「ライ麦畑でつかまえてが、愛読書です」という女子とは、あまり話が

「学研まんが ひみつシリーズ」読書の記憶 四十八冊目

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先日、古本屋に立ち寄った時の話。子供向けのコーナーに「学研まんが ひみつシリーズ」の一冊を見つけた。手にとってみた。装丁こそリニューアルされていたものの、中身は僕が子供のころに読んでいたものと同じだった。あまりの懐かしさに、その一冊だけを購入し、いそいそと帰宅した 。自宅に着いてから 1 ページずつ、ゆっくりとめくっていった。自分でもおどろくほど、内容やイラストを覚えていた。ああ、そうだ。こんなイラストで、このセリフだった。うんうん、そうだ。確かにこうだった。と、ひとつひとつ確認しながら、深夜まで読み続けてしまったのだった。 子供のころは、自分で本を買うことができなかったから、手に入れた本は何度も何度も読んだ。それこそ、五回、六回どころか、二十、三十と繰り返しめくった本も少なくなかった。それらの本は、カバーが破けたりページがよれてしまったりもしたけれど、セロテープを貼って補強しながら、大切に読み続けていたものだった。今回購入した「学研まんが」シリーズも、そんな風にして繰り返し読んだ本の中のひとつだった。確か、このシリーズは五〜六冊ほど所有していたように記憶している。いつの日か全巻揃えてみたい 。すぐにはむずかしいけれど、一冊ずつ増やしていけば、そのうち全部そろう時がくるだろう。本棚に全巻ずらりと並んでいる様子を想像しながら、その時を楽しみにしていたのだった。 しかし、自分で好きな本を買える年齢になっても「学研まんが ひみつシリーズ」がコンプリートされることはなかった。所有していた本も、実家の建て替えの際に物置にしまい込まれたあと、いつの間にか処分されてしまっていた。あんなに何度も読んだ本だったというのに、処分されたことも気がつかないうちに目の前から消えてしまっていた。 もしも、自分に子供ができたのなら。と、想像してみる。もしも自分に子供ができたのなら、このシリーズを探して本棚に並べておこうかと思う。子供が興味を示して手にとってくれたのなら、それとなく内容について話してみたいと思う。僕が子供のころに興味を持った部分と同じところに興味を持ってくれたら面白いし、もしそうでなかったとしても、ふんふんなるほど、と一緒に読み返してみようかと想像したりしている。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

「私の個人主義 夏目漱石」読書の記憶 四十七冊目

予備校に通っていた時の話。現代文の授業の中で「アイデンティティ」という語句についての解説があった。細かな部分は忘れてしまったのだが「このアイデンティティという概念は日本にはないため、正確に解釈することは難しい。おおむね『自己を定義することがら』というニュアンスで考えておけばよいだろう…云々」というような内容だったと記憶している。解説を聞いても腑に落ちないところがあったので、同じ授業を受けていた友人に聞いてみたところ「なんだか、わかるようで、わからない」という返事がかえってきた。仕方がないので「もし出題された場合は、授業の解説のコメントを丸写ししておけば多少は点数がもらえるだろう」と、お茶を濁すことにしたのだった。 今、あらためて考えてみると「自己を定義できる」ということは「他者と自分の違いを定義することができる」ということだろう。つまり「他者を完全に定義(認識)することができなければ、正確に自己を定義(認識)したとはいえない」と、いうことになる。しかしながら、それは不可能である。目の前に立つ「ひとり」でさえ、すべての情報を把握し認識することはできない。どんなに情報を収集したとしても、せいぜい一部、または部分を把握するのが精一杯なのだ。さらに、昨日と今日の間にも確実に変化は生じていく。明日はどうなっているかわからない。不安定要素と変化の幅が大き過ぎる。つまり完全に「自己を定義する」ということは「不可能」なのではないか。 と、思いついたことを並べてみたのだが、なるべく詳細に解説してみようと試みるあまり、逆にわかりにくい内容になってしまった。中途半端にわかったふりをすると、このようになる。よくあるパターンである。つまりそういうことである。 先日、 漱石 の「私の個人主義」を読みながら、そんなことを考えていた。この講義の内容は、今から百年ほども前に語られたんだよなあ、とも考えた。まるでほんの数年前に語られたといっても、ほとんど違和感がないじゃないか。いったい漱石は、どこまで深く遠くまで考えを巡らせていたのだろう。 「私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。(私の個人主義 夏目漱石より)」 私の「がちり」の瞬間は、もうまもなくだろうか。もしかすると、一度くらいは「そこ」に掠ったことがあるのかもしれな

「タンタンの冒険旅行 めざすは月 エルジェ」読書の記憶 四十六冊目

子供のころ「 ぼくがとぶ 」を眺める度に「いつか飛行機に乗ってみたい」と思ったものだった。それと同時に「いつか飛行機に乗れる時がくるのだろうか?」とも、思っていた。「飛行機に乗るには、たくさんのお金が必要だし、そもそも飛行機に乗るくらい遠くに行くことなどないかもしれない」と、子供ながらに考えていたのだった。それでも、大人になれば一度くらいは乗れるかもしれない。帰りは電車でもいいから、行きは飛行機に乗って移動してみたい。そんなことを考えていた。 大人になった。気がつくと、何度か飛行機に乗っていた。仕事でもプライベートでも利用した。日本を飛び越えて、海外へも行った。憧れだった飛行機は「移動手段のひとつ」となっていた。そんなに頻繁に利用する機会はないけれど、数日の休暇とちょっとした手間を惜しまなければ「乗ろうと思えば乗れる」ものになっていた。 先日、仕事で大阪方面へ行った時のこと。空港で、高校の修学旅行生と一緒になった。搭乗口に並んでいると「修学旅行も、飛行機の時代になったんだな」「今はそうらしいねえ」というような会話が聞こえてきた。そう、今では高校の修学旅行でも飛行機で移動する時代だ。僕の高校時代は新幹線やバスだったけれど、現在の移動手段は飛行機。そう。つまり、今はそういう時代なのだ。 もしかすると「修学旅行で宇宙へ行く」という時代がくるのかもしれない。「高校の修学旅行も、月へ行く時代になったんだな」「今はそうらしいねえ」という会話が聞こえてくる時がくるのかもしれない。そしてその時代は、僕が想像しているよりも案外と近い未来なのかもしれない。いや旅行どころか「月面にある企業へ就職して生活する」人達が出てくるかもしれない。いやいや月どころか火星に・・・。 もしも宇宙に行ける時がくるのならば、「めざすは月」に出てくるようなロケットで行ってみたい。スノーウィーのような愛犬と一緒に、月から地球を眺めてみたい。いや、まてよ。飛行機が苦手な僕が、ロケットなどに乗れるのだろうか。いざ出発という段階でパニックになって「降ろしてくれ!」と騒いだりしないだろうか。と、飛行機の窓から眼下に広がる雲海を眺めながら、そんなことを空想していたのでした。

「グスコーブドリの伝記 宮沢賢治」読書の記憶 四十五冊目

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修学旅行の夜 小学六年生。修学旅行へ行った時の話。初日の夜、夕食のあとにミーティングがあった時のこと。その時ぼくは、学級委員をしていたので「今日のまとめ」のようなことを、クラスのみんなの前で話すことになった。話の内容は、もう覚えていない。せいぜい、今日はとてもよかったです、程度のことを適当に話したように思う。 僕が話し終わると、担任の先生が「今、佐藤が話したことで気がついたことはあるか?」というようなことを口にした。僕は、何か良くないことを話してしまったのだろうかと思った。たぶん、みんなもそう思ったのだと思う。その場は、しーんと静まりかえってしまった。 先生は「佐藤の声が枯れていることに気がついたか?」とみんなに問いかけた。「なんで、声が枯れたのだと思う? お前たちが、ちゃんとしないから、佐藤が大きな声を出さなくていけなかったんだ。だから、枯れてしまったんだ」「今日、クラスでいちばん頑張ったのは佐藤ではないか? みんなの前に立って、責任感を持って頑張っていたと思わないか?」と言った。 それから先生は、数人を指名して感想を述べさせた。みんな「明日からは、委員長が声を出さなくていいように、ちゃんとしたいです」「すごく偉いと思います」などと、いうようなことを言った。僕はそれを、みんなの前で立って聞いた。頭の中では、もういいから早く終わらないか、と考えていた。みんなが言うことを聞かないから声が枯れたのではなく、自分が必要以上に大きな声を出したから枯れただけだと、思っていたからだ。そしてなによりも声が枯れるということは(小六生の僕にとって)格好わるい事のように感じていたからだ。 ひと通り意見を聞いてから先生は、僕の横に立っていた副委員長に意見を求めた。副委員長の彼は(その時は、委員長も副委員長も男子だった)、えーと、と言いながら、声が枯れているような雰囲気で話し始めた。誰かが「オマエも声が枯れているようなマネをしても、ダメだ」と、からかった。みんなが笑った。 「グスコーブドリの伝記 宮沢賢治」 宮沢賢治 の「グスコーブドリの伝記」を読んだ時、ふいにこの出来事を思い出した。主人公ブドリは、みんなを助けるために一人で危険な現場へ行くと主張する。 「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとな

「閑天地 石川啄木」読書の記憶 四十四冊目

ネットで記事などを読んでいると「聖地巡礼」という言葉を目にすることがある。この場合の「聖地」とは、いわゆる宗教的な場所を指すのではなく、作品に登場した場所。つまり、映画や小説、アニメ等々の舞台になった場所を訪問して回る時に「聖地巡礼をする」と表現するようだ。正確なところはわからないが、概ねこのようなことだと理解している。 若い頃の自分は、このような「聖地巡礼」には興味がなかった。作品に登場する場所に「行ってみたいなあ」と思うことはあるものの、そのために旅をするというようなことはなかった。せいぜい旅先で観光案内などをめくりながら「おっ、ここはあのあれになったところなのか。せっかくだから寄ってみようかな」と、いうような位置づけだった。 ところが。そう。ところが昨年、斜陽館を訪問した時以来「可能ならば、できるだけ訪問してみたい」と思うようになった。とりわけ、作者が住んでいた家や場所に立ち寄って、そこで何が見えるかを楽しんでみたいと、いまさらながら思うようになったのである。 なぜ、このように考えるようになったのか? 自己分析してみると、若いころの自分は旅に「あたらしい刺激」を求めていたような気がする。今までに行ったことがない場所へ行き、見たことがないものを見る。食べた事がないものを、口にする。そこに旅の楽しみを探していたのだと思う。 もちろん、今でもそれが目的のひとつではある。しかしそれとは別に「過去の体験に触れる場所を巡る =昔の自分を振り返る」という感覚が産まれてきたのではないかと思う。 昔読んだ作品の著者にゆかりのある場所を見る。その場所に触れることで、作品を読んだ時のことを思い出す。しみじみと体感する。そのような体験を、旅に求めるようになってきたのだ。それはつまり「 歳を重ねた」ということなのだろう。マイナスの意味ではなく、それなりに経験が増えることで、振り返る楽しみも増えたのだ、と考えてみたい。 十月の連休に、盛岡市の「啄木新婚の家」を訪問した。帰宅してから啄木の「 閑天地 我が四畳半 」を読んだ。読み進めているうちに、ここに書いたようなことが頭に浮かんだ。またいつの日か、ここを訪問してみよう。何年後になるかはわからないけれど、その時私は、今日のことを思い出しながらここの風景を眺めることだろう。 関連: 啄木

「檸檬 梶井基次郎」読書の記憶 四十三冊目

予備校生だった時の話。当時は金がなかったから、授業後の楽しみといえば書店を回ることくらいだった。 予備校から出発して、まずはここ。次はこちら。そして時間がある時には、ぐるりとあそこまで足を伸ばす。のように、自分の中で「書店めぐり」のルートを作って、律儀に巡回したものだった。 あの頃は、インターネットもないしスマホもないから、情報収集といえばテレビを見るか本を読むくらいしかなかった。なので、そんな風にして書店を回る時間は貴重で重要で、充実した時間だったのだ。 書店からすれば迷惑な客だったろう。せいぜい月に1〜2冊程度しか購入しない客を歓迎するような書店が多いとは思えない。「あいつ、また来たよ」とばかりに、はたきで追い払いたい店員もいたかもしれない。 いつの日か「これと、あれと、それと」と、値段を気にせずに本を買って書店に還元できるようになることが夢だったのだが、社会人になっていくばくかのお金を使えるようになると、本以外の楽しみに費やすようになっていた。店舗で購入するのではなく、ネットの通販で購入する回数が増えた。最近では、 紙の書籍ではなく電子書籍で購入する割合も増えた。そして気がつくと、当時回っていた書店の多くは閉店してしまっていた。 梶井基次郎の「檸檬」には丸善が登場する。作品を読み終わったあと「そういえば、仙台にも丸善はあるのかな?」と気になって電話帳で(当時は、電話帳で店を探していたのだ)調べてみたところ、ごくたまに足を伸ばして立ち寄る書店が丸善だということを知った。迂闊であった。灯台下暗しとはこのことだ。 よし、 いつか海外の画集を買う時は、ここにしよう。そう思いながらも画集を買う機会はなく、長い長い時間が過ぎてしまっていた。