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「閑天地 石川啄木」読書の記憶 四十四冊目

ネットで記事などを読んでいると「聖地巡礼」という言葉を目にすることがある。この場合の「聖地」とは、いわゆる宗教的な場所を指すのではなく、作品に登場した場所。つまり、映画や小説、アニメ等々の舞台になった場所を訪問して回る時に「聖地巡礼をする」と表現するようだ。正確なところはわからないが、概ねこのようなことだと理解している。 若い頃の自分は、このような「聖地巡礼」には興味がなかった。作品に登場する場所に「行ってみたいなあ」と思うことはあるものの、そのために旅をするというようなことはなかった。せいぜい旅先で観光案内などをめくりながら「おっ、ここはあのあれになったところなのか。せっかくだから寄ってみようかな」と、いうような位置づけだった。 ところが。そう。ところが昨年、斜陽館を訪問した時以来「可能ならば、できるだけ訪問してみたい」と思うようになった。とりわけ、作者が住んでいた家や場所に立ち寄って、そこで何が見えるかを楽しんでみたいと、いまさらながら思うようになったのである。 なぜ、このように考えるようになったのか? 自己分析してみると、若いころの自分は旅に「あたらしい刺激」を求めていたような気がする。今までに行ったことがない場所へ行き、見たことがないものを見る。食べた事がないものを、口にする。そこに旅の楽しみを探していたのだと思う。 もちろん、今でもそれが目的のひとつではある。しかしそれとは別に「過去の体験に触れる場所を巡る =昔の自分を振り返る」という感覚が産まれてきたのではないかと思う。 昔読んだ作品の著者にゆかりのある場所を見る。その場所に触れることで、作品を読んだ時のことを思い出す。しみじみと体感する。そのような体験を、旅に求めるようになってきたのだ。それはつまり「 歳を重ねた」ということなのだろう。マイナスの意味ではなく、それなりに経験が増えることで、振り返る楽しみも増えたのだ、と考えてみたい。 十月の連休に、盛岡市の「啄木新婚の家」を訪問した。帰宅してから啄木の「 閑天地 我が四畳半 」を読んだ。読み進めているうちに、ここに書いたようなことが頭に浮かんだ。またいつの日か、ここを訪問してみよう。何年後になるかはわからないけれど、その時私は、今日のことを思い出しながらここの風景を眺めることだろう。 関連: 啄木

「檸檬 梶井基次郎」読書の記憶 四十三冊目

予備校生だった時の話。当時は金がなかったから、授業後の楽しみといえば書店を回ることくらいだった。 予備校から出発して、まずはここ。次はこちら。そして時間がある時には、ぐるりとあそこまで足を伸ばす。のように、自分の中で「書店めぐり」のルートを作って、律儀に巡回したものだった。 あの頃は、インターネットもないしスマホもないから、情報収集といえばテレビを見るか本を読むくらいしかなかった。なので、そんな風にして書店を回る時間は貴重で重要で、充実した時間だったのだ。 書店からすれば迷惑な客だったろう。せいぜい月に1〜2冊程度しか購入しない客を歓迎するような書店が多いとは思えない。「あいつ、また来たよ」とばかりに、はたきで追い払いたい店員もいたかもしれない。 いつの日か「これと、あれと、それと」と、値段を気にせずに本を買って書店に還元できるようになることが夢だったのだが、社会人になっていくばくかのお金を使えるようになると、本以外の楽しみに費やすようになっていた。店舗で購入するのではなく、ネットの通販で購入する回数が増えた。最近では、 紙の書籍ではなく電子書籍で購入する割合も増えた。そして気がつくと、当時回っていた書店の多くは閉店してしまっていた。 梶井基次郎の「檸檬」には丸善が登場する。作品を読み終わったあと「そういえば、仙台にも丸善はあるのかな?」と気になって電話帳で(当時は、電話帳で店を探していたのだ)調べてみたところ、ごくたまに足を伸ばして立ち寄る書店が丸善だということを知った。迂闊であった。灯台下暗しとはこのことだ。 よし、 いつか海外の画集を買う時は、ここにしよう。そう思いながらも画集を買う機会はなく、長い長い時間が過ぎてしまっていた。

「槍ヶ岳紀行 芥川龍之介」読書の記憶 四十二冊目

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教科書に掲載されている「歴史上の人物」には、リアリティを感じなかった。確かにこの世界に存在していたことは理解できる。しかし「その世界」は、今自分達が生活している「この世界」とは、どこか次元が異なっているのではないか。彼らと同じ時間の流れの先に、自分達の世界が続いているとは思えない。そんな感覚があった。 博物館などに展示されている「遺品」をガラス越しに眺めた時の、一枚の薄いガラスに大きな隔たりを感じる時のような感覚。あちらとこちらには、別の時間と空気が流れているような、そんな感覚があった。 たとえば今、私たちは、 芥川龍之介 が書いた作品を読むことができる。彼自身が、実際にペンをとり原稿用紙を埋めていったものを、目にすることができる。理屈では「それ」を理解できる。しかしそこにはどうにもリアリティを感じにくいのだ。彼らが私たちと同じように、一文字一文字埋めていく様子が、どうにもイメージできないのである。なにか魔法のような(つまり、非現実な)技で、ふわりふわりと創作しているような印象を抱いてしまう。彼らは本当に存在したのか? 小説の登場人物のように、架空の世界に存在する架空の人物なのではないか。そんなことを空想してしまうのだった。 槍ヶ岳紀行 芥川龍之介 芥川龍之介 の「槍ヶ岳紀行」を読んだ時「ああ、芥川も山に登ったのだ」と思った。自分達と同じように、一歩一歩地面を踏みしめ「山は自然の始にして又終なり(槍ヶ岳紀行より)」と繰り返しながら頂きを目指し、土の上を歩いていったのだ、と思った。 その時私は、芥川が自分達と同じこの世界に存在し呼吸をし汗を流し、ものごとを考えながら生きてたのだ、ということが実感できたような気がした。彼らの作品は、魔法でも別世界から送られてきたものでもなく、自分達と同じ世界で生活をしていた人達が、実際に筆を走らせて書かれたものなのだ、とようやく実感できたような気がしたのだった。 芥川龍之介   トロッコ   芋粥   大川の水   蜜柑   微笑   槍ヶ岳紀行   魔術   漱石山房の秋   鑑定   早春   愛読書の印象   杜子春   春の夜   鼻

「ぐりとぐらの かいすいよく」読書の記憶 四十一冊目

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幼稚園に通っていたころの話。「ぐりとぐらの かいすいよく」という絵本の中に、 うみぼうず が、ぐりとぐらに泳ぎを見せる場面があった。僕は、この場面がとても好きだった。海の中を自由自在に、そして勢い良く水面に飛び出してくる、うみぼうず の姿がかっこよくて「いつか自分も、あんな風に泳げるようになりたい」「ぐりとぐらも、すぐに泳げるようになったのだから、自分も練習すれば泳げるようになるはず」と、絵本を開きながら、まだ一度も挑戦したことがない「水泳」というやつに、あこがれていたのだった。 小学生の低学年のころは、ほとんど泳げなかった。家族で海に行ったとしても、浅瀬に浮き輪をうかべて、ゆらゆらと揺れて楽しむ程度だった。せいぜい数m程度しか泳げなかったと思う。ところが5年生になった時、突然転機が訪れることになる。市内で開かれる「水泳記録会」の候補選手として練習に参加することに決めたのだった。僕以外の子供達は、スイミングスクールに通っていたり、自他共に認めるくらいに「水泳が得意」な子達ばかりだった。それなのに25mを泳ぐのがやっとの僕が(希望者は、練習に全員参加可能だった)何を勘違いしたのか、無謀にも挑戦を決めたのだった。 結論から言うと、5年生の時は選手に選ばれることはなかった。当然である。ところが、6年生の時に参加した時には、そこそこ基本ができるようになっていたことと、この頃から身長が伸びて身体的に恵まれてきたこともあって、3種目ほど選手として出場できることになった。そう、僕はいつのまにか「水泳が得意な子供」になっていたのだった。ほんの1年ほど前までは「25m泳げるのがやっと」だったのに、子供の頃の成長というものは恐ろしいものである。 先日、地元の宮城県美術館で開催されていた「ぐりとぐら」の展覧会に行った。展示されている作品を順番に鑑賞していた時に、この「かいすいよく」の絵本が目に飛び込んできた。最後に読んだのは、もう何十年も昔のことだったし、絵本そのものもどこかに紛失してしまったけれど、原画を目にした瞬間、うみぼうず の姿も、ぐりとぐら の細かな仕草も、はっきりと頭の中に 蘇ってきた。 そして、小学生の僕が水泳記録会の練習に参加を決めたのは、この絵本の影響だということに気がついた。心のどこかに、うみぼうず の泳ぎに憧れていた時の気持ちがずっとず

「虞美人草 夏目漱石」読書の記憶 四十冊目

予備校に通っていた頃の話。僕は知り合いの女性と一緒に街の中を歩いていた。彼女は、薄手の長袖シャツを一枚着ているだけだったから(なぜか、シャツの事だけは明瞭に覚えている)梅雨入りしたばかりの頃だったと思う。 アーケード街に、老舗の眼鏡屋があった。そこの看板を目にした彼女は「そろそろ新しい眼鏡をつくりたい」と、いうようなことを口にした。 「眼鏡? そんなに目が悪いんだ」と僕は聞いた。 「そう」と彼女は答えた。 「でも、普段は眼鏡をかけていないよね」 「私、目が綺麗だから、眼鏡で隠したくないの」 と、彼女は自分の目のあたりを指差しながら言った。 確かに彼女は綺麗な目をしていた。十分に美人と言える容姿をしていた。それと同時に、彼女も僕もあまり冗談を言うタイプではなかったし、互いにまだ軽口を叩けるほど親しくもなかったから、僕はすっかり返答に困ってしまった。 問題: 当時の僕は何と返したでしょう? 先日、 漱石 の「虞美人草」というタイトルを目にした時、このエピソードを思い出した。彼女とはもう何十年も会っていないし、連絡先すら知らない。道ですれ違ったとしても、お互いに気がつくことはないだろう。それでも記憶の中では、ほんの数年前のできごとのように 思える。こんなにも、はっきりと思い出せるのに、本当にそんなに長い時間が過ぎたのだろうか? 「いつの間に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近君が云う。宗近君は四角な男の名である。「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾くに心得ている」 (夏目漱石 虞美人草より) しかし現実として、あの日から確実にしかるべき時間が流れ去ってしまった。僕は、悟りもせず学びもせず、ただ目の前を過ぎていく風景を眺めているうちに今日まで年齢を重ねてきてしまった。人間は最後の瞬間に、今までの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡るというけれど、僕の場合は一体どのような映像が蘇ってくるのだろう。せいぜい、出会った人達と交わした 会話の断片と相手の服装程度しか、蘇ってこないかもしれない。 ・・・ さて、話を戻そう。当時の僕は何と返したか。答え

【番外編】「6月19日は、何の日ですか?」

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大学生だったころの話。授業の最初に先生が「今日は何の日か知っていますか?」と問いかけてきた。 僕は頭の中にある記憶を探ってみた。そういえば、以前予備校で聞いた話の中に……。いや、違ったかな。そんなことをぼんやりと考えていると、先生は机の上の名簿を手に取り「では、○○さん。今日は何の日か知っていますか?」と指名をした。 「○○さん」は、そう、僕の名前だった。僕は頭の中にある曖昧な答えを口にしてみようか、いやいや間違ったことを発言するくらいなら黙っていた方が良いのではないか、などと一瞬のうちに考えを巡らせた。そして「確実ではない答えを提示するくらいなら、沈黙していた方がよい」という結論に達した。正しいかどうかだけではなく、何かを考えているのなら発言を試みるのが学びの場だというのに、中途半端な恥かしさを恐れた僕は沈黙することを選んだのだった。 僕は「わかりません」と答えた。先生は、別の生徒の名前を口にした。その人も、わからない、と答えた。先生は特に失望した様子も見せずに「今日は桜桃忌です」と言った。 ああ、そうだ。たしかに、いまごろの時期だった。何度か目にしていた情報だというのに、すっかりと忘れていた。日本文学の授業なのだから文学に関する話題に決まっているじゃないか……。と、思ったのだった。 あの日から「6月19日は桜桃忌」という情報が、僕の頭の中には情けない体験と共に刻まれることになった。そして、いつかどこかで誰かに「 太宰治 って、女性と心中したんだよね?」などと聞かれた時に「そうだよ。そして桜桃忌は6月19日ね」と聞かれてもいないことを間髪入れずに答えられるようにしようと決めたのだった。 あれから20年近い年月が過ぎた。今までに「太宰の死因」が話題に上がることはなかった。当然のことながら「6月19日」について説明を求められる機会もなかった。それでも、いつかまた聞かれる時のために、即座に答えられる準備だけはしておこうと毎年この時期になる度に思うのだった。 ☝ TOPへもどる ☝ このブログの目次

「中国行きのスロウ・ボート 村上春樹 」読書の記憶 三十九冊目

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六月といえば梅雨である。もちろん他にも色々と六月を印象づけるものがあるとは思うけれども、とりあえず自分の場合は梅雨であり、雨降りである。自分は今の時期の雨はわりと嫌いではない。もちろん、晴れの日が好きなことには変わりがないし、登山をしている時やキャンプなど野外活動時の雨はできれば避けたい天候である。なにしろテントを張ったり撤収したりしている時の雨は実に不快なものだ。通常の1.25倍の時間と手間と労力がかかる。そこに強い風などが吹いてきた日などは、ああ、なんてこった、うーっ、ともはや苦行の気配すら漂ってくる。なんでわざわざこんな日に、と自分で決めたことを批判したくなる。 しかし、釣りをしている時の雨は歓迎である。とくに六月から夏にかけての雨は格別なものがある。空から落ちてきた雨が水面に波紋を作り、あわてて着込んだ合羽をパタパタと叩く音を聞いていると、その美しい景色と音に誘われるように心の奥から和みの気配が沸きあがってくる。さあ、この雨で魚の活性も高くなるだろう。いつでもこい、と期待感も高まってくる。静かに降り続く雨の中、淡々と竿を降り続ける釣り人の頭の中には、このような和みと歓喜の渦がわきあがっているのである。 さて話を戻そう。今回の「雨降り」という言葉から、自分が最初に連想した作品は「 伊豆の踊子 /川端康成」だった。これはあきらかに、冒頭の「 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠が近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓からわたしを追って来た。(伊豆の踊子 より) 」がその理由である。雨が主人公の今までとこれからを暗示するかのような、重要なモチーフとなっているから、なぜこの作品が思い浮かんだのかは明白だった 。 そして、ほぼ同時にもう一作品思い浮かんだのが「中国行きのスロウ・ボート/村上春樹」だった。これは自分でも、なぜこの作品が思い浮かんだのが理由がわからなかった。他にも「雨」がモチーフになった作品はあるし、題名に使用されているものもある。なのになぜこの作品なのだろう。 自分自身のことなのだがわからなかったので、あらためて読んでみようと考えた。そしてそれは、読み返すまでもなく本を手に取った瞬間に理解できた。表紙の安西水丸氏のイラストである。この純粋な「水色」から雨をイメージしたのではないか。おそら