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夢十夜 (夏目漱石)読書の記憶 十五冊目

僕は布団の上に横になっている。いつもと同じ部屋。いつもと同じ布団。目を開けて、いつもと同じ天井を眺めている。ふと天井の模様が気になって、目を凝らしてみる。人の顔のように見える。左目だけが妙に大きい顔。怒っているようにも、泣いているようにも見える。数秒ほど見つめていると、どんどん天井の模様が大きくなって、こちら側に迫ってくる。ぐいぐいと勢いをつけて自分の方に迫ってくる。 自分が空中に浮いているのか? それとも天井が迫ってきているのか? その両方なのか? それを確認する間もなく、僕の目の前に天井が近づいてくる。もう、天井にこびりついている埃さえもはっきりと見える。端の方に見えるのは蜘蛛の巣だろうか? せっかくこんなに近づいているのだから手で払っておこうと思う。普段は背伸びをしても届かない場所だけれども、今は届く位置にあるのだから取り除いておこうと思う。 僕は手を伸ばそうとする。そこで目が覚める。絶対に、天井に触れることはない。どんなにギリギリの距離にまで迫ったとしても、僕の息が天井に届く距離にまで近づいたとしても、決して触れることはない。 子供のころ、熱を出して寝ている時にこの夢を見た。ああ、またこの夢だ、という気分と、頭の奥底をかき混ぜられて記憶が歪んでゆらめいて何かが損なわれたような不安な気分が混ざり合って、ひどく落ち着かない気分になった。「この場所」は「いつもの場所」と同じ場所なのだろうか。そして、「今ここにいる自分」は「さきほどまでの自分」と同一人物なのだろうか。そんなことを小学生の漠然とした頭で考えていた。そしてこの夢は、中学校に進級したあたりから見ることがなくなってしまった。 大学生のころ 漱石 の「夢十夜」を読んだ時、ひさしぶりにこの夢のことを思い出した。頭の中に夢の映像が思い浮かんできた。意識はしっかりと目覚めているのに、頭の中で夢の映像が再生されているような、現実の世界と夢の世界を同時に見ているような感覚だった。もしかしたら漱石もこんなに風に「昼間に見た夢」を描いたのではないだろうか? と思った。 夏目漱石  掲載作品 三四郎   こゝろ   夢十夜   坊っちゃん   虞美人草   私の個人主義   明暗

少年探偵団 (江戸川乱歩)読書の記憶 十四冊目

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小学生の時の話。 通学路の途中、住宅街から少し離れた場所に空き地があった。雑草が生えているだけの、何の特色もない空き地。野球やサッカーをするには狭いし、集まって話をするには退屈な眺めの場所。「この道を真っ直ぐに進んだところにある、空き地の先を・・・」と話した時に「空き地なんてあったかな?」となるような場所。確かに存在はしているけれど、記憶には残らないような場所。 ある日のことだった。その空き地に突然「家」が建った。家といっても、本格的な家ではない。ちいさなプレハブの「移動可能な家」だったのだけれども「昨日まで存在しなかったものが、今日突然出現した」というシチュエーションが、小学生の僕たちには何か特別な意味のある存在のように思えたのだった。 「どうやって建てたのだろう?」「昨日まではなかったよな?」「ヘリコプターで運んできたのでは?」「そういえば、2組の木村が夜に変な音を聞いたと言っていた」「秘密結社の基地かもしれない」「今は中に人がいないけれど、夜になったら集まってきて会議が開かれるのかもしれない」「ちょっと近くに行ってみよう」「いや見つかると危険だ」 そもそも、誰の目にも見えるところに現れた建築物が「秘密結社」のそれであるわけはないし、それ以前に秘密結社というものが何をする団体なのかもわからなかったけれど、 江戸川乱歩 の 少年探偵団 になったような気分であれこれと空想を広げたものだった。あの家に関する謎を最初に解き明かすのは誰だ? 小学生の僕たちは、そんな気分に浸っていたのだと思う。 数日後、その「家」は跡形もなく空き地から消え去ってしまっていた。何の気配も痕跡も残さずに、どこか遠くへと消え去ってしまっていた。まるで家自身が意識を持っていて、僕たちがそれ以上近づく事を拒むためにどこかへ飛んで行ってしまったかのように。やはりあの家は、特別な何かだったのだ。もう少し時間があれば、正体を突き詰めることができたのに。また、あの家が戻ってきたのならば、今度は勇気を出して中を覗き込んでみよう。 友人の一人が「ここから少し離れた空き地に、あの家がまた現れた」という情報を持ってきた。僕たちは遠回りをして、家が現れたという空き地へとやってきた。勇気を出して近くで見た「それ」は、確かに良く似てはいたけれど僕たちが知っている「あれ」とは、少し

青年 (森鴎外)読書の記憶 十三冊目

大学受験の勉強というものは、おおむね退屈なものだけれども、その中でもわりと興味を持って取り組むことができたのが「文学史」だった。「日本文学史における『物語の祖』が竹取物語である。そしてそこから・・・」と時系列で文学作品について学んでいくアレである。 「現実を赤裸々に描こうとする自然主義が生まれ、文壇に大きな影響を与えた訳ですが、今度はそれに対して反自然主義が生まれ・・・」のように、一方が盛り上がればそれに反するものが生まれ、次にそれに反するものが生まれ、さらにさらにと続いていく流れに、なるほどなるほど、と高校生の僕はしみじみとうなづいていたものだった。もちろん、なるほど、と言っても文学思想そのものに感心していたわけではなく、そのような視点で文学作品を読み解くということに、面白さを感じていたのだと思う。作品が生まれた時代背景や、作者の立場や思想から作品を解釈していくことで何かが見えたような気になっていたのかもしれない。 その中で、とりわけ気になったことのひとつが、漱石と鴎外のエピソードだった。「鴎外は漱石の『三四郎』に刺激を受けて『青年』を書いたとされる」という説明などを聞くと、なんだかわくわくするものを感じたものだ。鴎外にも刺激を与えるような「三四郎」とは、さぞかしすばらしい作品なのだろう。さらにそれを読んで執筆された「青年」はどれほどの作品なのだろう。その時の僕は「三四郎」も「青年」も、まだ読んでいなかったので、受験が終わって時間に余裕ができたのなら絶対に読もう。すぐ読もう。と、楽しみにしていたのだった。 ところが、受験が終わり時間に余裕ができると、逆に本なんて読まないものである。もっと単純に目の前にある刺激を優先してしまうものである。時間ができたのなら、文学史に出てくる主要な作品はすべて読もう、と息巻いていた気分は急速に向こう側へと飛び去っていき、非生産な時間をもてあます日々が続いてしまうのが凡人の性なのかもしれない。そもそも懸命な人ならば、受験勉強の合間の時間を上手に使って、さっさと読了してしまうことだろう。 そのように怠惰な時間を繰り返していた学生時代の中、ようやく「三四郎」と「青年」を手にとる時がやってきた。もはや、いつ読んだのか、ふたつの作品を比較してどのような感想を持ったのかは忘れてしまった。ただ「三四郎→青年」の順に読んだこ

小僧の神様 (志賀直哉)読書の記憶 十二冊目

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大学に進学して上京した時の話。 受験勉強から解放された爽快感。一人暮らしで自由な時間を存分に楽しめるという充実感。自分が好きなことを好きなだけやることができるのだ。何がなんだかわからないけれど、とにかく自由だという喜び。それらの気持ちが混ざり合って高揚した気分の中、一人暮らしがスタートしたばかり時の話。 それまでの僕は、一人で食事をするという習慣がなかった。いや、もちろん普段の食事は一人で済ませることもあったけれど、一人で外食して店に入って食事をするということが数えるほどしかなかったのだ。これから一人暮らしを始めるにあたって、一人で外食する機会も増えるだろう。まずは近場の定食屋などを巡ってみたりしながら、少しずつ活動範囲を広げていこう。 そんなことを考えながら、僕はまず最寄りの駅近くの蕎麦屋に入ってみることにした。小さなテーブルが3つとL字のカウンター席があるだけの店。午後の2時を少し過ぎたあたりだったせいか、僕以外に客はスーツを着た会社員が一人しかいない。店主と思われる、50代くらいの男性が厨房の奥の方で何か作業をしている。僕は、 志賀直哉 の「 小僧の神様 」の主人公が「こんな事は初めてじゃない」と、慣れたふりをして寿司屋に入っていく場面を思い出しながら、いかにも常連客のような平静さを装いつつカウンターに座りテーブルの上にあった数週間前の週刊誌をめくるような素振りをしてみせた。 僕の予想では「いらっしゃい」と、店員が水のはいったコップを僕の前に置いて注文を聞いてくれるはずだった。ところが待てど暮らせど、店員はこちらへはやってこない。 斜め向かいの会社員は、蕎麦らしきものを食べ終えて新聞をめくっている。間違いない。ここは蕎麦屋で、蕎麦を提供してくれる場所である。僕が間違えているわけではない。もしかして店員が、僕に気がついていないのではないか? のんきに数週間前の雑誌を読んでいる場合ではないのではないか? それとも、この店独自のルールでもあるのか?  僕は椅子から少し腰を上げて、あの、というように奥の方にいる店員に呼びかけてみた。その店員は、食券買って、と入口の横の方を見た。僕は彼の視線の先を見た。食券販売機があった。僕はあわてて販売機の方に行って食券を買いカウンターに置いた。会社員は新聞を読んでいた。僕の頭の中にはまた「

こゝろ (夏目漱石)読書の記憶 十一冊目

子供のころ「一生のうちに、何冊本を読めるだろう」と考えたことがあった。「1日1冊ペースだと一年で365冊。10年だと3650冊。すると、10000冊読むには、だいたい30年くらいかかるのか。30年なんて永遠に未来のような気がするな」 そしてあの日から、おおむね30年が経過したわけだけど、実際のところ僕は何冊の本を読んだのだろう。精読した本だけではなく、資料として部分読みをした本や雑誌なども含めれば8000冊は読んだ・・・いや、少なくとも5000冊は読んだだろうか。いや7000冊くらいは。 時間には限りがあるし、なるべく多くの本を読みたいから、同じ本は繰り返し読まないようにしている。それでも、定期的に読み返してしまう本がある。その一冊が夏目漱石の「こころ」である。 高校生のころ、音楽とバイクに夢中になっていた僕は、小説の類いを読まなくなっていた時期があった。特に「文学なんてカビ臭いもの誰が読むっていうんだよ」というようなロックっぽい反骨精神があったわけでもなく、ただなんとなく手が伸びなかったのだ。 そんなある日。教科書に収録されていた 漱石 の「こころ」を読んだ。純粋に「もっと読みたい」と思った。続きが読みたい。自分が読みたいと思っていたのはこれだ。と、いうようなことを少し興奮気味の頭で思った。学校帰りに書店に寄って、新潮文庫の「こころ」を手にとった。えんじ色の背表紙が、なんとなく漱石っぽいと思ったからだ。 本の値段は、わずか数百円だったのだけど、懐の寂しい高校生にとっては少々勇気が必要な金額だった。いやいや、大袈裟ではなく、お金があれば一枚でも多くCDを手に入れたいと思っている高校生にとっては、数百円でさえも大きな決断が必要だったのだ。たぶんみなさんにも、そんな時期があったのではないかと思う。 結局、その日は断念したものの、数日後無事に「こころ」を購入することができた。一気に読んだ。読み終わってから、あとでまたゆっくりと読み返そう、と思った。それから長い時間が過ぎたけれど、今でも時々読み返すことがある。先日も前半部分を読み返した。「すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。(上 先生と私 30より)」の部分が目にとまった。こんな場面があったんだな、と思った。 夏目

「読書感想文」を書いた日。読書の記憶 十冊目

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小学校の頃の話。確か4年生だったと思う。 夏休みの宿題に、読書感想文の課題が出された。「課題図書は自由。400字の原稿用紙2枚以上」というような内容だったと思う。僕は夏休みになる前に、学校の図書館から読書感想文用の本を借りておいた。そして夏休みが始まるとすぐに読み終わってしまった。読み終わったならば、すぐに感想文を書けば良いのだが、ものごとはそう簡単には進まない。時は淡々と過ぎ去り、いつの間にか夏休みは終盤を迎えてしまっていた。  そう、お気づきの方も多いと思うけれど、この段階ですでに作品の内容は、ほとんど忘れてしまっていた。僕は読むのは早いのだが忘れるのも早いのだ。そうかといって、もう一度読み返すのもなんだが癪だったし、かといって新しい本を読書感想文用に読むというのも面倒な気がした。そこで内容に細かく触れずに、ざっくりとしたことを書いてしまおうと決め「主人公は〇〇をしたけれど、僕なら△△を選ぶと思う。なぜならその方が××になると思う」と、いうような主人公の選択を批判するようなことを書いて提出することにした。もちろん、批判といっても深い思索の中から生まれたものではなくて、特に書く事がなかったから書けることを書いて原稿用紙を埋めた、ということに過ぎなかった。なにせ、内容はほとんど忘れてしまっていたのだ。 新学期が始まって数週間が過ぎた国語の時間。先生が「この前、みんなから提出してもらった読書感想文の中から、2人の感想文を紹介するぞ」と、ある生徒の感想文を読んだ。ひどい文章だった。「てにをは」はめちゃくちゃだし、主語がブレているから意味が受け取りにくいところがある。しかし・・・うん、どこかで聞いたことがあるような内容だった。先生は言う。 「これは、佐藤の読書感想文だ。文章としてはおかしいところがあるけれど、主人公の行動について自分の感想を書いている。みんなは『あらすじ』を書いているけれど、このようなのが読書感想文なんだ」 どうやら褒められたらしいが、誇らしい気分にはなれなかった。狙ってそのような感想文を書いたわけではないし、なによりも間違いが多いことの方が恥ずかしかったからだ。先生が「Aさん、佐藤の読書感想文を読んでどう思った?」と、クラスで人気の女子に感想を求めているのも「いやいや、もうそのあたりで!」と言いたくなるような気分だった。でも、その

ぼくがとぶ(佐々木マキ)読書の記憶 九冊目

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子供のころの夢は……。 と、あらためて思い出してみると「とくに何もなかった」ような気がする。幼稚園の時に「将来の夢」というような絵を描かされた時があったのだけど、その時も「会社員になりたい」とスーツを着てビルの前に立っている絵を描いて、両親に「他にやってみたいことはないの?」と軽く諭された記憶さえある。そのくらい「地味な夢」しかもっていない幼稚園児だった。 そんな僕でも、ある一冊の絵本との出会いがきっかけで、いつか挑戦してみたいことが見つかることになる。それは「飛行機をつくること」だった。え? 飛行機? そう、飛行機。あの空を飛ぶ飛行機を作ってみたいと思うようになったのだった。 その絵本の名前は「ぼくがとぶ(佐々木マキ)」。主人公のクリクリとした大きな目の少年が、自宅で飛行機を手作りして、空を飛び回る話だ。 絵本の中に少年が家の中で飛行機の部品を作って組み立てている場面があるのだけど、道具や作りかけの部品やゴミでごちゃごちゃした部屋の中の様子がかっこよくて、何度繰り返し繰り返し眺めても飽きなくて「いつか、こんな部屋で自分も飛行機を作ってみたい」と思ったのだった。 木を削って、色を塗って、ゴーグルをかけて、自分一人で作った飛行機で外国まで飛んでみたい。どのくらい頑張れば飛行機を作れるのかはわからないけれど、この少年くらいの年齢になれば作れるようになるのかもしれない。こどもなりに、漠然とではあるけれどそこそこ真面目に、飛行機をつくる少年の姿に憧れていたというわけである。 残念ながら僕は、飛行機を作る技術者になることはできなかった。むしろ技術者とは正反対の方向へ進んでしまった。もしかすると僕は、飛行機が作りたかったのではなくて、資料やらなにやらで盛大に散らかった部屋の中で、黙々とひとりで何かを作る仕事がしたかっただけなのかもしれない。 ああでもない、こうでもない、うまくいかない、でも絶対にあきらめないぞ。と盛んに静かに黙々と作業を続ける仕事。それならば今の仕事も、ほんの少しだけ共通点があるような気がしないでもなくもなくもない。 佐々木マキ   ぼくがとぶ   ふしぎな図書館

銀河鉄道の夜(宮澤賢治)読書の記憶 八冊目

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一人で、買い物へ行った時のこと 小学2年生の時の話。 僕は休みの日にひとりで留守番をすることになった。生まれて初めての留守番だった。母親に「(留守番の日に)これで何か好きなものを買ってきなさい」と、300円を渡された。400円だったかもしれない。くわしくは忘れてしまったけれど、こづかいをもらった僕は留守番の不安や煩わしさよりも「一人でお菓子を買いに行く」というイベントの方に興味が向いてしまっていた。  留守番の当日、僕は一人で近所の店へ出かけていった。地元の商店街にある家族で経営しているような小さな店で、食料品から生活雑貨まで色々と並べてあるようなところだった。僕はそこでお菓子を物色したあと、チューインガムを2個選んでレジに向かった。その時の僕は「ガムを大きく膨らませる」ことに夢中になっていたので、2個買えばたっぷりと練習ができると思ったのだ。 レジの店員は、僕に向かって「ボク一人? おかあさんは?」と聞いてきた。僕は「いない」とか「ひとりで留守番してる」というようなことを答えた。すると店員は「2個もガムを買って大丈夫? おかあさんは知っているの?」というようなことを聞いてきた。僕は「大丈夫」と答えた。店員は「ほんとうに?」というようなことを何度か僕に聞いてから、後ろにいた別の店員と何かを話したあと、ようやく僕にガムを渡してよこした。 僕はなんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、ひとりで家に帰って、ガムを噛んでふくらませる練習を始めた。1粒よりも2粒食べると大きく膨らませることができるということと、さらに1粒加えて3粒にしてもさほど大きくならないということを知った。なかなかの収穫だと思った。やはり2個買って正解だったと思った。 数日後、僕は母親と一緒にその店に買い物へ行った。店員は母親を見つけると「この前、ボクがガムを2個買いにきたのですが・・・」というようなことを話しかけてきた。母親は「ああ、大丈夫です。ありがとうございます」というようなことを言っていた。 その時の僕は、店員と母親が何を話しているのかはよくわからなかったけれど「この店員さんに、何か疑われているようだ」ということは、うすうすと感じとっていた。店員にしてみれば親切な気持ちだった のかもしれないが、子供の僕にとっては「自分が疑われている」という居心地の悪さのようなものを

伊豆の踊子(川端康成)読書の記憶 七冊目

「16歳の誕生日」というと、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 僕にとっての16歳の誕生日は「原付免許が取れる日」だった。とにかく早く原付に乗りたい。バイクに乗りたい。1日でも早く。早く。そんな風に指折り数えて待ちわびた誕生日がやってきて、僕は一目散に試験場へ向かい免許を収得したのだった。その後、バイクの魅力にとりつかれて、レストランの皿洗いで貯めた資金でヘルメットを買い教習所の代金を支払い、念願のバイクへ乗ることになるのだけど、その話はまた別の機会に書くことにしよう。 さて、そんな風にして16歳早々に原付の免許を手にした僕の最初の相棒は、自宅にあったHONDAのロードパルだった。名車である。ほんとうにオンボロだったけれど、トロトロしかスピードが出なくて後ろから車にクラクションを鳴らされたりもしたけれど、すばらしく楽しかった。今まではバスや電車でしか行けなかった場所へ、行きたい時に行きたい道を通って自分の意志で、目的地まで走っていくことができる。もちろん、移動範囲はたかがしれているけれど、それでも当時の僕にとっては「とんでもなく世界が広がった」瞬間だった。誇張でも詩的な表現でもなく文字通り「自由を手にした」と思っていた。そう、16歳の僕は心からほんとうにそう感じていたと思う。 休みの前日に地図を眺めながら、目的地を決める。あまり車が多くなくて、原付でも走りやすいところ。インターネットなんてなかったから、紙の地図に定規をあてておおまかな距離を計算していく。その頃の僕の興味は「一日で可能な限り長い距離を走る」というところにあったので、観光スポットを巡るというよりは、知らない道をできるだけ遠くまで走るというルートが多くなった。食費を削ってガソリン代にして、目的地周辺のコンビニに立ち寄ってスクーターの椅子に座って、ふう、と缶コーヒーを飲む。缶コーヒーなんて、どこで飲んでも味は同じだけれど、そんなことが自分にとっては「さいこうにうれしくて、おいしいこと」だったわけである。 そして、今でも僕が旅をする時は(移動手段はバイクから車へとかわったけれど)基本的に同じような考えのままでいる気がする。「一度も走ったことがない道を、できるだけ遠くまで」そう、たぶん僕は自分で運転した乗り物で「ずっと走っている」という時間が好きなのだと思う。 川端康成「伊豆の踊子

星座を見つけよう(H・A・レイ)読書の記憶 六冊目

幼稚園のころ、ある絵本がきっかけで天体望遠鏡が欲しくてたまらなくなってしまった。何度か親に交渉を試みた結果、親が設定した目標を達成することで買ってもらえることになった。その目標は当時の僕にはわりと厳しい目標だったのだけれど、今ならば「それには意義を感じない」と否定するような内容ではあったのだが、健気にも僕はその目標を達成し天体望遠鏡を買ってもらえることになった。 そして父親は、僕に顕微鏡を買ってきてくれた。え? 入力ミス? いやいや間違いではない。望遠鏡ではなく顕微鏡を買ってきてくれたのだ。父は「なぜ、お前は天体望遠鏡が欲しいのか?」と理由を聞くタイプではなかったので、おそらく「子供には顕微鏡の方がいいだろう」と適当に解釈して顕微鏡に変更したのかもしれない。「望遠鏡も顕微鏡も大差なし」と思ったのかもしれない。単純に予算の関係だったのかもしれない。 しかし僕が欲しかったのは望遠鏡だった。約束を守ってくれた父親の好意はありがたかったが、望遠鏡でなければいけない理由があった。下を見るのではなく上を見たかった。その結果として、残念ながら顕微鏡は数回使われたあと、机の上に置かれたまま埃をかぶることとなる。 それから数十年の時間が流れた2年前のある日のこと。すっかりと大人になった僕は、ちょっとしたできごとがきっかけで望遠鏡を購入することになる。組立式の簡易的な望遠鏡だったのだけれど、ようやくついに望遠鏡を手にしたのだ。とんでもなくうれしかった。さっそく組み立てて、月を見た。リアルなクレーターの凹凸に感動して、何枚も写真を撮った。毎日「今日の夜の天気と月齢」を確認して、夜の空模様に一喜一憂しながら、イメージ通りの月の写真を撮影することに躍起になった。 数十年もの時間が流れても失われなかった「天体望遠鏡」への憧れを与えてくれた絵本の名前は「星座を見つけよう / H・A・レイ」である。子供の頃の僕は、この黄色の表紙の絵本を何度も読んだ。繰り返し読んだ。そしてこの絵本は、今でも普通に購入することができる。先日アマゾンで見つけた時には、思わず衝動買いをしそうになったが寸前でとどまった。大人の僕が手にするよりも、子供のところに届いた方が本も喜ぶと思ったからだ。

三四郎 (夏目漱石)読書の記憶 五冊目

中学生の頃の話。学年集会だったか全校集会だったかは忘れてしまった。そこで、ある先生が「今、みなさんは『青春』真っ盛りなわけですが・・・」というような話を始めた。その瞬間、生徒の間で失笑が起こった。生真面目な風貌の先生が「青春」という言葉を、唐突に口にしたことがなんとなくおかしかったのだ。 その時僕は、自分が「青春の真っ盛り」にいるとは考えられなかった。そもそも青春というものが、どのようなものかを説明することはできなかったけれど、とりあえず今とは違う「何か」が、そこには漂っていて「ああ、これがつまり青春ってやつなのかもしれない」と自分も周りにいる友人達も、目を合わせて黙ってうなづくような、静かなる熱狂がふつふつと心の奥から沸き上がって溢れ出しそうな、そんな感じの時間のような気がしていたからだ。少なくとも今の自分のような、退屈でエネルギーを持て余しているような状況とは全く異なった雰囲気の世界だろう、と思っていたからだ。 青春、という時間が、とっくの昔に過ぎ去ってしまった今。ふと「ところで青春ってやつは、いつ始まっていつ終わったのだろう」と考えた。「いつだって若々しい心を持っていれば、それがつまり青春を生きているということなのだ」という自己啓発本のような青春の定義ではなく「あ、今オレは青春なのだ」と自他共に認められるような青春の時代とは、いつだったのだろう。 とりあえず、青春らしいことも、心の奥底が抑えきれないほどふつふつとしたこともなかったような気がする。もしも「それ」が存在するとするのなら(存在したはずである)音もなくやってきて、そよ風のように遠くへ過ぎ去っていったのだろうか。いや、そよ風ならまだ体感することもできるから、そよ風とさえ言えないくらい微かに。 漱石 の青春小説「三四郎」の主人公、三四郎は熊本から上京し東京帝国大学へ入学する。そこで出会った人、風景、できごとに翻弄されながらも、時々立ち止まり何かを考えようとする。考えるけれど、自分からは何もしようとはしない。ただ目の前の世界がスピードを加速して流れ変化して行く様子を眺めている。そして結論が出ないまま、話は終わる。もしも、これを「青春」と呼ぶのならば、そう確かに僕にも青春はあった。 夏目漱石  掲載作品 三四郎   こゝろ   夢十夜   坊っちゃん   虞美人草   私の個